第26話

 客が去り、静寂の訪れた店内で、リタは石の様に重くなった肩を、とんとんと叩いていた。一体何時間働いたのか、そもそも今の時刻は何時なのか、それすらもはっきりとしていないが、とりあえず窓から差し込む日の光の様子からして、今は午後の時間帯だろう。

 次に予約が入っている客が来るのは夜だから、それまで少しはのんびり出来るだろう、 リタは、そう思って椅子に座り、また肩をとんとん、と叩いていた。

 キッチンでは、どうやらブランが料理を仕込んでいるらしい、じゅう、じゅう、と肉が焼ける音が聞こえている。

 その音を聞きながら、リタはゆっくりと目を閉じた。身体が酷く重く、疲れていた。

 だが……

 リタの脳裏に浮かぶのは、仕事の疲れでも、身体を休めたい、という欲求でも無く……

 さっきまで、ここにいた沢山の『冒険者』達の顔や、食事をしていた時の様子だった。

 あの『冒険者』達は皆、今頃どうしているのだろう?

 『大迷宮』の中に入り、何事も無く『大迷宮』の中を……リタも見た、あの石造りの通路を歩いているのか、或いは沢山の『魔物』達に囲まれているのか、或いは何かしらの罠に道を阻まれ、どうにかそれを解除しようとしているのか……

 そうでなければ……

 リタの脳裏に浮かぶのは、かつてのリタ自身の姿。

 沢山のゴブリン達に囲まれ、身体を陵辱されそうになったリタ自身の姿。そしてリタと一緒にいた『仲間』達は、その遺体すらも未だに見つかっていない。

 そして……

 兄も、また……

 そう考えて、リタは目頭が熱くなるのを感じた。兄も、かつての仲間も、そして今日、ここにいた沢山の『冒険者』達も……

 自分はまた……

 また、何も出来ないままで、沢山の人が犠牲になるのを、ただ……

 ただ、見ている事しか出来なくて……

「……っ」

 そこまで考えて、リタは首を横に振る。

 自分は……

 自分は、今……

 今、所詮……

 この店。

 『大迷宮の入り口』亭の、ウェイトレスでしか無いんだ。そんな自分に、一体……

 一体、これから『大迷宮』に挑む彼らに対して……

 何が出来る?

 何を、してやれる?

 どうせ自分は、彼らと共に『大迷宮』に行く事など……出来はしないのだ。

 自分に出来る事は……

 結局……

 ただ、ここで彼らを見送るしか出来ない。

 リタは、軽く息を吐く。

 こんな自分に……

 こんな自分に、兄を見つける事なんか……

 出来るのだろうか?

 そんな事を考えていた時だった。


 ごとん……


「……?」

 聞こえたのは……

 微かな音。

 何か……重い物が落ちる様な……

 否。

 それはまるで……誰かが倒れるような音だった。一体……

 一体、今の音は……?

 リタは、その音が聞こえた方を見る。店の入り口の扉の向こう、そこから聞こえた。だが扉の向こうからは、それ以上は何も聞こえない。

 しかし……

 ややあって。


 ごと……


 と。

 微かな音がする。

 間違い無い。

 誰かが……いる、あの扉の向こうに……リタはちらりと、キッチンの方を見る。ブランはキッチンに立ち、料理の準備をしていた、楕円形にした挽肉の塊を、パチパチと軽快な音をさせながら両掌を行ったり来たりさせている、あの音が、彼には聞こえていないのだろうか?

 リタは、ブランに話しかけようとした。けれど……


 ごと……


 と。

 またしても音がする。次いで。

「うっ……が……」

 扉の外から聞こえたのは、苦しげな呻き声。

 リタはそれを聞いて、息を呑んだ。間違い無い。

 誰かが、店の外にいる、そして……

 その人物は多分……

 多分、酷い怪我を……

 そう気づいた瞬間。

 リタは弾かれた様に走り出し、店の入り口の扉を開けていた、ドアベルが、チリンチリン、と耳障りな音を奏でたけれど、リタは無視してドアの外を見る。

 そして……

 リタは、見た。

 店の入り口の扉の外。

 そこに倒れている、一人の男の姿を……

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大迷宮と料理人 @kain_aberu

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