第3話

 『大迷宮』を踏破してみせる。

 兄はそう言って、新たな冒険に出ていったのだという。

 そして。

 兄は友人に対し、自分の近況をリタに伝えて欲しい、と言い残し、一人で旅立って行ったそうだ。それは恐らく、兄自身も、今回の『大迷宮』の冒険では、生き残れるか否か解らないからこそ、友人に頼んだのだろう。

 リタはそれを聞き、胸の中に一抹の不安が過るのを感じた。


 『大迷宮』の噂くらい、世俗に疎い神殿の中で暮らしているリタとて知っている、神殿には年に何度か、『大迷宮』に挑む冒険者が、無事に踏破出来る様に、或いはそれらの冒険者達の身内などが、『大迷宮』に挑んだ家族が無事に生きて帰って来れますように、と祈りに来る事もあるくらいだ。

 だけど……

 それらの人々が、もう一度神殿を訪ねた事は、ただの一度も無い。

 みんな無事に、『大迷宮』の踏破は出来なかったとしても、無事に生還し、家族と穏やかに暮らしているのだろう、と都合良く思い込んでいた。

 だが……

 だが、本当にそういう結果ばかりでは無い、という事は、リタとて解る。

 『大迷宮』とは、それほどまでに危険な場所なのだ。

「……っ」

 リタは、ぎゅっ、と拳を握りしめた。


 やがて友人が帰り、神殿の勤めに戻っても、リタの心の中に浮かんだ不安は消えなかった。

 兄は、どうしているのだろう? 『大迷宮』の中を、広大な迷宮の中を、たったの一人で彷徨っているのだろうか? 兄の事だから、きっとどんな困難にも、決して屈する事無く戦い続け、そして打ち勝つだろう、そしていつか、ひょっこりとこの神殿に現れて、心配させた事を詫びもしないで、豪快に笑いながら『楽しかった』などと言うに決まっているのだ。

 そう、自分に言い聞かせる。

 だけど……

 一度胸の中に浮かんだ不安は、やはり消えない。

 兄が……

 兄がもしも……

 もしも、死んでしまったら。

 リタは、ごくり、と唾を飲み込んだ。

 兄がいなくなれば、自分は……

 自分は、生きていけない。

 神殿の皆は、兄の事を心配する自分の事を、口々に慰めてはくれた、『心配するな』、『きっと帰って来る』、『引き際は弁えている男だ』、『お前を残して死ぬ訳がない』。

 だけど。

 だけど、あの『大迷宮』なのだ。

 一体どんな仕掛けがあるのか、どんな危険な魔物がいるのか想像も付かない。

 そんな場所に、兄は友人もいない状態で一人で……

 大丈夫だ。

 今までだって、兄は切り抜けてきたんだから。

 何回も自分に言い聞かせるが、その声はどんどんと小さく、そしてはっきりとは聞こえなくなり、頭に浮かぶのは、無残な死体となった兄の姿ばかり。

 そして。

『リタ』

 兄が呼ぶ声。

『助けてくれ、リタ』

 その声に振り向くと、兄が魔物に喰われている。

 そんな悪夢を、リタは何日も見て、ろくに眠れ無かった。

 そして。

 リタは、ついに……

 ついに、なけなしの金を握りしめて神殿から飛び出していた。


 それからリタは、『大迷宮』があるこの地方に足を運んだ。

 路銀が尽きそうなときは、神から授けられた奇跡で人々を癒し、礼を貰う事でどうにかまかない、そしてようやく、この森林近くにある大きな街に辿り着いたのだ。

 後は『大迷宮』に直接向かい、兄を探すのみ。

 そう思ったが、問題があった。

 リタは無論、『大迷宮』になど挑むのは初めてだし、何よりも一人きりだ。

 幸いにして、大きな街道を通ってきたから、道中では魔物や山賊の類に襲われることは無かったけれど、それでも『大迷宮』の中に入ればそうはいかないだろう。

 出来る事なら、誰か……

 誰か、一緒に『大迷宮』に挑んでくれる仲間が欲しい。

 自分は、神の奇跡によって傷を癒したりは出来るが、戦う事に関しては素人だ。

 だからこそ、誰か……

 誰か、そういう相手が欲しい。

 そう思い、リタは街で、兄と同じ様な『冒険者』達を探したけれど、ほとんどの『冒険者』が、自分の事など相手にはしてくれなかった、所詮は見習いの神官に過ぎない自分などと組む者がいるわけが無かった。

 リタは、結局一人の仲間も見つけられずに、街の中で途方に暮れていた。

 そんな時。

 そんな時に、声をかけてくれたのが、今目の前にいる二人だった。


 二人を見る。

 まだ自分と、それほど年齢の変わらない少年と少女。

 二人は同郷の幼馴染みであり、少年の方は剣、少女の方は魔法の才能があった事と、世界を見たい、という理由で、一緒に『冒険者』になろう、と、故郷を出てきたのだという。

 そしてその最初の一歩として目を付けたのが、『大迷宮』であった。計画をしっかりと立て、何度も挑む事で、必ずいつの日にか踏破しよう、と決めたらしい。

 そして。

 少年の方が、リタを振り返る。

「それじゃあ、行こうぜ」

 少女もリタを見ていた。

 少年はあどけなく。

 少女は明るく。

 二人共微笑んで、リタを見ていた。

「……はい」

 リタも、二人に笑いかける。


 今はまだ、自分は未熟な『見習い』でしか無い。

 だけど。

 この仲間達と一緒に、己をしっかりと鍛えて強くなる。

 そして。

 そして必ず。

 兄を。

 兄を、見つけ出してみせる。

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