第32.5話 春川日向はウソをつく。

 これは、とある嘘つきな女の子の話。


 その子は少しだけ他の子よりも大人びていて……少しだけ、他の人の感情に敏感だった。


『ボク、このウサギさんの服がいい!』

『あら、こっちの服も似合ってると思ったけど……』

『……ううん、やっぱり電車の服にする』

『……ええ! すごくかっこいいわ!』

(おかあさんは、こんなボクがいいんだ……)


 その子のたった1人のお母さんは、かっこいいものが好きだった。かっこいいその子が好きだった。だから……その子は、嘘つきになることを選んだ。


 可愛い人形が好きだったその子は、戦隊ヒーローのフィギュアで遊んだ。パティシエになりたかったその子は、警察官になりたいと語った。その子のお母さんが、喜んでくれるから。


(……ボクは、これでいいんだ)


 その子は、たった1人のお母さんが大好きだった。その人が幸せなら、それでいいと思っていた。


 ────『彼女』と出会う、あの日までは。


『うわぁ、今日も全然人来ないなぁ……』

(この子、まるで……)


 画面に映っていたその子と正反対な可愛い少女は、どこか自分と似ているような気がした。嘘つきなボクと同じ匂いがして……その少女に、憧れた。


(でも、すっごく可愛い……ボクも、こんなふうに……)


 初めは高校に入る前に、ほんの少しだけ髪を伸ばしてみた。髪を纏めるヘアピンも、星がついた可愛いやつを買った。お母さんは、ちょっと悲しそうな顔をした。


 そして、入学初日。ボクの人生に奇跡が起きた。


『えっと、ここ、男子の列なんだけど……』

(────っ!?)


 憧れが、目の前に飛び出した。画面に映ったあの子とは全然違ったけど……ボクはすぐに同じ人だとわかった。だって、ボクと同じ匂いがしたから。


『あの、聞いてる?』

『あっ、その……ボク、男なんだ』

『そ、それはごめん!』


 爽馬にとってボクは、女の子に見えたなんて……可愛く見えた、なんて……その日、ボクは初めて自分を好きになれた。


(ねえ、爽馬。気づいていないかもしれないけど……ボクはずっと、爽馬のことを……)


 もしもボクの気持ちを打ち明けた後に、もう1度一緒にいたいなんて言ったら……爽馬はなんて答えるんだろう?


(……ううん、違うな)


 考えなくたってわかる。嘘つきな爽馬はきっと、ボクを傷つけたりしない。嘘つきなボクはきっと、爽馬にそんなことを聞いたりしない。だから……


「はい、緊張しないおまじない。今から神凪さんに会いに行くのにそんな顔してたら心配されるよ?」

「だからって何も言わずにやるなよ……」


 ボクは爽馬の顔を覆うように手を押し付けてその間に満面の笑みを作る。今だけは、ちゃんと上手く笑わないといけないから。


「うん、いい顔してる。やっぱり爽馬はその顔が1番だよ」

「……でも、行くっていってもどこかはまだ決まってないんだけどな」


 目は泳いじゃいけない。不安な顔をしちゃいけない。ボクは今、爽馬の友達の『日向』として……ただ爽馬の進む道を応援するだけだ。


「あっ、そういえば! 今日は見えるんだってさ、ペルセウス座流星群。いやー、綺麗だろうなぁ」

「……日向、お前……分かってたな?」

「さて、何のことだか……ほら、これで話は終わり。あとは爽馬が決めることだよ」


 だから、今だけは嘘つきになろう。もう自分に嘘はつかないって言ったけど、お母さんよりも、ボク自身よりも……なによりも大切な爽馬のために、この想いには嘘をつこう。


「……日向、本当にありがとな」

「どうしたの、急に。らしくないよ?」

「……ごめん。まだ言えないけど……ごめん」

「なんの話かな?」


 結局、まだ何も教えてくれないなんて……爽馬はやっぱり嘘つきだ。ボクには嘘をつくなって言ったくせに……まあ、お互い様か。


「いや、なんでもない。お前のおかげで……やっと、決心ついた」

「そう、なら良かった。きっと、爽馬なら────」


 きっと爽馬はこれから神凪さんのところへ行って、ボクと同じように彼女を救って……完璧なハッピーエンドだ。ボクも2人が幸せなら、それで……


(あれ……これ、なんだろ?)


