第15話 神凪氷雨は呼んでほしい。

「神凪さんに来てもらって正解だったよ。1人じゃこの量はキツかったかも」

「ウルトラビッグプリンスセットって……春川くん、よく食べるんだね」


 家から徒歩15分程度の距離にあるハンバーガー屋のバーガープリンスに昼飯を買いに行った帰り道、俺と神凪さんは他愛もない話をしながら昼下がりの街中を歩いていた。


「日向は見た目に反して結構食べるから……それよりむしろ俺は雪月がこれだけで足りるのか不安かな」

「雪月は、少食だから……多分、私と星宮くんくらいの量が普通……だと思う」


 日向には総カロリー1000kcal超えの超大盛セットを買ってくるようにLIMEで頼まれたし、逆に雪月は1番小さいバーガー1つだけで良いと言っていた。正直、2人とも体調を崩さないか心配である。


「雪月と日向がおかしいのは確かだから安心して良いと思うよ。そもそも健康的にこの量は……って、どうかした?」

「……何が?」

「なんというか、怒ってる?」

「気のせい……気にしないで」


 そうして2人のことについて話していると、なぜか神凪さんの機嫌がまた悪くなってしまった。というか今日の彼女は全体的にどこか変な気がする。


「えっと、もしかして勉強に集中出来てなかったから?」

「違う。星宮くんはちゃんと……じゃなくて、怒ってない」

(きちんと怒ってるなぁ)


 流石にその誤魔化しかたには無理がある。勉強が原因じゃないとしたら、神凪さんが俺に怒る理由ってなんだ? 俺はその答えを考えながら、気まずい空気の流れるやけに長い帰り道を歩いていく。


「────でさ、今日も春菜と里香がマジでテストやばいらしくて!」

「結愛、勉強『は』出来るからね〜。私にも教えてよ!」

「……いいなぁ」


 すると彼女がふと通りかかった女子の会話を羨ましそうに聞いていることに気づいた。その瞬間、俺はようやく彼女の機嫌が悪かった理由に見当がつく。


「……あの、その……氷雨さん?」

「────っ!?」


 前に話していた時にやけに不貞腐れていたことも、雪月や日向のほうを見て何かを呟いていたことも、そしてさっきの会話を見ていたことも……もしかしたら、神凪さんは名前で呼ばれたかったんじゃないだろうか。


(よく考えたら誰も名前で呼んでないからな。雪月は先輩って付けてるし……)


 そう考えたらいつも通り話していただけなのに急に変になったのも納得できる。神凪さんからしたら俺と雪月はほとんど初対面と言って良いはずなのに、その上でお互いが当たり前のように名前呼びしてたら疎外感を憶えるのも仕方ない。


(まあ、これで間違えてたら土下座ものだけど……)

「あっ……名前……今の、私の名前……?」

「それはどういう反応なの?」


 今の神凪さんは動揺しすぎてもはや記憶喪失状態になってしまっている。これじゃ正解とか不正解とかを通り越して、そもそもコミュニケーションが取れるかさえ怪しい。


「ごめん、急に名前で呼んで。流石に馴れ馴れしすぎたかも」

「いや……えっと、その……そうじゃなくて……」


 だが落ち着いて考えるとかなり早計だった自覚はある。そもそも高校生になってから女子を名前呼びすることなんて無かったし、唐突に呼び方を変えてしまったら驚いてしまうだろう。そう思ったのだが……


「えっと……爽馬、くん?」

「あー……それ、俺の名前?」

「……それ、どういう感情なの?」


 なぜか神凪さんも便乗するように呼び方を変えてきて、少しむずがゆい感覚がする。それは急に呼び方を変えた違和感から来るものか、あるいは────いや、きっと違うな。


「やっぱり神凪さんは神凪さんかな」

「……私はむしろ、爽馬くんのほうがしっくりきたけど」

「本当? なんか気まずいんだけど」

「春川くんも、雪月もそう呼んでるし……ダメ?」


 入学してからずっと神凪さんと呼んできたせいか、苗字で呼ぶほうがやっぱり違和感がなくて良い。彼女に名前呼びされるのは……どうにかして慣れることにしよう。


「別に、どっちでも良いよ。呼びやすいほうで呼んでくれれば」

「……爽馬くんは?」

「俺は今まで通りに呼ばせてもらうよ」

「爽馬くん、かぁ……うん、いい感じ……」

(何度も呼ばれると恥ずかしいんだけど……まあ、いっか)


