第21話 春川日向は語りたい。

「なあ、どこまで行くんだ? まあまあ歩いてるぞ」

「いいから、ついてきてって! 凄いのみせてあげるから」


 日向に言われるがままについていくこと10分ほど。まだ目的地につかないのかと思いながら浜辺を歩き続けていた。

 

「……着いたよ! ここの高台の上からだと、すっごく海が綺麗なんだ」

「これ……津波用のやつだろ。勝手に登っていいのか?」

「大丈夫、小さい頃にも何回か登らせてもらったし!」


 本当に怒られないのだろうかなんて思いながら、しかし断ることもできず上へと登っていく。15メートルほどあるようで、頂上まで登っていくのも一苦労だ。だが……


「おお、これは……確かに綺麗だな」

「でしょ? 爽馬に見せてあげたかったんだ」


 高台の上から見えたのは、今まで見たことがないほどに綺麗な夜の海。月明かりが水面に反射して、暗い夜の帳の中で宝石が煌めいているように見えて……思わず息を呑んでしまうほどだった。


「……で、何が目的だ?」

「なんの話? 特に何もないけど」


 確実に嘘だ。勉強会の時しかり、今回の海水浴しかり、なるべく大人数で遊ぶことの方が好きな性格をしている日向がを誘ったんだ、何かあるに決まってる。それに……


「お前は隠し事してる時に目が泳ぐんだよ」

「えっ!? ボク、そんなに……」

「かなり分かりやすいぞ」


 これでも高校では1番仲のいい友達なんだ、まだ4ヶ月ほどしか経っていないがそれでも嘘をついているかどうかくらいは分かる。


「勝手に心読むとかヒドくない?」

「さっきの仕返しだ。言質は取ったぞ」

「はぁ……敵わないなぁ。性格悪いよ、ホント」

「そういうのはもうちょっと嫌そうな顔で言ってくれ」


 これで逃げ道は無くなった。日向が何を話すつもりなのかは知らないが、わざわざ誰にも聞かれないところまで来たんだ。きっと……


「あのさ、ボクの叔母さんから何を言われたの?」


 やっぱりこの話か。きっと日向は昼に俺とあの人が話しているのを見た時から、薄々何を話しているかということには勘づいていたのだろう。


「別に。ただの恋バナだよ」

「うへー、気持ち悪い。自分の叔母さんと同級生の恋バナとか聞きたくもないよ」

「だろ? だから……」

「……茶化さないで、答えて」


 一応、誤魔化せないかと試してみたものの案の定無理だった。今までに聞いたことがないほど低い声で質問してくる日向を見て、俺は本気で腹を割って話さないといけないのだということを自覚する。


「お前を見とけ、って。心配してたよ」

「それだけ? 他に何か言ってなかった?」

「詳しいことはお前から聞けってさ」

「そっか……やっぱり優しいね、叔母さんは」


 いつもの天真爛漫な笑顔とは違う、どこか影が差したような笑みを浮かべながら日向は寂しげにそう呟く。その目はおぞましいほどに真っ直ぐ前を向いていて……まるで別人のようだ。


