第一章:大迷宮と墓荒し
第22話
『迷宮の入り口』亭の朝は早い。
まだ真っ暗なうちから起きて、まずは店内の清掃から始めねばならないからだ。
その程度の事は、ちっとも苦にはならない、神殿にいた頃も、リタはそうしてまだ日も昇りきらないうちから起き、神殿内の清掃を行い、聖堂に祀られている至高神の像を磨いたものだ、ただ単に、それが神殿からレストランに変わった、というだけだった。
とはいうものの、やはりレストランとなると、神殿とは大分勝手が違っている。
床を念入りに掃き、その後モップで丹念に床を清掃し、今度はテーブルと椅子を、これまた一つ一つ丁寧に磨いて行く、表面だけでは無く、椅子の肘掛けやテーブルの脚まで、きちんと磨かねばならない、食事をする場所では、その程度は当然だ、と、ブランは言っていた、リタも、あまりレストランに行った事は無いし、もちろん働いた事も無いけれど、神殿にいた頃も、やはり食堂の清掃などは気を遣ったものだ、ここはそれを『商売』にしているのだから、当然それなりに厳しいのだろう。
そうして、店内の清掃を終えたら、次はキッチンだ。
ここの清掃は、店内以上に気を遣わねばならない、僅かな汚れも、絶対に許されない、当然だ、調理台や調理器具に汚れが残れば、それは料理全てに汚れが付くのと同じなのだから。
リタは、ゆっくりとキッチンに入り、磨き粉を調理台の上に落として念入りに清掃していく、それが終われば次は流し台、そしてその後に床の掃除だ、もちろん床の上にも、塵一つ残っていてはいけない。
そうして、全ての清掃を終える頃には、もうリタの手足は棒の様になっていて、とても立っていられない、リタは、ふらふらとした足取りでキッチンを出、近くの椅子の上に腰を下ろす、窓の外を見れば、真っ暗だった空も白み始めていた、リタ以外誰もいない店内は、しん、と静まり返っている、こうして朝の清掃を終えて、ブランが起きてくるまでの、この静まり返った時間が、唯一リタが息をつける時間だった。
リタは、椅子の背もたれに身体を預け、ゆっくりと……
ゆっくりと、息を吐いた。
この『迷宮の入り口』亭で働く様になってから、ちょうど一週間が経過していた。
初めての事ばかりで、慣れなかったこの店での仕事、もちろん掃除ばかりで無く、ウェイトレスとしても、リタは一週間働いていた。
それらの仕事にも、最近では慣れて来た、掃除も早くできるようになって、最近ではこうして、早く終わらせて休む時間も確保出来た。
身体の方は、残念ながらまだ慣れはしないけれど、それでも……
それでも、リタはどうにか仕事をこなしていた。
だが……
リタは、項垂れる。
『大迷宮』。
あそこには、最初にユニコーンの肉を取りに行ったあの時以降、一度も入っていない。
「兄さん……」
リタは、小さく呟く。
この生活は、本当に……
本当に、兄を探す役に立っているのだろうか? 仕事に慣れ、時間に余裕が出来る様にもなってくると、そう考えずにはいられ無かった。
兄を、早く見つけてあげたい。
『大迷宮』に、向かいたい。
もどかしさがこみ上げて来る、出来るのならば、今すぐにだってこのまま『大迷宮』に向かいたいくらいだ。
だが……
一人で行けばどうなるのか、それを……
それを、リタは知っている。
だが。
頭の中に。
そして。
心の中に浮かぶもどかしさは、どうしても……
どうしても、拭うことが出来ない。
「……兄さん……」
リタは、もう一度。
もう一度、小さく呟く。
ここ最近では、兄の事を考える時間が増えていた。
一体……
一体、兄は……
兄は、あの『大迷宮』で……
どんな風に、冒険をし……
そして……
そして……
そこまで考えた時だった。
がちゃ……
扉が開く音が響いた。
リタは、頭を軽く左右に振って、兄の事を頭から追い出して、椅子から立ち上がる。
カウンターの向こう側、厨房のさらに奥にある扉が開いて、そこから黒い影が、ゆっくりとした足取りで出て来る。
「おはようございます」
リタは、その影に向かって、軽く会釈した。
「ブラン店長」
「ああ」
リタの声に。
ブランは、小さく頷いた。
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