第2話 神凪氷雨は推しが尊い。
「お願いします! 誰にも……誰にも、このことは言わないでくださいっ!!」
「……えっ?」
俺は驚きのあまり、ついついそんな間抜けな声を漏らしてしまう。
(この人、本当にあの『氷の人形』なのか……!?)
だが仕方ないだろう。誰とも群れず、話さず、無関心で無表情なはずの『氷の人形』が、顔を真っ赤にしながらなぜか俺に向かってそう頼んできたのだから。
「その、だから、今のは誤解なの! これは、えっと……そう、劇の練習! 文化祭の劇の練習だから! ほら、浦島太郎にこんなシーンあったでしょ!? だから、可愛い女の子の動画を見て発狂してたとかそういうわけじゃなくて……」
「分かった、分かったから落ち着いて! 色々とめちゃくちゃになってるから!」
ちょっと一旦落ち着いてほしい。自分で墓穴を掘りまくってるし、パニックになっているのが丸分かりだ。
俺はまだ何も言ってないし、文化祭はまだ半年後だし、そもそも浦島太郎は尊死しないはずだ。というか限界化オタク版浦島太郎とかどの層に向けた劇なんだよ。
「ひぃ、ひぃ、ふぅ……ひぃ、ひぃ、ふぅ……うん、大丈夫……」
「それ効果あるの?」
「う、うん……こうしたら、安心できるから……」
だからといって急に産気づくのは怖いからやめておいた方がいいと思うのは決して俺だけではないはずだ。というか……
(なんか思ってるより普通の子、なのか? いや、決して普通ではないけど)
何というか、思っていたイメージと違う。もっと冷酷で、冷徹で、人間味のない人だって思っていたんだけど……いざ話してみると特にそんな感じはしない。
「あの、なんか勝手に見ちゃってごめん」
「それは全然、大丈夫……すっごく、びっくりしたけど……」
「そっか、なら良かった」
「……うん」
結局、さっきのことがうやむやになったまま会話が途切れてしまう……気まずい。非常に気まずい。話が続かないってこんなにもしんどいのか。
(何か話題を探さないと……)
目を凝らし、耳を澄まし、何か話せることはないかと必死で周囲を観察する。そうだ、さっき神凪さんが見ていたのは……
「……でも、神凪さんもVtuberとか見るんだね。結構意外かも」
「だからこれは劇の……ううん、そう、なんだ……可愛い女の子が話してるのとか好きで……なんで、分かったの?」
「うーん、聞こえてきた声の質とか?」
諸事情があって、Vtuberについては少し詳しいからな。ボイスチェンジャーを使っていそうな声に、どこかで聞いたようなパターンの編集音だし。
既視感はあるものの、画面を見ていないため誰を見ていたのかというところまでは思い出せない。だがVtuberを見ていたということはなんとなく分かった。
「……もしかして、星宮くんもVtuberとか好きなの!? Vtuberとかよく見たりするの!?」
「ま、まあ好きというか、よく見るというか……そんな感じかな……」
瞬間、神凪さんの目が輝く。いつも通りの無表情ではあるものの、その顔がどこか嬉しそうなことはさすがに分かった。
「誰を見るの!? 誰推し!? えっと、私は────」
「ストップ! 近い、近いから! 落ち着いて神凪さん!」
「あっ……ごめん、嬉しくてつい……」
テンションが上がった神凪さんに目と鼻の先まで詰め寄られて、俺は思わず引き剥がしてしまう。神凪さんほどの人にここまで近づかれるのは心臓に悪すぎる。
また俯いて申し訳なさそうにしている神凪さんをフォローするように、俺は話題を変えてまた話しかける。
「でも、神凪さんもそんな顔するんだね。もっと冷たいというか、無関心というか、怖い人だと思ってた」
「怖い……? 私が?」
何故か分からない、と言わんばかりに神凪さんは首をかしげて俺にそう聞き返してくる。いや……まさか、無自覚にあんな塩対応してるのか? そう疑問に思って、俺は神凪さんにさらに詳しく聞いてみる。
「ほら、今日の放課後だって告白された時に……」
「そ、それはっ……」
だがしかし次の瞬間、神凪さんは突如目を見開いて固まった。そして、徐々に顔が赤くなっていき……
「お願い、忘れて……あれは、話を早く終わらせたくて……こんな顔、見られたくなくて……」
(単純に恥ずかしかっただけかよ!?)
