05 尾行②

 失敗から学び、ニキアスはナナハラ一家とは別のギルドの長を特定することに成功した。変に気配を消すこともなく、ひとつのところに留まり続けることもなく、日常生活を送るふりをしてそれを確かめた。もちろん急ぎ過ぎてもいない。複数の観点から確認が取れたのはロテールにぎゃふんと言わされてから一週間後のことだった。

 ニキアスが新たに狙ったのは商会のギルドであった。打算はふたつあって、それはどちらもうまく通った。ひとつはロテール並みの腕利きがいないこと。そして商会が相手だから買い物をすることで店員の口が緩むことだった。さいわい山狩りのおかげでしばらくは困らない程度の額を懐に握っていたから、こぼれ話が聞けるまでそれほど時間はかからなかった。

 店舗をいくつか持つような、まあまあの規模と言って差し支えないその商会の長は商人という言葉で頭に思い浮かぶ典型的なイメージのうちのひとつが現実に具体化してしまったような姿をしていた。背はあまり大きくなく、人のよさそうな顔をして、腹は利益の証のように膨らんでいる。口髭がやわらかそうに見える。そんな彼が外を移動するときは常に複数の護衛がついていた。ふだん彼が詰めているギルドに出入りする人物でそんな体制をとるのはその一人だけだったから、彼がトップなのだと判断するのに迷うことはなかった。あとは彼が会議に出席するまで監視するだけだった。


 その夜は雲の存在を忘れたようにきれいな空で、星もよく見えて、そして空の色は黒ではなくて、濃くはあっても青を基調としていた。ニキアスが標的を見つけた話をバオに告げると彼女は納得したように頷いて、それじゃあ次のステップだと前置きをして話を始めた。


「明日からで構わないけど、尾行の時間を増やそうか。何せ会議とやらがいつどこで始まるのかわからないしね」


「場所ってけっこう広いところだと思うんだけど、絞れない?」


「難しいと思うよ。それくらいの建物ならたくさんある」


 それほど期待して放った言葉ではなかったが、あっさり否定されてしまうとすこし残念な気もするのだった。とはいえバオの言っていることは正論だ。そもそも会議に参加する人数規模が把握できていないのもあるが、ウェルウィチアの言っていた感じだとそこらのギルドが参加できるものでもなさそうだ。三ケタ人数どころか、せいぜいが三十、多くても五十人ほどのものだろうとニキアスも思い直した。それぐらいの人数ならどこかのレストランを貸切るだけでもじゅうぶんだ。候補は絞れない。

 さて段階が次にいったということで、ニキアスには確認しておきたいことができていた。ここ数日のおかげで彼は自身の頭がそれほど回るものではないとの自覚が強まっていた。尾行の時間を長くするにあたって、行動に対する根本の考え方を変えておく必要があるかもしれない。


「ねえ、明日からの尾行で気を付けることはある?」


 スプーンを操る手を止めて、バオは梁から吊るされている明かりに目を向けて考え始めた。椅子の背もたれに身体を預けて腕を組んだ。行儀としてはあまりよくないのだろうが、いったん食事からは集中を外すらしい。とろみのあるきのこのシチューはまだ湯気を立てている。多少は時間を置いても味を損なうことはなさそうだ。


「うーん、全部挙げるのは難しいから大まかな狙いだけ話しておこうか。そこから先はニキアスが判断してくれていいと思う」


「わかった」


 バオの言うことに頷いたニキアスも食事よりも聞くことを優先した。こちらは身を乗り出さんばかりに姿勢を前に傾けている。

 ほんのわずか時間があってバオが口を開いた。これから話す内容の順番の整理をしていたのだろう。


「まず最大の狙いはその会議を仕切ってる人物が誰かを特定することだ。だから会議に侵入できたら理想的なんだけど、それはやめたほうがいい。顔を見られたらたぶん一発でアウトだし、今後に響きそうでもあるしね」


「じゃあ会議場を特定して、その外で張るのが基本の方針?」


「私はそんなふうに考えてる。想像だけでしゃべってるから確証みたいなものはないけど、大事になるのは会議が終わってからだろうね。みんな帰る。そして仕切ってる人はおそらく最後かその前くらいに帰るはずだ」


 ハーブティーの入ったカップに息を吹きかけながら言葉をつなぐ。熱すぎるのかもしれないし、もしくは彼女は猫舌なのかもしれない。言い終わるとカップを少し傾けて、ほう、と温かそうな吐息を返した。

