第2話

 『大迷宮』。

 正式な名前は、誰も知らない、とにかく広大で、沢山の罠(トラップ)と魔物が待ち構える、複雑な構造の迷宮、という事から『大迷宮』と呼ばれている。

 その『大迷宮』に何があるのかは解らないが、噂だけはあちこちで囁かれている。


 曰く、『大迷宮』の最奥には、莫大な富が眠っている。

 曰く、『大迷宮』は神のいる世界に通じていて、最奥に到達した者は神になれる。

 曰く、『大迷宮』は、全ての生命が生まれた場所であり、最奥に到達すれば生命の概念を超越した存在、即ち不老不死になれる。


 どれもこれも、根拠の無い噂でしか無い。

 だが、『大迷宮』の謎を解き明かそうと、大勢の者が、この祠から内部へと侵入した。

 

 財宝を求める者。

 危険な迷宮の中で戦い、生き残り、自分の実力を世に示さんとする者。

 迷宮の誕生の秘密を探り当て、知的好奇心を満たそうとする者。


 そして。

 そうした者達を、人々はいつしかこう呼ぶ様になる。

 『冒険者』。


 リタは、ぎゅっ、と錫杖を握りしめた。

 そう。

 『冒険者』。

 リタは、まさにその『冒険者』になる為に、この『大迷宮』に来たのだ。

 自分の実力を誇示したいとか、『大迷宮』の秘密を探り当てたいとか、財宝を手にしたいとか、そんな感情はリタには全く無い。

 ただ一つ。

 リタが、『冒険者』を志す理由。

 それは……

「……兄さん……」

 リタは、呟いた。


 リタ。

 十五歳。

 至高神に仕える見習い神官であったが、残念ながら、恐らくもう還俗扱いとなっているだろう。

 世話になった神殿の神官長や、自分と一緒に学び、神殿勤めをしていた仲間達に対して申し訳無い、という気持ちはもちろんあったけれど、それでもリタは、神殿にいる事は出来なかった。

 兄を、見つけたい。

 それが、今のリタを突き動かすただ一つの感情だった。


 リタには、兄がいた。

 豪放磊落を絵に描いたような性格で、常に明るくて良く笑う兄だった、自分と同じく神殿に仕えていた割に、神殿の掟などには縛られる事無く、しょっちゅう勤めをサボっては街に繰り出す姿は、正直リタにとっては反面教師としかならなかったけれど……

 それでも、リタが神殿の勤めで何か失敗した時、リタが辛い時、落ち込んでいる時、そんな時にはいつも真っ先に駆けつけてくれた。

 リタだけでは無い、神殿にいる誰に対しても兄はそうだった。

 明るく、朗らかで、そして優しい兄。

 神殿の教えを守らずとも、リタはそんな兄が大好きだった。

 むしろリタは、自分が努力して立派な神官になり、皆に認められれば、兄は神殿に縛られること無く、自分の自由に生きられるでは無いか、とすら考えていたのだ。

 だからこそリタは、人一倍努力をしていた。

 そして、見習いの中でもリタは、特に優秀な成績だった。


 そんな兄が、突然『冒険者』になる、と言い出した。

 神殿のみんなは大反対したけれど、リタは反対しなかった、兄は、ずっと昔からこの世界には何があって、どんな人達が暮らしているのか、という事に強い興味を抱いていた、いずれは世界を見て廻りたいとも言っていた、だからこそリタにとって、兄のその言葉は正直、『来るものが来た』という程度のものだった。

 そして。

 兄は、正式に還俗して神官を辞めて『冒険者』となった。

 見送ったのはリタ一人だったけれど、兄の出立の日には、大聖堂に集まって大勢で、或いは自室でひっそりと、とにかく神殿のほとんど全員が、それぞれの方法で、至高神に兄の旅の無事と幸運を祈っていた。


 それから一年が経過した。

 兄は、今何処にいるのか、何をしているのか、最初のうちは神殿の皆がそんな事を噂しあっていたけれど、いつの間にかすっかりそれらの話が消えた頃、兄の友人が、リタを訪ねてきてくれた。

 あれから兄は、『冒険者』となってあちこちを冒険していたらしい。

 西に財宝が眠る遺跡がある、と聞けば挑み、東に魔物に苦しめられる人がいると聞けば飛んで行って退治し、『冒険者』としての名声を、随分と高めたらしい、兄らしい奔放な生き方を楽しんでいるらしいその話を聞いて、リタも嬉しくなった。

 そして。

 兄が、新たな冒険の地として選んだのが。

 ヘアード大陸の最南端にある、『大迷宮』であった。

 

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