第32話 星宮爽馬は正直になる。

「だから……ボクと、ずっとここに居ようよ。何もかも忘れて、さ」


 小悪魔的な笑みを浮かべながら、隣に座る日向が俺の目をまっすぐ見つめてそう告げる。顔が近い。体が熱い。俺は、何をされているんだろう。


「日向? なんで急にそんなこと……」

「……だって、すごく辛そうな顔してたから。爽馬のしたいことって、本当にそんな大事なことなの?」

「大事に……決まってるだろ」


 疲れた心の中に日向の言葉が優しく染み込んでいくのを感じる。心のどこかで抱いていた疑問が……考えないようにしていたことが、日向の口から出されて動揺してしまう。


「なんで大事なの? 何が大切なの?」

「……分からない」

「分からないのに、大事なものだって分かるの?」

「それは……」


 このモヤモヤの正体も分からないし、分かったところでその気持ちが晴れる確証もない。そもそもこんなことに意味があるのかさえ……日向のその吸い込まれそうな瞳を見ていると分からなくなってくる。


「それは、本当に爽馬に見つけられる?」

「…………無理、かもしれない」

「やっぱり、そうなんだね」


 言うまいとしていた言葉が、あまりにあっさりと口からこぼれ出た。ふっと胸が軽くなったような気がして、俺はようやく気づく。つまり、日向は……


「諦めても、いいのか?」

「それが、爽馬の『したいこと』なら」


 ……俺はずっと、誰かに諦めてもいいと言われたかったのかもしれない。諦める理由が欲しかったから、誰かに『もういいんだ』って止めて欲しかったから……目的が分からなくても頑張れたのだろうか。


(……最悪に、楽な気分だ)


 そうだ、神凪さんと出会う前とは何も変わらない。俺は配信を続けていて、隣には日向がいる。普通の学校生活を普通に送る気楽な毎日。こんなに悩むことも、苦しくなることもない。気持ち悪いくらいに理想的な生活だ。


「あと1回だけ聞くよ────爽馬は、どうしたいの?」


 既に暗くなり始めた空から、光が差したように見えた。心からそれに縋りつきたいと思った。


「もう、諦めたい。ここで……ずっと座ってたい」

「……そっか」


 自分の気持ちに正直になることにした。日向はなぜか少し悲しげな顔をしているが、それでも俺はとても楽な気持ちになれた。だから……


「でも、行くよ。神凪さんを探しに行く」


 俺は、ここには残らない。


「……ふーん。なんで?」

「本当に楽になれたし、居心地もいい。それなのに……晴れないんだ」


 胸のつっかえが取れても、このモヤモヤした気持ちだけは消えなかった。こんなにも疲れているはずなのに、まだ体が熱いままで……それは、俺にも分かることだった。


「ずっとモヤモヤして、気持ち悪くて……こんな気持ちで日向の隣に居たくない。絶対に後悔する。それは分かる。だから……今、出来ることを全部したい」

「うん……うん! さすが、ボクの爽馬だ」


 その上で失敗したら、もうその時はその時だ。今はただ自分の成すべきことを考えればいい。意を決してそう告げると、日向は満足気な顔で立ち上がり顔に明るい笑顔を浮かべてそう告げる。そして、少し首を横に振った後に……


「……むぐっ!?」

「はい、緊張しないおまじない。今から神凪さんに会いに行くのにそんな顔してたら心配されるよ?」

「だからって何も言わずにやるなよ……」


 自分自身の手のひらに『人』という文字を3回書くそぶりをした後、俺の口元を覆うようにそれを押し付けて来た。こんな強引なおまじないを俺は知らないが、それでも効果はてきめんだったようだ。


「うん、いい顔してる。やっぱり爽馬はその顔が1番だよ」

「……でも、行くっていってもどこかはまだ決まってないんだけどな」


 しかし俺が変わっても状況が変わらないことは事実。このあたりで都合良く神凪さんが見つかる可能性も低いだろうし、かといって行くアテがあるわけでも……


「あっ、そういえば! 今日は見えるんだってさ、ペルセウス座流星群。いやー、綺麗だろうなぁ」

「……日向、お前……な?」

「さて、何のことだか……ほら、これで話は終わり。ここからは爽馬が決めることだよ」


 ……ここまで言っておいてとぼけるのは無理があるだろう。でも……確かに、ならいるかもしれない。ここからじゃきっと星は見えづらいだろうから。


「……日向、ありがとな」

「どうしたの、急に。らしくないよ?」

「あと……ごめん。まだ言えないけど……ごめん」

「なんの話かなぁ」


 まだ秘密のことは言えない。だから俺が今から何をするのかも、何が出来るのかも言えない。それでも……感謝しているのは本当だ。それだけは分かって欲しかった。


(『本当の自分』とか……日向がいなかったら、考えることもなかったかもしれないしな)


 俺は理想ミツメアイにはまだ程遠いかもしれない。それでも、日向は俺に救われたと言ってくれた。雪月も、俺にありがとうと言ってくれた。


 そして神凪さんも、俺と話すのが楽しいと、俺なら受け止めてくれると思った……そう言ってくれたから、少しだけ自分を信じてみることにした。


「いや、なんでもない。お前のおかげで……やっと、決心ついた」

「そう、なら良かった。きっと、爽馬なら────」


 日向に激励されて神凪さんの所に向かおうとしたその瞬間……目の前の日向の目から、突如涙がこぼれ落ちた。


「泣いてる!? ほら、とにかくハンカチを……日向、大丈夫か?」

「うん、目にゴミが入っただけ」

「本当かよ……目、痛くないか?」

「大丈夫、もう平気! ごめんね、時間取らせて」


 なんだ、びっくりした……ここで急に泣かれたりしたらそれこそ神凪さんのところへ行けなくなってしまう。ハンカチで顔を拭った後の日向の顔が、やっぱりいつものような明るい笑顔を浮かべているのを見て安心した。


「そっか。じゃあ……俺、行ってくる」

「……うん」


 そうと決まったらまずは雪月だ。俺は公園の出口に向かって走りながら携帯を取り出し、LIMEでを用意するように頼む。そして……


(電車少なすぎだろ! これなら自転車で行ったほうが……)


 目的地への経路をスマホで検索したものの、そこへ向かう電車が来るのは今から50分後。乗り換えもあるし……かなり遠い距離ではあるものの、今から雪月に会いに行った後に駅に行くことを考えたら自転車で向かった方が早く着きそうだ。


「充電は……いける! 持ってくれよ、俺の足!」


 正直言ってもう足がクタクタだが、そんなことはどうでもいい。まだ動くなら問題ない。ただ急いで神凪さんの元へと……大切な人の所へと向かうだけだ。


(それじゃ、行くか────海に!)


 理想ウソ自分ホントも関係なく、ただ神凪さんに会いに行くだけだ。

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