 真正面ではニキアスが首をひねっていた。


「なんで? 偉い人は最後に出るとかそういうルールがあるの?」


「最後まで残ってないと知らないところで内緒話をされて問題が起きるかもしれないんだよ。ほら、けっこうケンカ腰みたいなことを聞いただろ?」


「納得。でも全体の人数がわからないと最後の人かどうかわからなくない?」


「それは実際痛いところだね。なにか法則みたいなものがあれば助かるんだけど、さすがにそれは希望的観測が過ぎるか」


 バオは食事を乗せたトレイにあった手拭きをいじり始めた。手が汚れるようなことはひとつもなかったから、単に手持ち無沙汰になったのだろう。それは何かをかたちづくるわけではなく、ただ広げられたり折られたりと遊ばれているだけだった。

 ふたりの周囲の食事の風景と比較するとすこし静かなテーブルだった。きょう一日にあったことを話して笑いあうこともない。それよりは報告のほうに類縁性を持っている。加えて相談。内容は穏やかではなかった。


「うん。あとは、そうだな、……安全だと思う?」


「いやあ絶対誰かいるでしょ。秘密の会議で場所は内緒とはいえ街の有力者が集まってるんだ。見張りは絶対にいる。でもわかりやすい配置もしないはずだよ。ああ、そう考えたら面倒だな。コトを大きくはできないし」


「……えらい人の尾行って大変だね」


「まあ気付かれないようにうまく気絶させて手足、あと口をロープで縛れば」


「やってること完全に悪人だよ」


「それは本当に申し訳ないけど私たちの生活の第一歩のために、ということで」


 悪気なくにこっと笑う彼女の常識をニキアスは疑ったが、絶対にダメだと止めない自分も同罪だと思い直して否定するのをやめた。見張りに手を下すよりも前に、いきなり街の仕組みの上層部に食いつこうとしているのだ。その時点でルール無視をしておいて、過程で発生するものに対して倫理観を問うているのでは順番が違う。

 話が終わったと判断したのか、ふたりは同時に食事を再開した。さすがに出来立ての熱はすこし失っていたが、それでもまだまだ温かい。シチューが冷めにくいことに感謝したのはこれが初めてだった。


 翌朝からの行動は先日までのものと違っていた。携帯食、パンやりんごなど、を懐に忍ばせて高いところから標的のギルドの出入り口を監視する。標的の顔は割れているのだから、それが出てきたら追えばよい。誰にも見つからないように家屋の屋根を伝って監視を始めた。頭に一瞬だけロテールがちらついたが、この状況下なら気配を絶っても浮くことはない。ニキアスの本気の監視が始まった。万が一を考えて人相が割れないように鼻から下を布で隠すほどだった。

 先日に顔を確認したときと同様に彼の近くには護衛がついていた。力量のほどはわからないが、ずいぶんと体格に恵まれている。それだけで有利な暴力だった。とはいえいまは関係がない。あとを追うと目的地はどこかの商店だった。ただの買い物なのかもしれないし、傘下の店なのかもしれない。結局その日はハズレだった。


 二日目。そもそもギルドの長ともなると外に出てくる機会が限られてくるらしい。中で仕事をしているのかはわからないが、その日は姿を見せることすらなかった。


 三日目。雨が降っている。合羽を着込んで監視をするも収穫無し。先日と同様に別の商店に顔を見せるだけだった。


 四日目。また姿を見せない。入りから帰宅まできちんと追っていてもその日に何の予定もなければそれで終わりなのが尾行のつらいところだ。文句を言っても愚痴を言っても何も変わらない。相手は相手の都合で動く。ニキアスは一日に何回ため息をついたか数える気にもならなくなっていた。


 五日目。様子がいつもと違うようにニキアスには感じられた。いつもより出てくるのがずっと遅い。そろそろ月がいちばん高いところに上る頃合いだ。もちろん何か重要な仕事をしている可能性もあるが、別の可能性も捨てられない。じっと待つ。息を殺して集中する。さすがに人の家の屋根の捨てていくわけにはいかないりんごの芯から、すこし違った香りが漂ってきた。

 二階の窓の向こうの明かりが落ちて、手に提げるランタンだけになったことが光量からわかる。それが揺れて室内の影が大きく伸び縮みする。部屋から出て扉を閉めたのか、二階の部屋がまったくの暗闇に落ちた。別の窓で光が揺れる。彼が遅くまで残って最後に出るようなことがあっただろうか。すくなくともこれまでの四日間では確認されていない。手に力が入る。出入り口が開いて、扉が閉まる。もしかしたら勝負になるかもしれない。幸せそうな腹をした彼がふだんとは違う道を選べば、それはきっと始まりの合図だ。ニキアスはそう自分に言い聞かせて目を凝らした。