ってことは……ラブレターを貰わなかったのはすぐに話を切り上げるためで、机に帰ってすぐに寝たのは表情を隠すため? じゃあ、もしかして……
(神凪さんって、ただ恥ずかしがりなだけなのか?)
無表情なんじゃなくて、どう感情を表現したらいいか分からない。無口なんじゃなくて、何を話せばいいのか分からないだけなんじゃ……
そう思っていると、神凪さんが俺の心を見透かしたように話し始めた。
「あのね、私……人との関わり方が、分からなくて……話すのも下手だし、どんな顔したらいいか分からないし……」
「でも、さっきは楽しそうだったよ?」
「あれは……私が好きなこと、だから……」
うん、その気持ちはよく分かる。実際、俺の友達にもそういう奴はいるからな……それでも本当に楽しそうに話すから、心からVtuberが好きなんだってことは伝わってきた。
「……だから、人とあんまり話さないようにしてて……私と話すのなんて、嫌だろうし」
「……そっか」
「星宮くんも困ってたし……ごめん、なさい……」
そういって俯く神凪さんの姿は、あの『氷の人形』とは思えないほど弱々しく見えた。でも……
「困ってないよ」
「……えっ?」
「だから、別に困ってないし嫌でもないよ。驚きはしたけど、神凪さんがそういう人だって知れたのは嬉しいし」
神凪さんは何か勘違いしているようだ。別に俺は彼女に『氷の人形』であることを求めているわけでもないし、ましてや嫌だなんて思ってもいない。
「でも……気を
「まさか。むしろ、神凪さんが気を遣い過ぎなんだよ」
なるほど、神凪さんはただ優しいだけなんだ。人のことを考えすぎるから、人との関わりそのものを避けてしまう。人との関わりを避けるから、さらに話せなくなっていく。ただ、それだけ。
「……嫌じゃ、ない?」
「うん、全く」
「本当に?」
「むしろ楽しいよ」
「……そう、なんだ」
そう言うと少しホッとしたような表情を浮かべた神凪さんからは、もうさっきのような弱々しい感じはしない。落ち着いていて、優しい雰囲気で……多分、これが本来の彼女なんだろう。
(……って、なんだこの雰囲気! 気まずい!)
ダメだダメだ、なんか真面目に話してるとくすぐったくて変な感じがする。どうにか別の話題を……
「そ、そういえばさ! 神凪さんはさっき誰の配信見てたの? 最近人気の『天野ツララ』とか?」
「あっ、それは……ううん、星宮くんなら、いいよね……」
少し驚いたように目を見開いた後、神凪さんは机の上に置いていたスマホを取って俺にその画面を見せる。そしてその画面に映っている動画を見た途端……
(……えっ?)
俺の背筋は凍りついた。
「あ、あの、まさか、神凪さんがさっき見てたのって……」
「うん。この子が私の推し。『ミツメアイ』ちゃんって言うんだけど……」
そこに映っていたのは、見覚えしかない満面の笑みを浮かべながら聞き覚えしかない声で楽しそうに話すVtuberの美少女『ミツメアイ』。
Vtuberの女王なんて呼ばれており、その知名度はVtuber界隈でも飛び抜けてトップ。配信を見たことがなくても多くの人が名前を知っているくらいの超人気配信者だ。
「本当に可愛くて、元気で、私とは正反対で……はぁぁぁぁぁ、尊い…… やっぱりミツメアイちゃん可愛すぎる……腎臓売ってでも貢ぎたい……しゅき……」
「そ、そうなんだ。あはは……」
それを見る神凪さんの表情はとても恍惚としており、本当に推しを好きなことが伝わってくる。だがしかし、俺の内心は穏やかではなかった。だって……
(言えない……それ俺だよ、なんて言えない……!!)
神凪さんの推しは────俺が見せられている登録者300万人越えの美少女系Vtuber『ミツメアイ』の正体は、他でもない俺なのだから。
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