第9話
スープをスプーンに掬い、ごくり、と一口飲む。
「……美味しい」
思わず口から言葉が出た。
「当然だ」
男は表情一つ変えずに言う。
だけど少しだけ、その口調が柔らかくなっていた。やはり『美味しい』という言葉は、料理人にとっては嬉しい物なのだろう、リタもかつて、神殿のみんなの食事を作った時に、他の神官達から言われた『美味しい』の一言で、大人数の料理を作った疲れも無くなるほど嬉しかった事を覚えている。
野菜をスプーンで掬い、こちらも口に入れる、固すぎず柔らかすぎず、絶妙な煮込み具合だ。ごくん、と飲み込んだ。
続いてスープの中に浮いている肉団子を掬い、口に入れようとした。
だが。
「……あ……」
リタは、微かに呻いた。
スープの中に、肉団子を戻す。
「……あの……」
リタは顔を上げ、男を見る。
「私、その……お肉は……」
リタは、おずおずと言う。
そうだ。
至高神に仕える神官である自分達は、他の命を奪ってはならない、という教義に基づいて、肉食は禁じられているのだ。全ての命は神が与えた物であり、それを奪い、食う事は許されない。だから神官達の間では、魔物でさえ殺さずに追い払うものだ、と教えられる。
もっとも、実際に、神殿のある村の近くに現れた魔物を相手にした時には、神殿のみんなで戦い、倒したのだけれど。
だが、いずれにしてもやはり肉食は出来ない。
リタは、そう言おうとした。
だけど。
それよりも早く。
からん、と、小さい音がした。
「……?」
リタが音のした方に目をやると、そこには一本の小剣(ショートソード)が置かれていた、あちこちが錆び、先端は奇妙な鈍色になっている。
「あそこにいたゴブリン共が持っていたものだ」
「……あそこ……って」
リタは呟く。
あそこ。
それはもちろん、あの『大迷宮』の事だろう。
つまり、あの場に現れた、あの鎧の人物はやはり……
「多分、お前のその腕を刺したのも、これと同じ物だろう」
男が言う。
「……っ」
リタはそこで、ようやく自分の二の腕を見た、今はそこには真新しい包帯が巻かれていたけれど、それでも……微かにまだ、じんじんと傷口が痛む。
「良く見てみろ」
男が言う。
リタは、じっとその小剣を見る。
「この剣の先端には、毒が塗られている」
「ど……」
リタは呟く。
「毒?」
思わず男の顔を見る。
男は頷きかけた。
「ああ、多分、お前の腕を刺した剣にも、同じ毒が塗られていただろう、ここへ運んだ時に、無理矢理解毒薬は飲ませたが、まだ身体には毒が残っているはずだ」
「だからさっき……」
リタは、最初に起きた時に転んだ事や、この男がスープを持って来た時に、身体が重かった時の事を思い出していた。
「そんなわけで、今は『至高神の教え』よりも、自分の身体を優先した方が良いと思うぜ、きちんと食って体力を付けないと、その毒はいつまでも抜けんぞ?」
リタは黙ってスープを見る。
確かに、身体はまだ重い。
ややあって。
リタは、息を吐いた。
「……解りました……」
リタは言いながら、スプーンに肉団子を掬って口に入れる。
肉団子なんて、食べたのはいつ以来だろうか、まだ小さかった頃には、時折兄が街で買って来てくれた肉の串焼きなんかを、こっそりと食べさせてくれたものだ。
「美味しいです」
リタは男に笑いかける。
その肉は本当に美味しかった、豚とも鳥とも違う味だが、一体何の肉なのだろう?
