06 月の下はお静かに

 青い夜の向こう。眼下の黒い川のような道を挟んで、互いに立っているのは屋根の上。月の光で姿の稜線だけが浮かび上がる。構える前なのかどうかはわからないが、腰を落としてはいなかった。細長い得物、おそらくは剣だろうか、を二振り手にしている。視線の種類は排除すべき相手に向けるものだ。ニキアスがやっていることを考えれば当然だ。こんな時間に屋根伝いに重要人物を尾けまわしているような輩は悪人と断じて問題ない。しかしニキアスには通りを隔てた相手がそんなことなど思っていないように感じられた。やるべきことだからやる。そう理由をつければ多くのことに目を瞑れる種類の人間だ。

 ニキアスも背負っているものをゆっくりと手に収めた。しかし鞘は外さない。斬っては、命を奪ってはいけない。この程度の事態で、邪魔だからと斬っていてはいずれ日常の選択肢にそれが入ってきてしまう。最低でも自身が納得できる理由を見つけられないなら人を斬ってはいけない。彼が幼少から教わってきたことだった。

 もう意識は屋根の上に絞られた。あの太った男は二の次だ。障害を排除してからもう一度あとを追えばいい。お互いに視線をぶつけたまま横滑りに移動していく。まさか通りを飛び越えて攻撃を仕掛けるわけにはいくまい。空中など寝そべっているより隙だらけなのだ。打ち合ってもいないのに読み合いができるわけもない。しかしどこかでにらみ合いは終わらなければならない。両側から引っ張られた糸はいつか切れなければならないのだ。

 やがて道を挟んだ建物と建物をつなぐアーチが近づいてきた。ちょうどつながって建てられた家屋の継ぎ目でもあって、屋根の段差も生まれている。接触はそこだと互いに理解していた。重要であることなど考えるまでもない。考えなければならないのはその先だ。発生し得る展開を可能な限り想定する。目で得られた情報から分析を行う。これらを集中力を上げたニキアスは自動で処理する。これを考えよう、という思考過程が既に余計なのだ。そうして積み重ねたものを当たり前のように引き出して向かい合う。これが戦闘である、とニキアスは掴んでいる。


 ついにお互いの位置関係がアーチを通して直線上になった。双剣の男も機が近いと判断したのか、じゅうぶんに腰を落としている。一気に距離を詰めてくる可能性がある。その場合、迎撃は上手い手ではない。相手には二本目の武器があるからだ。それならば回避してどちらかの武器を叩き落とすことが考えられるが、それも可能なら後回しにしたい。しかしそこまで想定はしたものの、ニキアスは相手が突っ込んでくる可能性は低いと踏んでいた。最初に知りたいのは相対している人物がどれほどの実力を備えているか、だからだ。当然ながらそれ次第で対応は変わる。すでにお互いに道がひらけて数秒は経過している。考えることは同じなのだ。

 じゅうぶんな体勢で数合だけ刃を合わせても実力は測れない。ある一定のラインを超えた武の心得のある者はその程度では何も崩れないし匂わせないからだ。例外的な領域に達した怪物はそこから察知できるものがあるらしいが、少なくともニキアスはその段階にはない。いくつもの経過を経て、まだ夜のせいで顔さえ見えない双剣の持てるものを推測しなければならなかった。


(条件で言えば俺は不利。手傷も負いたくない。かなり頑張る必要があるな)


 さらにじりじりと互いに近づいて、ニキアスは構えからほとんど振りかぶらずに鞘に納められた剣筋を通そうとした。ばちん、と弾かれ、そして軌道を変えられた。感触は決して重いものではない。やはり向こうもこちらの特徴を知りたいのだろう。そもそも空を切るはずの剣にわざわざぶつけてきたのだから。いまの距離はどちらもが手と武器を相手に向けて伸ばして、そして剣のもっとも力の入る部分がぶつかり合うくらいのものだ。踏み込まなければ刃は相手に届かず、怪我をすることはない。

