第8話

 どれくらいの時間が過ぎたのだろう。

 目を開けた途端、リタの目に飛び込んで来たのは、目映い光だった。

 魔法の光が灯されているとおぼしきランプが、等間隔で吊されている天井。それは……

 それは紛れも無く、あの『大迷宮』の天井では無い。

 だったらここは……

 ここは、一体?

 リタは、小さく胸の中で呟く。

 だが。

 次の瞬間、リタは、はっ、と息を呑んだ。

 そうだ。

 それよりも……

「……っ」

 ぼんやりとしていた意識が、瞬時に覚醒する。

 そのままがばっ、とリタは身体を起こした。

 そこで、初めてリタは、自分が横になっている事に気づいた。

 だけどその感触は、奇妙に固く、しかも随分と狭い。しかもすぐ目の前に、テーブルの様なものがあるのが見えた。

「ここは……?」

 リタは呟いた。


 最初に目に飛び込んできたのは、ピカピカに磨かれた木製のテーブルだった。

 そのテーブルを囲む様に長椅子が並んでいる、リタが眠っていた椅子は、そのうちの一つだ。

 それらと同じテーブルのセットが、いくつも並んでいる、数は全部で八つ。

 リタはそれを見て、ようやく納得した。

 かつて仕えていた神殿のある街の中でも、こんな風景を見た。

 そう……

 ここは、レストランだ。神殿のお使いなどで遠くへ行った時など、帰りによく寄って食事をした事がある、あまりお金が無いから、高価な物は食べられなかったけれど、神殿ではあまり食べられないような物が食べられるので、遠くまでのお使いの日は、皆にとってはこういう場所で食事が出来る楽しみな日だった。

 だが……

「……どうして……」

 リタは呟く。

 そうだ。

 自分は……つい先ほどまで『大迷宮』にいたはずだ。

 そこで……

 そこで自分は、ゴブリン達に襲われて……

「っ」

 そこでリタは息を呑んだ。

 そうだ。

 あの二人。

 あの二人の仲間は、どうなった?

 リタは、慌てて椅子から立ち上がった、その拍子に椅子が揺れて小さい音が響いたけれど、そんな事を気にしている場合では無かった。

 とにかく早く、あそこに戻らないと……

 そう思っていた時だった。


「起きたのか?」


 声がする。

 低い、男性の声。

「……っ」

 リタは、思わずびくっ、とした、声がするまで、リタは、この場所に自分以外の誰かがいるという事に全く気がつかなかった。

 つまり相手は、それほどまでに完璧に気配を殺していた、という事だ。

 それはつまり、今の声の主は、それだけの猛者である、という事に他ならない。

 リタは、思い出す。

 そうだ。

 あの時、ゴブリンに襲われていた自分の前に現れた人影。

 リタは、恐る恐る、という感じで、声がした方に顔を向ける。


 レストランの奥、カウンターの向こう側。

 そこはどうやら厨房になっているらしい、とん、とん、とん、と、野菜を切る音が響いている。

 そこに、一人の男が立っていた。

 リタは、じっとその男を見る。

 銀髪の、長身の男だった。金持ちに仕える執事が身につけている様な燕尾服を身に纏い、その袖を捲り上げて料理をしている。

 包丁を握る腕は太く、熟練の戦士、という雰囲気が漂っていた、猛禽類を思わせる鋭い目つきに、浅黒く日焼けした肌、その雰囲気は、どう見ても料理人、という風情では無い。

 しかし男は、包丁で切った野菜を、丁寧な手つきで横に置かれた大きな鍋の中にぽちゃ、ぽちゃ、と沈めて煮込み始めた。

 男はそのまま、何も言わずに、別な皿に乗せられた肉の団子を、これも一つ一つ鍋に入れていく、丁寧だが、その動作には一切の無駄が無い。きっと彼はそれほどまでに優れた料理人なのだろう。

 ぷん、と良い匂いが鼻を突いた、そこで初めてリタは、自分が『大迷宮』に入る前から、ほとんど何も口にしていない事を思い出した。

 だけど。

 だけど今は、それよりも先に、この男に聞かねばならない事がある。

「あの……」

 リタは、男に問いかけ様と、カウンターの方に向かって歩き出そうとした。

 途端。

 ぐらり、と。

 リタの身体が、傾いた。

「っ!?」

 近くのテーブルの縁を、咄嗟にがっ、と掴んで、どうにか倒れる事だけは免れた、けれど。

 身体が、重い。

 まるで全身が鉛になってしまった様に重く、手や足が上手く動かせない。

 一体……

 一体、これは……

 リタは、ぎゅっと目を閉じた。

 息が荒くなる。

 全身から汗が噴き出す。

 立っているのが、だんだん辛くなってくる。

 一体自分は……

 自分は……どうなってしまったのだろう?

 そう思っていた時だった。


「座れ」


 声がする。

 低い声。

 その声に、リタはのろのろと顔を上げる。

 男が、いつの間にかリタの前に立っていた、両手には、湯気をたてるスープ皿が載ったトレイを持っていた。

 スープ皿からは、湯気と一緒に美味しそうな匂いが漂って来ている、魚介類の匂いだろうか? だがリタには、何で出汁を取ったのかは解らない、そもそも料理には疎いのだ。


「座れ」


 男が、もう一度言う。

「……で でも……」

 リタは呟く。

「どのみち……」

 男が言う。

「立っているのも、辛いのだろう?」

 その言葉に。

 リタは、黙り込んだ。

「座れ、そしてまずは食え」

 男が言う。

 リタは、その言葉にゆっくりと椅子に座る。

 男は黙って、トレイをリタの前に置いた。

 肉団子と野菜のスープ、それを見た途端、リタのお腹がくぅぅ、と可愛らしく音をたてた。

「っ」

 思わず赤面してお腹を押さえたけれど、男は何も気にしていない様子だった、正面に座り、黙ってリタを見ている。

「……それじゃあ、あの……」

 リタは、トレイに載っているスプーンを手に取る。

「いただきます」

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