「これって、何のお肉なんですか?」
ふと気になって、リタは男に問いかけた。
「決まっているだろう?」
男は言う。
「あそこにいた『奴ら』さ」
「……は?」
リタは問いかける。
「……あそこにいた、奴ら……?」
リタは、思わず聞き返していた。
「ああ、そうだ」
男は頷く。
「あそこにいた『連中』の首を跳ね飛ばして、適当に『捌いて』持って来た、後は臭みを取り、団子にしてスープに入れて煮込んだ、だからまあ……」
男は軽く笑った。
「ひょっとしたらその団子は、お前の事を押し倒していた、あのゴブリンかも知れんな」
ふふ、と。
男は、笑った。
「……っ」
リタは、ぎょっとした。
思わず、肉団子を見る。
「……そ そんな……」
リタは、小さい声で言う。
「じ じゃあこれは……」
リタは呟く。
「ゴブリン……の……」
そう言った直後、頭の中にさっきの光景が浮かんで来る。
ゴブリン共の奇妙な鳴き声、気持ちの悪い息づかい、自分を取り囲んでいた時の奴らの下卑た表情。
それら全てが、一気に蘇る。
「……っ」
リタは、口にまだ入ったままの肉を吐き出そうとした。そんな……
事もあろうに、そんな邪悪な存在の肉を身体の中になんて……
だけど。
「おい」
その嫌悪感すら、一瞬にして吹き飛ばす程の冷たい声が、正面から聞こえた。
「っ」
リタは、ぞっとしてその声がした方、即ち正面を見る。
男が、リタを見ていた。
暗く、冷たい表情、鋭い目つきは、その視線だけで人を殺せそうだ。
「貴様がどう思おうと勝手だがな」
男が言う。
「この店の中で、俺の作った料理を吐き出したり、粗末にした時点で、そいつはもう『客』では無くなる」
男が冷たく言い放つ。
「そして俺は、『客』で無い人間が、この店にいる事も、俺の料理を口にする事も許さない」
許さない。
その言葉が、何を意味するのか。
リタは、すぐに理解出来た。
「それだけは、肝に銘じておくことだ」
男は冷たく言う。
リタは。
リタは、ゆっくりと息を吐く。
そして。
もう一度、スープを見る。
美味しそうなスープ、きつね色の肉団子、煮込んだ野菜、見た目はごく普通だったし、肉団子の味も、特におかしくは無かった。
それに……
今の彼の言葉が事実ならば、これを食べなければ自分は……
自分は、確実に……『客』とは見なされなくなってしまう。
殺されるかも知れない。
否。
それ以前に。
今、この男に見放されたら……
自分は、もう二度と。
もう二度と、あの『大迷宮』に入れなくなる。
兄を探す機会も……
永遠に、失われるのだ。
そこでふと、リタは思い出す。
「……あの二人……」
リタは呟く。
「わ 私と一緒に入った、あの二人は……?」
リタは問いかける。
男は何も言わない。黙ってリタを見ていた。
リタも黙って、男を見ていた。
沈黙だけが、訪れる。
「あの……」
リタは、呼びかけようとして、さっきのこの男の言葉を思い出す。
『俺は、『客』で無い人間が、この店にいる事も、俺の料理を口にする事も許さない』
つまりは……
食べない限り、『客』とは見なさない、という事だ。
リタは息を吐いて、もう一度スープを見る。
肉団子を掬い、口に入れた。肉汁とスープの味が交わって、とても美味しい味が口の中いっぱいに広がる。さっき『大迷宮』の中で襲われた時の光景を忘れるように、必要以上に噛んで飲み込んだ。
すぐに二口目を啜る、やはり美味しい、食べているうちに、嫌な記憶も少しずつ払拭されていくみたいだった。そんな不思議な魅力が、このスープにはあった。
それと同時に、どんどん食欲がわき上がって来る、身体が栄養を、特に肉を欲しているというのが解った。リタは夢中になってスープをごくごくと飲み、具材をかき込んだ、あまり品のある食べ方では無かったけれど、疲れや恐怖は、それで一気に忘れられた。
そして。
スープを飲み終えたリタは、ゆっくりとテーブルの上に皿を置いた。
「ごちそう、さまでした……」
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