 何度も確かめるように下の名前を呼ぶ神凪さんを見て、思わず少し笑ってしまう。運動している時も勉強している時も、あるいは日常生活でさえハイスペックの塊みたいな彼女が小さく、しかしまるでおもちゃを買ってもらった後の子供のようにはしゃいでいたものだから……


「どうしたの? 私をじっと見て……なんか、付いてる?」

「いや、楽しそうだなって」

「うん……楽しいよ。前よりもずっと……爽馬くんの、おかげ」

「それならよかった」


 この人は無自覚にそういうことを言うからいけない。そう言ってくれるのは嬉しいけど、それでも……


(でも、やっぱりなんか変な感じだ)


 恥ずかしさと似ているけど何かが違う。思わず体の中がむず痒くなって、きまりが悪くて仕方がないのに……それでも嫌には感じない不思議な感覚。最近、やけにその『痒さ』を感じることが多くなった気がする。


「……って、早く帰らないと。日向が雪月に壊される前に」

「まさか、雪月そんなことするわけ……うん、急ごう!」

「ちょっと神凪さん、早いって!」


 そんなことを考えていたらいつのまにか歩くスピードがかなり落ちていたようで、本当ならもうとっくに家に着いているはずなのにまだ帰り道の折り返しにさえ到着していなかったことに気づく。


 俺は軽い足取りで先を行く神凪さんの後ろを、両手に抱えた昼食を崩さないように必死に追いかけたのだった。



 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



「それじゃ2人とも、また月曜日に」

「今日はありがとね。行きましょ、氷雨先輩!」

「じゃあ……バイバイ、爽馬くん」

「そっ……アンタ、覚えときなさいよ!」

「何を!?」


 その後も勉強会は続き、気づいたらもう夕方の6時。神凪さんと雪月が用事(はいしん)で帰ることとなり、俺と日向は仲良さそうに帰っていく2人の後ろ姿を玄関の前で見送っていた。


「日向はどうする?」

「うーん、もうちょっと勉強したいけど……」


 今日は結構勉強出来たが、それでもまだ不安があるのは否めない。かと言って1人になったら多少サボってしまう自信があるし……あっ、そうだ。


「じゃあ泊まってくか? 明日も休みだし」

「……っ、何言ってるの!? それセクハラだよ、セクハラ!」

「お前が何言ってるんだよ」


 いい提案だと思ったのだがどうやら何かが日向の気に障ったらしく、怒ったように顔を真っ赤にして俺をグーで叩いてくる。日向よ、流石に理不尽すぎないか。


「本当、爽馬はデリカシーを学んだほうがいいよ! 本気で通報しようかと思ったもん!」

「警察の人に迷惑だからシンプルにやめて?」


 同性の同級生に家に誘われたから通報したとか言ったら警察の人も困るからやめろ。日向って話したり遊んだりする時は普通なのに、たまにこういうところがあるからよく分からないな……


「……あの2人には、そんなこと絶対言わないくせに」

「それはお前、女子に泊まっていけとか言ったらそれこそアウトだろ」

「それなら────あー、もういい! 帰る!!」

「ちょっと待っ……何だったんだ、今の……」


 結局、日向もそのまま走って帰ってしまった。あまり長く続けられる自信はないが、今日は1人で勉強するしかなさそうだ。


(……とりあえず、神凪さんから教わった所の復習だな)


 俺は家の中に入り、今日の時間を無駄にしないためにもとりあえず勉強会の復習をすることを決めたのだった。

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