 ニキアスも双剣もそれがわかっているから動作を急にはしない。飛び退りもしなければ突っ込みもしない。ただただゆっくりと足を動かして距離を調整する。歩法とまではいかないが、人間である限りある方向に力を入れられなくなる体の動かし方というものがあって、それだけは踏まないように意識は徹底されている。視点をどちらに取っても簡単には決めにいけない状況が生まれていた。

 次にニキアスが横に薙ぐと双剣はひらりと後ろに跳んだ。これでは情報が得られない。手順を考える必要があった。ちょうど段差になっている屋根が右手側にあったなと思い出す。迷わず手を伸ばして瓦を剥がして、柄の底で割った。均衡状態かつ相手が距離を取ったから採れる手段だった。つぶてとなった瓦をひとつ拾って投げる。この動作を速やかに繰り返した。夜の投擲物に対策は打てない。ちいさく、硬く、見えづらい。これを苦もなく捌くようであれば彼我の実力差は歴然だ、最優先で考えるべきことは逃げることになる。しかし結果は違った。瓦に当たりはしなくとも姿勢が見てわかる程度には崩れている。


(手を出せる範囲! どっちでもいいから武器を落とす!)


 ばきん、と足元の瓦が壊れると同時にニキアスが駆け出した。錯覚かと思うほど早く回る脚の、そのステップを組み替えることで不規則に位置を揺らしながら接近していく。飛礫の奥、ぐんぐん近づきながら左へ右へと捉えづらい動きという組み合わせは太陽のない状況とも相まって効果は覿面だった。高速かつ瞬間的な判断を要求される戦闘局面において、いちど目の焦点を外されることは致命的と言っていい。

 完全にニキアスの姿を見失い、やぶれかぶれになった双剣の男が自身の視界の外へと斬撃を放ったのは、悪くない判断であった。うまくいけばこの状況を一気に有利なものにひっくり返せる。なぜなら勝利を確信した相手に一撃を加えられるのだから。しかし問題も備えていて、今回はその“想定内の行動として対処される”という目が出てしまった。ひとつの感触を得ることもなく、居合のような軌道を描いて伸びきった右手。その得物の背からニキアスの鞘の一撃が襲い掛かった。向かい合っての剣戟でもないそれは、あっさりと二刀の男から一本の武器を奪い去った。すこし離れたところでがちゃんと音が鳴ったのは、男が必死で距離を取ったあとだった。


 双剣使いの得物を一振りにしてなお、ニキアスは無力化が簡単ではないと思っていた。彼の狙いが気絶にあったからである。頭部をうまく打たねばそれはできない。他の部位を打ち据えてもそうそう戦闘経験を積んでいる者を気絶させることは難しいだろうし、仮にできたとしても相当のダメージを与えることになるだろう。おそらくは後遺症を考えなければならなくなるくらいに。

 バックステップで数歩下がって、細い一振りを両手で握った男は屋根から地上に降りた。足場の感覚はまるで違う。微妙な段差も傾斜もないし、うっかり落ちる心配もない。冗談に聞こえてもこれは決して笑い話ではない。命の取り合いならば、どんな小さな可能性でも悪く転がる可能性のあるものは取り除いておくべきだ。うっかりで死んだ戦士の話など史料に残されていないだけで実際には枚挙に暇がない。彼は彼で自身が不利な立場にあると感じていた。ニキアスが後を追って降りてくる。

 あまり道幅の広くない路地が、迷路のようにいろんなつながり方をしている区画。剣を振るのには適していない。それでも彼らは手に持ったものを頼りに戦う。真横に振うのでなければじゅうぶんではあったし、真横に振うのであってもそこは技術で多少の調整は利く。まさか腕を伸ばしっぱなしにして振り回すわけもない。壁を蹴ればまた屋根の上に戻れることを考えればそれほど気にしなくてもよさそうだ。


