第30話 春川日向は救わない。

「俺、まだあの人に告ってないのに……!」

「そんな……折角『氷の人形』と日向きゅんのやつ描いたばっかりなのに……!」

「僕は明日から何を楽しみに生きればいいんだ」


 その日の放課後、教室の中……いや、それだけではない。噂は既に学校中に伝播していたようで、学校中が1つの話題で持ちきりだった。学校一の美少女にして完璧を絵に描いたような新入生……『氷の人形』神凪氷雨が、転校するという話題で。


「みーんな、神凪さんの話ばっかり……爽馬、止めなかったの?」

「……ああ、うん」

「せっかくボクも神凪さんと話したい所を抑えたってのに! なんでそこで押し弱くなっちゃうかなぁ?」

「……ああ、そうだな」


 神凪さんがいなくなる。雪月も、きっともう口を聞いてはくれないだろう。この2日でどんどん大切な物を失っていって……俺は、それを見ることしか出来ない。


「はぁ……えいっ」

「痛いっ!? お前、急に何するんだよ!」

「すごくぼーっとしてたから。ねえ、何があったの?」


 そうやってずっとさっきのことを考えていたせいで、日向に思いっきり顔をつねられてしまった。俺はヒリヒリとする頬をさすりながら、日向に何があったのかを教える。


「……ふーん、そっか。つまり、爽馬は馬鹿ってことだね」

「何でだよ……」

「教えてあーげない。言っても分からないと思うし……今の爽馬に教えても、張り合いないし」


 ……すると、日向にまでそんなことを言われてしまった。元々解決してくれるとは思っていなかったけど……ここまではっきり馬鹿と言われても否定できない自分がやっぱり恨めしい。


「だから……そんな浮かない顔しないでよ。ね?」

「お前は嫌じゃないのか? その……神凪さんが、いなくなるの」

「もちろん、悲しいよ。でも……それはボクの役じゃない」


 役じゃない、ってどういうことだ? 何か言葉を濁されているような気もするが……


「どういう意味だよ……って聞いても、答えてくれないんだろ?」

「良く分かってるね。さすがボクの爽馬だ」

「……もう突っ込むのも疲れたよ」


 勝手に日向の所有物にされたことに関しては納得行かないが、もうそれを指摘する気力さえない。すると、日向はそれを察したようにため息をついて今度はさっきと反対側の頬をつねった。


「痛い、痛いって! なんでつねるんだよ!」

「……ねえ、爽馬。ボクからもひとつ聞いていい?」

「別に、いいけど」


 痛がる俺を見て何故か少し優しい笑みを浮かべながら、日向が俺の両頬を抑えて目を逸らせないようにしてそう聞いてくる。まるで、逃がさないとでも言うように。


「────爽馬は、どうしたいの?」

「……は?」

「はい終わり! じゃあ、ボクは帰るから!」


 ……なんだったんだ、今の。冗談にしてはやけに真剣だったし、かといって本気だとしても何を聞きたかったのか……いつもみたいに弄ばれているだけなんだろうか?


(俺も帰るか……今日は、疲れた)


 神凪さんの話でごった返している教室にいるのも何故か少し居心地が悪いし、今日は帰ることにしよう。俺は既に教室を出て行った日向の後に続くように、教室を後にしたのだった。



 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



(なんでこんな日に限って忘れ物するかな……)


 そして、それから1時間ほど後のこと。ちょうど家に着いたあたりで弁当を学校に忘れたことに気づき、急いで学校へと帰ってきたところだ……なんだろう、このデジャヴみたいな感覚は。


「誰も、いないな……」


 さっきまではあんなに人がいた教室も、今ではがらんとして寂しげな空気が流れている。2人か3人くらい残っていてもおかしくはない気もするけど……いや、どうでもいいか。さっさと弁当を回収して帰ろう。


(……あれ? 俺、何してるんだ?)


 そう思ったのだが、気づいたら足が別の人の席へと向かっていた。教室の後ろ側の扉から見える、日がよく当たる窓際の席へと……まるでそこにいない誰かを求めるように。


「そっか……前も、こんな感じだったな」


 そして、ようやく抱いていた既視感の正体に気づいた。この状況はあの日と……神凪さんと初めて出会った時とどこか似ている。違うのは彼女がいないことだけだ。


(凄い偶然だよな……どんな奇跡だよ。高嶺の花だと思ってた人が、自分の大ファンだったとか)


 天文学的な確率だろう。もしも俺が忘れ物をしていなければ、神凪さんがここで動画を見ていなければ、配信ミツメアイが成功していなければ……こんなことにはなっていない。今となっては、それが幸か不幸かさえ分からない。でも……


「……えっ?」


 何かが目元から溢れ出したことに気づき、ハンカチで顔を拭う────俺は、泣いていた。


「あれ……は? 何だよ、これ……」


 朧げになった視界の中にも神凪さんはいない。何も変わらない教室の中で、ただ彼女がいないという現実だけが重くのしかかってくる。変わったのは……


(……俺も、か)


 この教室で出会った彼女が、いつの間にか日常の中に溶け込んでいた。あの日から始まった関係を、かけがえのないものと思えるようになった。


『────爽馬は、どうしたいの?』


 その瞬間、日向の質問が頭の中にフラッシュバックした。聞いた時は分からなかったその意味がほんの少しだけ分かったような気がする。


「俺は……このままでいい。このままが、いい」


 ただ、変わって欲しくなかった。神凪さんと知り合ってから今まで、とても楽しい時間を過ごせたから……ずっとこのまま続いてほしいと思っていた。本当にそれだけだったんだ。


(なんで、今なんだよ……どうして気づいたんだよ……!)


 日向の言ったとおり……終わり際になってようやく気づくなんて、俺は馬鹿だ。今更気づいたところで何が出来る。もう、転校を止めることなんて……


「……まだ、間に合うのか?」


 流石に神凪さんを引き止めるのは難しいかもしれないけど、それでも会って話すことは出来るかもしれない。タイムリミットは明日……いや、外国に行くってことは色々手続きもあるだろうし今日中に家を出るかもしれない。だが、まだ可能性はある。


「このまま終わるなんて、絶対に嫌だ」


 もう顔も見たくないと言われるかもしれない。どうして助けてくれなかったのかと非難されるかもしれない。それでも……最後にもう1度だけ、会って話がしたい。


「そうと決まったら────」


 時間は有限、急いで行こう。そう思って教室を出ようとした瞬間、携帯が鳴っていることに気づく。画面を見ると、雪月からLIME電話が来ていた。


『やっと出た! アンタ、今どこにいるの!?』

「何だよ、いきなり!? 今は学校にいるけど……」

『どうして……いえ、今は丁度いいわ』

「いや……何が? どういうこと?」

『説明してる暇はないから、落ち着いて聞きなさい。実は────』


 とても慌ただしい声をしているが、何があったのだろう。それに、丁度いいってどういう意味だ。


 いろんな疑問が頭に浮かんだが……その直後に雪月が発した言葉により、そんなものは全て吹き飛ばされることになる。


『────氷雨先輩が、いなくなったの』

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