 それでいいはずなのに……なんで、こんなに悲しいんだろう。こんな嘘何度もついてきたはずなのに、なんでボクは泣いてるんだろう。


「泣いてる!? ほら、とにかくハンカチを……」

(……っ、ズルいよ……馬鹿)


 そんなこと、しないでくれよ。なんでボクなんか気にするんだよ。なんでそんなに優しくするんだよ。爽馬には、神凪さんが……


(……あぁ、そっか……ボク、やっぱり爽馬が好きだよ)


 今すぐに目の前の爽馬を抱きしめたい。神凪さんよりもボクを選んでほしい。爽馬の隣で笑っているのは、ボクでありたい。その気持ちに、嘘はつけない。


「日向、大丈夫か?」

「……うん、目にゴミが入っただけ」


 でもそれ以上に目の前の爽馬が愛おしい。後悔なんてしないでほしい。爽馬の隣で笑っていられるボクでありたい。その気持ちにも、嘘はつけない。


「本当かよ……目、痛くないか?」

「大丈夫、もう平気! ごめんね、時間取らせて」


 ごめんね、爽馬。全部、嘘だよ……全部、本当なんだよ。


「そっか。じゃあ……俺、行ってくる」

「……うん」


 そう言って、爽馬はボクから離れていく。最後までボクは嘘つきのままだったけど、それでも……


(……あの時の思いは、本当なんだよ)


 ボクは上手く笑えていただろうか。今から神凪さんの元へ向かう爽馬に、元気をあげられただろうか。爽馬に貰ったものを……ちゃんと返せているだろうか。


(爽馬のおかげでボクが変われたのは……他の誰でもない君に2回も救われたのは、本当なんだよ)


 今でも一言一句覚えている。2年前、爽馬の配信で送ったあのコメントは、変わらない本当の気持ちだから。ボクにとって爽馬は、ずっと変わらずに憧れの存在で……元気をくれる存在だから。


「ねえ、爽馬!」


 走っていく爽馬の背中に届くように、ボクは大きくそう叫んだ。もしかしたら聞こえていないかもしれないし……聞こえたとしてもこんな顔を見たら爽馬は心配するだろうから、どうかこのまま振り返らないでほしい。


(ボクは、ずっと爽馬の味方だから。ずっと、ずっと爽馬だけを見てるから……)


 夏の空気は蒸し暑くて、息をするだけで体が熱くなる。話していただけなのに、心臓がドキドキする。爽馬を見ているだけで、こんなにも胸が張り裂けそうになる。


 ……そんな気持ちをかき消すように、もう一度大きく息を吸った。


「ボク、待ってる! ずっと、待ってるから……いってらっしゃい、爽馬!!」


 もしも爽馬がボクに本当のことを教えてくれたら……その決心が付いたら、ボクも爽馬に教えてあげる。本当のボクで、もう一度爽馬に思いを伝えるよ。


(もう……見えなくなっちゃった)


 たとえその時隣に誰がいたとしても、爽馬が笑ってくれるなら、絶対に後悔しないって分かるから……今はまだ、待とう。


(……こんなに辛くて幸せな嘘は、初めてだ)


 変わるきっかけをボクにくれてありがとう。この気持ちをボクにくれてありがとう。そして……


「大好きだよ、爽馬」


 ボクに、嘘をつかせてくれてありがとう。







 これは、とある嘘つきな女の子の話。

 ずっと君のことが大好きな、ボクの話だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る