 ガァン、とくぐもった音が夜の静寂に響く。鞘と抜き身の剣のぶつかり合いを通して自己主張するように。ふたりに下がることの意味はもうない。ニキアスにとっては今が攻め時であり、男にとっては状況を先延ばしにしても事態の好転が期待できないからだ。一合、二合と刃を合わせて体勢のために距離を取る。しかし足は止まらず、どちらも自身の狙いに正確な剣捌きを見せる。それは自分の身を守るためであり、命を取るためであり、武器を叩き落とすためであった。明かりなどない路地で、月の光だけを頼りに斬り合うのはとてもまともとは言えなかった。

 片方の武器を落とすことを最優先とした自分の判断を、ニキアスは大正解だと見ていた。元来とは違う戦闘スタイルのはずなのに、相手はじゅうぶんに彼と渡り合っている。これが二振りとも揃っていたら傷を負うことは避けられなかっただろう。悪くすれば考えたくもない結末になっていた可能性もある。この状況はおそらく最善のものに近い。押せば少し退かせることができた。相手が曲がり角のところで、すっと横に跳んで姿を見えなくした。

 ここで迷わずに血気盛んに追っていくのは危険につながると経験的にわかっていたニキアスは周囲を見回した。


(……使ってみるか)


 どこの家の樽なのかはわからないが、三つ四つと壁に寄せて置いてある。そのひとつを抱えて持ち上げる。大きいうえにぎっしり中身が詰まっているようで重さはかなりのものだった。立ち上ってくる匂いで塩漬けが入っているとすぐにわかった。しかし余計なことに気を回している時間はない。ニキアスはあまり速度が出ないように、曲がり角を出たところで勢いを失うくらいの強さで樽をそっと投げた。

 角の先で待ち構えていた男は飛び出してきたそれに全力で斬撃を入れた。しっかりと足も踏ん張って力を十全に込めることができた一撃は強烈。たとえ受けられたとしても体ごと弾き飛ばす威力だった。理解が早かったのは手だった。感触が違う。ついで目で見て理解した。樽が切り裂かれて中身が飛び散っている。暗いからよくわからないが、それほど大きくないものだと男は何にもならない見立てをした。そして彼に確認できたのは細かい砂状のものが幕のように広がっているということ。塩が彼の選択肢のなかにあったのかは定かではない。砂地に剣を突き立てたような手ごたえがあったのはそのせいだろう。好もしい感触とは言えない。手首や肘に妙な負担がかかりそうだ。

 その思考を一瞬で蹴飛ばして男は後ろへ振り返った。路地には誰もいないことを確認すると空を見上げた。気付かれにくくするために体を縮めているのか、窮屈そうな姿勢が空中にあるのを捉えた。あの体勢では地上戦と比べて力はずっと込められないだろう。男は勝利を確信した。ここで謎の侵入者を切り伏せておしまいだ。かなり手を煩わされたが、結果として何も問題はない。怪しい人物の進撃はここで終わるのだから。彼の意識が落ちたのはそこまで考えてからだった。重く鈍い音がしたのだが、決してそれを聞くことはなかった。


 体をゆすったり服を手で払うたびにぱらぱらと細かい粒が落ちる音がする。空中を舞う塩の中を突っ切ったせいだ。ニキアスはしきりに気持ち悪そうに体をよじったり服の位置を直したりと忙しそうだ。どうやら匂いもついてしまったらしく、臭そうに顔をしかめている。

 十回くらい髪に手を通したあたりでバオが笑った。


「あっはっは、そんなに漬物が好きなら言ってくれよ。いいの探してあげたのに」


「いくら漬物が好きでもそれ用の塩に頭から突っ込んでくわけないでしょ。目隠しと罠のため。安全に気絶させられる確率が高かったからだよ」


「わかったわかった、そんなに怒らないでくれ」


 場をわきまえて声を大きくしないで言い立てるニキアスを、どうどうと両の手のひらで抑える。しかし彼女からするとその経緯は面白いものでしかなかったのだ。まだ若さにならって抜けたところのある少年が、塩の壁に突進していく姿など笑いを禁じ得ない。きっと真面目に選んだのだろう。そしてそれは本当に確率の高い選択肢だったのだろう。そこをバオは疑わない。でも、だからこそ面白い。

