第15話

「……おはよう、ございます」

 リタは、姿を現した男に頭を下げる。

 男は何も言わない。黙って厨房に入り、昨日と同じく、燕尾服の袖を捲り上げ、料理の仕込みを始めた。だけど。

 その男の動きが、一瞬ピタリと止まる。

「……あの」

 リタは、ゆっくりと……

 ゆっくりと、カウンターに近づいて行く。

「お願いしたい事が、あるんです」

 リタは、カウンターの前に立ち、厨房に立つ男に向かって言う。

 男は、リタの方を振り返る。

 リタは、その男の目を、真っ直ぐに……

 真っ直ぐに、見据えた。

 そして。

「私を、『大迷宮』に連れて行って下さい」

 男は何も言わない、ただ黙って。

 黙って、リタを見ていた。


「……私は」

 リタは言う。

「……ご覧の通り、『至高神』に仕える『神官』です、まあ、まだ『見習い』ですけれど」

 実際には、『見習い』という立場でありながら、『神殿』を無断で飛び出してしまった訳だから、もしかしたらもう、『神殿』からは除籍されていて、『見習い神官』ですら無くなっているのかも知れないが、リタはそれは、敢えて口には出さずに続けた。

「でも、私にも、ほんの少し……『至高神』のお力を借りて『奇跡』が起こせるんです」

 リタは言う。

 『奇跡』と、『神官』達は言っているけれど、実際には……

 実際には、それは『魔道士』達が扱う『魔法』と変わらない、一体、自分達が起こす『奇跡』と、魔道士達の『魔法』とは、何処が違うのだろう?

 そんな疑問が頭に浮かぶ。だがリタは、すぐにその考えを追い払った。今は、そんな事よりも考えねばならないことがあるのだ。

「私が起こせる『奇跡』は、『光』の『奇跡』です」

 リタは言う。

 男は、そこで一瞬だけぴくん、と眉を跳ね上げた。

「……もっと修行を積んで、正式な『神官』となれば、『光』の力で、『魔物』を攻撃したり、不浄な者達を『浄化』したりも出来るそうですけれど、生憎と、私はまだその域には達していません」

 リタは、早口で告げた。

「だけど、灯りくらいは作れます」

 リタが言うと、男はゆっくりと……

 ゆっくりと、リタに向かって歩み寄ろうとした。

「……その中を、少し調べました、凄いですね、食材を保管している、あの地下の収納箱、ずっと中が冷たいなんて、どんな仕掛けなんですか?」

 リタが問いかける。

「『氷』の魔法を、『魔法』の力を吸収する性質がある特殊な鉱石で造った筒の中に込め、常に冷気を放出し続ける、『魔導機関(まどうきかん)』という代物だ」

 男が言う。

「食材を色々と保管するのに役に立つ、取り分け生の肉っていうのは腐りやすいからな、必要不可欠なんだ」

「『魔導機関』……」

 リタは呟いた。確かに、都の方ではそんな物が研究、開発されている、という噂を耳にした事があるけれど、まさか実物をこの目で見られるなんて……

「だけど……」

 リタは、じっと男の目を見て言う。

「中のお肉は、随分と少なかったですね」

 リタは言う。

 男は黙ったままだ。

「……私を助けたから、昨日は、あの程度のお肉しか手に入れられ無かった、そういう事じゃないですか?」

 男は何も言わない。

「だから、もう一度取りに行かないと、せっかくのスープがもう二度と作れませんよね?」

「それに同行させろ、という事か?」

 男は問いかける。

「はい」

 リタは、頷いた。

 そうだ。あのスープは、あそこにいたゴブリン達の肉を使わねば、もう作れないのだ、もちろん他の肉で代用出来るかも知れないが、それにしても、肉を調達せねば、どのみち料理は作れない。

 だからこそ、この男は絶対に……

 絶対に、もう一度『大迷宮』に入る。

 そこで……

 そこで自分は……

 リタは目を閉じる。

 『自分の人生』。

 男に言われた言葉を思い出す。

 今のリタの人生。

 リタが、今……

 今、したいと思っている事。

 解らない。だけど……

 だけどやはり……どうしても……

「……お願いします」

 リタは言う。

「私は、どうしても、兄に会いたいんです、たとえあの……」

 リタは目を閉じた。

「あの、『タグ』だけになっていたとしても」

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