 商人が裏手の従業員用の扉から姿を見せた。鍵を閉めてすこし不自由そうに歩き出した。腹が邪魔になっているのだろう。大通りに出て端を行く。何度も何度も歩いて歩き慣れたという感覚さえ失ったように前だけを向いて進んでいく。見慣れた景色に注意を払う気はないようだった。

 いつもは使わない曲がり角を入っていったのを見てニキアスは確信した。俺たちは運が良い。今日が問題の会議の日に違いない。可能な限り物音を立てないようにして屋根から屋根へと飛び移る。周囲にも気を払う。バオも言っていたが、秘密の会合を行うのなら誰だって見張りを立てる。それも見張り自体にも情報を落とさないために比較的遠い地点に配置するだろう。つまりもうすでに警戒区域に入っている可能性もある。戦闘があるかもしれない。


「耳を澄ませ。息さえ聞き漏らすな」


 その集中は自身がそうつぶやいたことにさえ気付かせなかった。感覚としては音を捉える膜が二枚あるイメージだ。一枚目で遠近問わずに異音を捉え、もう一枚で標的が行動する音を捉える。比率では異音が八、標的が二の神経の傾け方をしている。二のほうの音はほとんどくぐもったような、木の扉の向こうから聞こえるような距離感だ。聞こえてはいるがその中身は重要ではない。音が聞こえていることだけに意味がある。それより注意すべきは一枚目だ。標的以外からの音は敵襲の可能性がある。

 日常ではまず考えさえしない神経の使い方はがりがりとニキアスを削っていった。ほぼすべてを敵とみなして警戒し、その対象を次から次へと変えていく。まともとは言えない振る舞いだ。風で葉がかさりと鳴っても構えた。散歩したくなるような心地よい月夜の下で、ただひとりだけ額に汗をにじませていた。

 視界の端で標的がまた角を曲がった。大通りからちょっと路地のようなところに入っていく。民家の屋根から道がどのようにつながっていくのかを確認する。まだまだ行き先は絞れない。家々から洩れる明かりのせいで歩いていく彼の後ろ姿は、余計に黒く映った。


 そのあと彼は次第に細くなっていく道を迷うことなくすいすい泳いで、とくに目立ちもしない扉をノックした。それを視認したニキアスはその場で周囲に対する警戒を限界まで高めて誰もいないのを確かめた。そして彼が入っていった建物の全体を、立ち位置を変えながらゆっくり眺める。何かの店であるらしく、メインで使われているのだろう出入り口の脇には看板が立てられている。サイズは数十人が入るにはじゅうぶんなほど大きいが、変だ。この建物だけ明かりがすっかり消えている。外から見た限りでは中で人が活動しているようには思われない。秘密の場所という言葉がニキアスの頭をよぎる。

 ちょっとした違和感は残るが、ニキアスは監視を続けた。

 ゴールの可能性がちらついたとはいえ、いつ終わるかわからない会議を待つというのは堪えるものがあった。周囲にも目を配る。この月明かりをどう捉えるべきかは難しいところだった。こちらからも見やすいが、警備がいるならそちらからも見えやすい。もしもこの環境で相手が複数なら不利と見たほうが良さそうだとニキアスは考え始めていた。日は沈んでしばらく経過し、ぼちぼち明日に備えてベッドに潜る人が増える時間だが、大通りにはまだ出歩いている人もある。いっそ街の明かりがすべて落ちたほうがやりやすいくらいなのだが、思ったところでどうなるわけでもない。ニキアスは息を吐いた。


 ニキアスがいくつか立てていた予想をすべて裏切って、幸せそうな腹をした標的が姿を現した。時間にしてわずか三十分、彼のあとに建物に入る人物をニキアスはひとりも見ていない。たまたま最後に入場したのが彼ということはあるかもしれないが、街にとって重要な会議がそんな短時間で終わるだろうか。期待ががらがらと音を立てて崩れていく。彼の行動は秘密裏ではあっても、店と店とのやり取りと考えたほうが自然だ。なんだよ、とニキアスは悪態をついた。そういえば会議場が同じになるはずなのだから、この場にバオがいないのはおかしいのだ。首根っこのあたりに穴が開いて、そこからこれまで張りつめていたものが抜けていくような気がした。とりあえず帰宅までを見届けるのは済ませよう。ニキアスはそう考えた。自分で決めたことだ。


(知らないうちに期待してたけど、スカされるとこんなにダメージあるんだな……)


 この四日間で追い回したことで見覚えのある道にどんどんと近づいて、自身の就寝時間についてニキアスが頭を回し始めたちょうどその瞬間だった。標的が家を通り過ぎてどこかへ向かう様子を見せたのは。

 そして、明らかにこちらへ敵意を向ける人の存在に気付けたのは。


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