 すっかり世間が寝静まって、深い深い青のカーテンの下。明かりがついて活動しているのは、ふだんは孤児院として開かれた場所だけだった。ニキアスが戦闘後に、それまで尾行していた男の進んでいった方向を大雑把に調べているとバオを見つけて、それで確定したのである。広さは申し分なし。疑いの目をもって見なければそもそも怪しい場所としてさえ認識できないだろう。盲点というほどではないが、なるほどといった選択ではある。

 彼らが気を張らずに話しているのは、いまのところ最後に入った人物から起算してそれほど時間が経っていないからだ。すぐに終わるような会議なら、逆にこのナウサの街が崩壊へと歩み始めている根拠のひとつになりかねない。


「しかし本当に当たった見張りはそんなに強かったのかい?」


「強かったよ。きちっと待てる人だった」


「想像しにくいな。きみを相手にしたら足止めだって難しいはずなんだけど」


「俺なんてそうでもないってだけの話でしょ」


 ひー、へー、どちらともつかない変な息を吐いてバオは引き下がった。舌の根元あたりに奇妙な空洞ができて音が乱れたように聞こえた。口こそ意識していないところで冷たいものに触れてしまったかのように直径を下にした半円だが、目はにまにまと笑っている。顔を動かす筋肉がそれぞれ独立しているのかもしれない。にらめっこをしたら強そうな顔だった。

 ニキアスはただ年相応の反応しか返せなかった。ちぇっ、と舌打ちだけした。別にこれ以上つつかれる気はしなかったが、それでもなんとなく面白くなかった。だからニキアスは話を変えることにした。


「バオは見張りに出くわしたりしなかったの?」


「うん。ラッキーだったのかもね」


 何気ないバオの一言にニキアスはため息をついた。


「俺が運悪かった気がしてきた」


「気に病むなよ、少年。私は隠密行動も上手なんだ」


「花束抱えて? 冗談でしょ」


「冗談じゃないってえ。これはこれ、それはそれだよ」


 ふりふりと花束を揺らす。さすがに気を遣ったのか、隣にいてやっと香りがわかる程度の花らしい。何があるかわからない尾行において手は可能な限り空けておきたいはずなのだが、そこを花束で片手を埋めるというのだから不思議な話だ。しかし彼女がここにいる以上、するべきことはできている。文句をつけるのは筋違いだ。

 誰のものだか知れない屋根の上は空気が澄んでいる気がした。街が夜の闇に沈んでいるのもあるが、生活の汚れからすこしだけ距離を取れているように感じられる。わずか数メートルだけ地上から離れているだけなのに何を大げさな、と言いたくなる気持ちも理解できるが、そういうものなのだ。雨や砂塵やその他もろもろの理由で屋根が汚れていてもそれは関係がない。


 時間がほどほどに経過して、いつしかふたりの会話は孤児院に設定された会議場についてのものになっていた。看板があって、門の先には走り回るのにじゅうぶんな運動場。大雑把に見て二棟の建物。寝所と日常的に使う部屋、たとえば勉強だろうか、の棟に分かれているように思われる。もちろんいまは寝所の棟は真っ暗で、明かりがついているのは門からまっすぐ進んだところにあるほうだ。

 孤児院に用があるのは里子を探している人物だけだから、この時間には誰もここを訪ねてはこない。誰もここを覗かない。仮に明かりがついているなと思っても何かの

作業をしているのだろう、で済ませるに違いない。ここには子供が多いのだから。


「ねえ、ここさ、会議のたびにここ使ってると思うんだけど」


「私もそう思う。ちょうどいい場所だし、変えるとバレる危険性がありそうだし」


「ってことは仕切ってる人って、たぶんこの孤児院の院長とかだよね」


「断定はよくないよ。でも少なくともここの関係者が絡んでるのはかなり濃い」


「関わってないパターンとかあるの?」


「まあ、何も聞かずに場所だけ貸して、って頼まれてるとかもあり得るかなって」


 言ってて苦しいのはわかっているのだろう、バオは決まり悪げに答えた。しかし可能性の話はいくらでも挙げられるし、彼女の想定はまだトンデモ話というほどでもない。たしかに断言はまだ怖いと言ってもよさそうだ。ただもちろんニキアスが考えているパターンのほうが確率としてはずっと高い。