「それで、聞かせてくれるのか? まさか質問だけして終わりなんてないよな?」

「なに、脅迫? 怖いなぁ……通報する?」

「茶化さないで答えてくれ」

「……今日の爽馬、なんかキャラ違くない?」


 だが、今度はこちらの番だ。俺だって少しは真面目に話したんだし、日向からも聞く権利はあるだろう。


「はぁ……どこから話せばいい?」

「とりあえず、男装してる理由かな」

「それ思いっきり核心なんだけど……まあ、いいや。教えてあげるよ」


 そうして、少し気まずそうな顔で日向は語り始める。日向に何があったのか、何が日向をそうさせるのか……そのいきさつを。


「ボクはさ、小っちゃいころはいわゆる普通の女の子だったんだ。可愛いものが好きだし、可愛いことが好き。かっこいいものも嫌いじゃなかったけど興味はなかった」

「……本当に、普通だな」


 ゆっくりと話す日向の声はどこか昔を懐かしむようで、また他人の過去を語っているような違和感がある。不思議な感覚だ。


「……でも4歳くらいの頃にさ、見ちゃったんだよ。ボクのお母さんが、他の男の子を見て……すごく羨ましそうにしてるのが」


 4歳って、まだ物心ついて1年程度のことじゃないだろうか。もし日向の言っていることが本当だとしたら、日向は相当周りをよく見ている子だったのだろう。


「それで試しに『男の子っぼいこと』をしてみたら……お母さん、すっごく嬉しそうで。きっと男の子が欲しかったんだろうな、お母さんは」

「嬉しそうって……それ、お前は……」

「ボクはお母さんが喜んでくれるだけで嬉しかったよ。マザコン、ってやつ?」


 それは……どうなんだろうか。確かに男の子が欲しい、女の子が欲しいと思うのは勝手だが、それをどう思うかも日向の勝手だ。


「だから、ボクは男の子を続けてる。ずっと、ずっと……お母さんが喜んでくれたら、ボクも嬉しいから」

「……何だよ、それ」


 それでも、俺は自分自身のことを話す日向の姿を見て強烈な違和感を覚えた。だってこれじゃ、まるで────


「────代わり、みたいじゃないか」

「実際、合ってるかもね。ボクは女の子だったけど見た目が中性的だったし、男の子であることを望まれた。代わりだとしても、喜んでくれるならそれでいい」


 全部、辻褄が合った。叔母さんの言葉も、日向が男装していることも。


「日向は嫌じゃないのか?」

「嫌じゃないよ。お母さんは喜んでくれるし」

(……確かに、心配するわけだ)


 ……なるほど、この言葉に嘘はなさそうだ。そして、だからこそ日向の叔母さんが俺に頼んだ理由が分かった。日向を見てくれと言っていた理由が……『ちゃんと』見てくれ、と言っていた理由が。


「なら、日向はんだ?」

「だから、ボクは……」

「誰かが喜ぶから、とかじゃなくて……お前はどうしたいんだよ、日向」


 日向は、自分を勘定にいれていない。それが危ういと思ったからあの人は俺にあんなことを頼んだんだ。もし本当にそれだけのために動けるなら、男子のように振る舞うのが本当に日向のしたいことならば、先日みたいに女子としての日向になることもないはずだ。


「それは、どうでもいいよ」

「どうでもいいって……でも……」

「……大丈夫だから」

「だから……そういうのは、もっと大丈夫そうな顔で言えよ!」


 今の表情はとても大丈夫と言っている人間のものとは思えない。あまりにも作り笑いが見え見えだ。そんなので大丈夫だなんて言うな。やっぱり……


「大丈夫ならなんでここに呼んだんだ!? なんで女子の恰好してたんだ!? なんで『蒼井ハル』になった!? お前、本当は────」

「爽馬には分からないよ!!」


 しかし、俺の言葉は日向の怒声によって遮られた。初めて日向の見せた怒りの顔は、怖いというよりも悲しいという言葉の方が合っているように見える。


「ボクだって爽馬みたいになりたい! でも……ボクじゃ出来ないんだよ! そんなの、爽馬には分からないに決まってる!!」

「俺、みたいに……?」

「……ううん、忘れて。とにかくボクには無理なんだよ」


 そうして泣き出した日向を見ると、俺はなぜか苛立ちが湧いてきた。さっきも、いつもより何故か語気が強くなって、追い詰めるような言い方をしてしまって……もう今は、お互いに話にならなさそうだ。


「ボクは……ボクのままじゃ、ダメなんだよ……」

「……悪かった。少し、言いすぎた」

「大丈夫……帰ろう、爽馬。2人が待ってる」

(……もっと元気な顔で言えよ、馬鹿)


 結果、その苛立ちも消えず……感情の整理がつかないまま、俺たちは無言で帰っていったのだった。

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