第23話
ブランが、ゆっくりと歩き出す。ふらり、と厨房に入り、やっぱりのんびりと、まるで散歩でもしている様な足取りで、厨房を歩き回り、次いでカウンターの外に出、やはり店内を歩き回る、ふらふらと、無目的に歩いている様に見えるが、あれであの男の両目は、しっかりと店内を見ているのだ。
ややあって。リタの目の前に立ったブランは、カウンターをつつ、と指でなぞり、じっと指先を見る。しっかりと拭いたから、そこにはもう僅かな汚れも無いはずだが……それでもリタは、ごくり、と唾を飲み込んだ。
ややあって。
「悪く無い」
ブランは、無愛想な口調で言う。
強張っていたリタの顔に、笑みが浮かんだ。
「ありがとうございます」
リタは、ぺこりと頭を下げた。
「……掃除を褒められただけだろう?」
ブランは、やや呆れた口調で言う。だがリタは、首を横に振る。
「それでも初めて、褒めて貰えました」
リタは言う。
それまで、ずっとこの男は、今の様にリタが掃除を終える頃に出て来て、店内をふらふら歩き回って、最後にさっきのようにカウンターを指でなぞって確認する事を繰り返していたが、いつもいつも、『まだまだだな』と無愛想に言うばかりだった。何処か悪いのか、と聞いても教えてくれず、リタはとにかく僅かな汚れも残さないように気を張って掃除をしていた。
「そうだったかな?」
ブランは首を傾げる。リタは、何も言わずに黙ってブランの顔を見ていた。とにかくこの男は、『仕事』に完璧を求める人間らしい、リタの仕事が少しでも悪ければ、すぐにでもそれを見つける。
だが今回、ようやく褒めて貰えた。
リタは、どことなく気分が晴れやかになるのを感じていた。少しは彼に認めて貰えるようになったのかも知れない。そんな風に思ったからだ。
「さて」
リタが、そんな事を考えていると、ブランが言う。
「今日は、昼間に団体が来る」
「……団体、ですか?」
リタは問いかける。今までにも、ちょくちょく客が来る事はあったが、ほとんどが数人程度だった、それが今回は……
「『冒険者』の『パーティー』が来る、数は全部で五組、しかも同じ時間帯でな、景気づけにここで料理を食べて、『大迷宮』に挑もう、という訳さ」
リタはその言葉に何も言わない。
『大迷宮』に挑む。それが……
それが、何を齎すのか、今日、ここに来る『冒険者』達は……
知っているのだろうか?
「……それから」
ブランは、リタのそんな感情など無視して言う。
「夜には、予約の客が来る、こちらは一人だ」
「一人、ですか……?」
リタは問いかける。それだけならば、別に話す様な事では無いはずだ、と、思わず訝しんだ。だが……ブランは目を閉じ、微かに息を吐いた。
「まあ、覚えておけ、少し特別な客だからな」
「……はい」
彼が、無意味な事を言う人間では無い、という事を、もうリタは良く知っている。ならばきっと、この話も何かしら意味があるのだろう。
リタは、そう思った。
「よし、では着替えて来い、料理の仕込みを始めるから、お前はメニューをテーブルに並べるんだ」
「はい」
リタは頷いて、奥の部屋へと走って行く。
ウェイトレスも、この一週間に何度か経験している。客が来たら入り口で出迎え、席に案内してメニューと水を出す、タイミングを見計らって注文を取りに行き、それをブランに伝え、後は出来上がった順番に料理を運ぶのが主な仕事だ。最初のうちはまごついたけれど、この一週間で大分慣れて来た、それでも、今日は団体が来るというので、リタは些か緊張しながら、店の入り口に立っていた。
やがて……
からん……
と。
ドアベルの音が鳴り、客が入って来る。
「いらっしゃいませ」
愛想の良い笑顔と一緒に、客に向かって言う。最初のうちは、ろくに練習もしていなかったせいでなかなか声も出せなかったが、最近ではこうしてきちんと声が出るようになった、もっともブランは、その事に関してはちっとも褒めてくれない、きっとこの程度は当たり前だ、と思っているのだろう。
リタは、そんな事を思いながらも、愛想の良い笑顔のままで言う。
「『迷宮の入り口』亭にようこそ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます