第35話 神凪氷雨は配信する。

「私……本気に、しちゃうよ?」


 返ってきたのは予想外の言葉。俯いている神凪さんの表情は見えないが、その声は今までのどの声よりもか細かった。


「まだ、上手く話せないし。可愛いこととか、出来ないし。それに……きっと、迷惑も……沢山、かけるよ?」


 少しずつ、しかし確実に。神凪さんは糸を紡ぐように言葉を重ねていく。こんな時に目を合わせてくれないのは、彼女の癖だ。


「1人にさせないって、言ってくれたのも……好きって、言ってくれたのも────」


 ────風が吹いた。水色の髪が空中で踊り、神凪さんが顔を上げる。その瞬間に彼女と目があって、俺は……


「私……本当に、信じちゃうよ?」

(……晴れ、た……?)


 このモヤモヤの正体をようやく理解した────俺は、どうしようもなくこの人が好きなんだ。


(なんで、こんな時に……)


 真面目な話をしている時なのに、彼女の仕草ひとつひとつから目が離せない。全部が愛おしくて仕方がない。


 その透き通るような声も、人形のように綺麗な顔も、少し不器用だけど優しいその性格も……俺は全部好きなんだと、今更気づいた。


「それでも、一緒にいてくれる?」


 神凪さんは、泣き腫らした顔で満面の笑みを浮かべている。その顔に、もう前のような悲しげな雰囲気は残っていない。


「……大丈夫。約束する」


 だからどうか、神凪さんがずっと笑えるように……俺は、はっきりとそう答えた。


「みんな、許してくれる……かな」

「きっと待ってるよ」


 視聴者リスナーも、日向も、雪月も……そして俺も、みんな神凪さんのことを待っている。彼女の積み上げてきたものは、何ひとつ失ってなんかいない。


「ここに、残れるのかな」

「それは……分からない。でも、聞いてみる価値はあると思う」


 出発直前にここに残ると言ったところで、許してもらえるかどうかは分からない。それに、海外に行くと言っていたしから望みは薄いと思う。それでも……


「……私に、出来るかな」

「1人じゃない。俺も、雪月も、日向も、みんな居て欲しいと思ってる」


 少しでも可能性があるなら、俺はそれに賭ける。このまま何もせずに神凪さんがいなくなってしまうなんて、そんなの絶対に嫌だから。


「私……みんなと一緒にいて、いいのかな……?」

「神凪さんじゃないと、ダメなんだ」


 あの日俺と出会ったのが他の誰でもない彼女だったからこそ。ミツメアイに憧れてくれたのが、他の誰でもない神凪さんだったからこそ……今、この瞬間がある。


「……そんなこと、言われたの……初めて」

「わざわざ言う機会なんて少ないし……その、言ってる側もちょっと恥ずかしいから」

「それって……お揃い、だね」


 気づくと風は止んでいた。波のさざめく音が響いて、俺はひとつ大きな息を吸う。


(結局……これになるのか)


 雪月も、日向も、俺も……誰もが一度はぶつかっていくであろうありふれた質問。答えは人それぞれだし、状況によっても変わる答えのない問い。


「────神凪さんは、どうしたい?」


 ……あとは、それを聞くだけだ。


「私は……ここにいたい」


 それに対して神凪さんははっきりとそう答え、真っ直ぐに俺の目を見てこう続ける。


「配信も続けたいし、学校にも行きたい。今の生活がすっごく楽しいから、なくならないでほしい」


 その言葉に迷いはなかった。いつものように言い淀むこともなく、自分の気持ちを告げていく。そして……


「だから、私はここにいたい……みんなと、ずっと一緒にいたい!」


 今までにないほど真剣に、心の底からそう叫んだ。


「だから、爽馬くんも……一緒にいてくれる?」

「……もちろん!」


 神凪さんが望むなら、俺もずっと一緒にいよう。俺じゃ、『理想ミツメアイ』にはなれないけど……俺なら、隣に立つことはできる。いさせてほしいと、願っている。


「……でさ。爽馬くん。のことなんだけど」

「『もう捨てた』って言ってなかったっけ?」

「……いじわる」


 遠慮がちに神凪さんが指差した先にあったのは、俺が手に持っている『アバターモーションメーカー』。何が言いたいかは分かっているが、少しだけ意地悪したくなったのは内緒だ。


「冗談だよ。スマホ、ある?」

「……うん。これ」

「『Vmotion』……あった。えっと、設定は……」


 神凪さんのスマホを借りて、俺は『Vmotion』のアプリを開く。画面に映るのは『天野ツララ』のアバター……こうなったら、やることは1つしかないだろう。


「……なんか、慣れてない?」

「き、気のせいだって。それよりほら、これ着けないと」

「う、うん……?」


 そうか、配信してなかったらそもそも使い方さえ分からないんだった。いつかは言わないといけないけど……こっちの顔ミツメアイのことは、まだ秘密にさせてもらおう。


「準備できた?」

「……うん、いつでも。背景とかは……」

「そこに最高のスクリーンがあるから大丈夫だよ」


 服の上から手足にいくつかの装置をつけ終えた神凪さんは、どこか少し恥ずかしそうだ。その背後にはどこまでも広がる海と満点の星空が広がっていて……これ以上に幻想的な背景があるのだろうか。


「じゃあ、始めるよ。5、4、3……」

「すぅーっ……」

《まだ?》

《ツララちゃん、待ってたぁぁぁぁぁぁ!!》

《サムネ真っ黒だけど大丈夫?》


 2週間休んでいた『天野ツララ』のゲリラ配信。1分前に配信の待機状態に入ったばかりだというのに、既に1万人を超える大量の視聴者リスナーたちが待機していた。


(……2、1……あっ)


 そして配信が始まるその瞬間。信じられないことが起こった。


《えっ……?》

《やばっ……凄すぎるだろ》

《映像じゃ、ないよね……?》


 まるで始まるのを待っていたかのように空に銀色の流線が流れて、夜の闇が光に満ちる……空に、星の雨が降った。


『……うわぁ、綺麗……!!』


 まるで夢のような光景。でも確かに目の前に存在していて、ひとつの奇跡を見ているようだ。そして、ずっとこの瞬間が続いてほしいと思ってしまうほどに美しくて……


(────本当に、綺麗だ)


 夢と現実が、交差した瞬間だった。

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