第14話

 それから。

 リタは、何も言えずに黙って項垂れていた。

 頭の中も、心の中も乱れている。

 自分の。

 リタ自身の人生。

 それは……

 それは一体……

 男はその間にも、厨房に立って色々と作業をしていた、リタはこういうレストランの厨房で、どんな仕事があるのか知らなかったけれど、次の料理の仕込みをしているのだろう。


 やがて。

 仕込みを終えたのか、男がゆっくりとした足取りで厨房から出、リタに歩み寄って来る。

 リタは、そこでようやくゆっくりと項垂れていた顔を上げる。

「さて」

 男が言う。

 その手には、大きめの毛布が握られている。

「そろそろどうするのか決めたか?」

「……いえ」

 リタは、首を力無く横に振る。

「そうか、だが、残念ながらもう時間だ」

 男は言い、リタに毛布を差し出す。

「生憎と、ここはレストランであって宿屋じゃない、寝室は、この俺が寝る為の一室しか無いんだ」

 男は冷たく言う。

 リタは、黙って毛布を受け取った。

「街に帰るというのなら、馬車は明日の朝呼んでやる、とりあえずはそいつでも被って今夜はここで寝ろ」

 そこでリタは、ようやく窓の外が、いつの間にか日が落ちている事に気づいた。確かにこれでは、馬車を呼んでも来れないだろう。

 『大迷宮』に戻ろうにも、この暗さの中、外を歩くのは危険だろう。

「……解り、ました」

 リタは頷く。

「今夜は、とりあえずお世話になります」

 リタはそう言って、男に深々と頭を下げる。

 男は何も言わない。黙ってリタに背を向けると、ゆっくりとした足取りで店の中のランプを消し始めた。

 最後に厨房と、リタの眠っている席の上のランプを消した、テーブルの上にだけは、まだ小さいランプが灯っていた、男はリタの向かいに座る。

「寝る時間になったら、そのランプは自分で消せ、それと解っているだろうが、おかしな真似はするなよ? 店の中を荒らしたりしたら、俺はすぐに解る」

「……はい」

 そんな事はしない、と言おうとしたけれど、リタには何だか、その気力も無かった。

「では、さっさと寝ることだな」

 男はそのまま椅子から立ち上がると、もう振り返りもしないで、そのまま店の奥へと歩いて行く。

 厨房のスペースの横、そこに、小さい木製の扉がある、男は黙ってそこを開けた。

 その中も、今の店内と同じくらいに真っ暗だったけれど、それでもどうやら階段になっているらしいことは解った、多分二階に、あの男の私室があるのだろう。

 そのまま男は、扉をばたん、と閉め、がちゃ、と鍵をかけていった。

 リタは黙ってそれを見ていた。

 だけど……

 ややあって。

「……兄さん……」

 リタは、もう一度小さく呟いた。

 兄ならば、こんな時にどうするのだろう?

 今までずっと……リタは、兄を見つける事だけを考えて生きて来た。

 だが、それはもう……

 もう、不可能だ。兄が生きている可能性も、もう無い。

 ならば……

 ならば自分は……

 どうすれば……

 解らない。

 リタには、何も解らないのだ。

 結局リタに出来る事は、ランプの火を消し、そのまま眠りに付く事だけだった。


 一夜が明ける。

 どんな事があろうとも、必ず朝は来るのだ。

 リタは、そんな風に思って……

 ゆっくりと……

 ゆっくりと、目を開けた。

 頭が、妙に冴えていた。

 兄は、もう何処にもいないのかも知れない。

 もう、その痕跡さえも無いのかも知れない。

 だが……

 それでも……

 それでも、リタは。

「……私、は……」

 リタは、小さい声で呟く。

 ややあって。

 ぎぃい、と。

 扉が開いて、男が店内に姿を現した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る