「……否定する根拠はなさそう。でもこの孤児院の人が情報持ってるのはもう確実って言ってもいいんじゃない?」


「それは間違いない。とはいえ単純に聞いてみて教えてはくれないだろうけど」


「街の秘密だもんなあ」


 たはー、と月の輝く空をニキアスは見上げた。月も星も何も教えてはくれない。


「街の秘密以上に秩序維持だよ。これまで保ってきたバランスが崩れたらこのでかい街がどうにかなる可能性だってある」


「ごめん、それ俺にはよくわかんないや」


「気にしなくていい。大事なのは人が集まると複雑になるってことだから」


 ふたりは視線を孤児院に向けたまま話をしている。ニキアスはバオの言っていたことの意味をしばらく考えていたがそれもわからなかったようで、小さく頭を振った。彼の頭の中では人数と複雑ということがつながらないのかもしれない。

 ただ待つのは退屈で、それがいつ終わるのかがわからないとなると余計にだった。夜も更けて眠気が強くなり始めてきたころ、ついに状況が動いた。


 すさまじい体格の人間がひとり、暗くてよく見えないがおそらくは男だろう、扉を開けて出てきた。とくに後ろを振り返ることもなくずんずんと門を出て路地の奥に消えていった。あとには誰も続いてこない。

 ふたりは顔を見合わせた。なにか大きな決裂があったのだろうか。しかし孤児院で怒声が発せられてはいない。こんな夜にそれを聞き逃すはずがないのだ。トーンを変えずに袂を分かつこともあり得はするが、それは関係性が悪いまま続いてもうどうにもならなくなった場合の話だ。もしくははじめから裏切りを想定した場合だ。どちらにしろ良い目ではないだろう。


「ねえバオ、これどういうこと?」


「待って、まだわからない。残りの人がどう動くかを見てからでも遅くないよ」


 じっと息をひそめて二分。また扉が開いて、今度は一般的な体格の人物が孤児院を後にした。動作から読み取れる感情はとくには見当たらない。ふつうに歩いていると表現して差し支えのない影だった。


「ひょっとして一人ずつ時間を置いて帰ってるんじゃ……」


「なんかそんな気がするね。何か理由があるのかな、お互い顔は割れてるだろうに」


「なんのこと?」


「あそこでやってるのが仮面舞踏会だってんなら話は別ってことだよ」


 ニキアスは隣の女性が何を言っているのかまったくわからずに首を傾げた。とりあえず彼に理解できたのは、彼らが時間を置いて帰路につくのなら、そこには明確な事情があるらしいということだ。同じことを考えていたのだからニキアスがバオの意見に賛成しない理由はない。ただ知らない言い回しをされたというだけの話だ。

 孤児院から出てきたのが二人の段階ではまだ確度の低い推測でしかなかったものが三人、四人と続いて確信に近いものへと変わっていく。もう月も空にいられる時間が残り半分をすっかり過ぎてしまっている。そんな中をだいたい一定のテンポを保ってひとりずつ孤児院から去っていくのは奇妙な状況だった。何人見ても誰も途中で足を止めることをしなかった。さっさと帰りたかったのかもしれない。


 そしてほとんど変わることなく刻まれ続けてきた一定のテンポがとうとう崩れた。ニキアスとバオはこれを会議出席者全員の退出と捉えた。いまあの場に残っている人物がいるとすれば、それは場を提供した存在だ。この街のギルドの調停役的組織、そのトップに個人的に雇ってもらうというふたりの計画に関するキーマン。この人物がここにいることを確定させるために尾行を続けてきたのだ。そしてそれが運の良いことにこんなにも早く報われる。どちらからともなくふたりは屋根から降りた。

 誰も見ていない夜を歩いて門を抜け、バオが先に扉の前に立った。


 そして、手の甲で木製の厳めしい扉をノックした。


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