11 報告とディナー

「ねえバオ、脅かしすぎじゃない?」


「悪かったって。でも言い訳させてくれよ、ああいうのは徹底しないとあまり意味がないんだ。一回じゃダメ。噛んで含めるようにして言い聞かせないと」


「内容の話だよ……」


 それこそ歩きながら道端で話す内容ではなかった。具体的な言葉が出ていないから耳目を集めないだけで、さっきまでいた家でのことを考えたら人を呼びたくなるほどの会話だ。後ろをついてきている家主も気が気ではなさそうだ。まさかあんな光景を見ることになるとは思ってもみなかっただろう。人を縛って転がして、あまつさえ脅しさえしたのだ。気分が悪くなったとしても不思議な話ではない。

 いつの間にかバオの手に戻っていた花束から流れてくる香りが、やっと家主の心を和らげた。花束なんて日常から持ち歩くのには向かないものを持ち歩いていたのは、こんな事態になることを初めからわかっていたからではないか、などと家主は悪気のない邪推をふくらませていた。


 一行は家主の家に戻って、まずは一息入れた。実際に使った時間はそれほどではなくても、疲労感はそれとは釣り合ってはいなかった。マジョラムのハーブティーは熱く、お茶菓子をはさみながらゆっくり飲むことでより神経が安らいだ。彼らは遠慮をせずにお茶を楽しんだから、そこは家主にとってはありがたかった。礼の意味があるもてなしに控えめな対応を取られてしまうと何もできなくなってしまうからだ。

 家主は背もたれに身を預け、言葉ない時間を無理にでも楽しむように過ごした。妙に視界がくっきりして、空気中のちいさな塵や埃が日の光に当てられて漂っているのが見えた。それらに意図はなさそうだった。


「それで、老台。私たちはあの家に住みたいんだけど、貸してもらえるかな?」


 断れるわけもない。家主は頷いて、続けて口を開いた。


「半年、でどうかね」


「半年とは?」


「お礼だよ。半年はタダでいい。よくない噂を解決してもらったのだから。借り手のいない物件ほど無意味なものもあまりないからね」


 バオの表情がぱあっと明るくなった。


「いいねいいね、うれしいねニキアス! 人助けはするもんだ!」


「そんなにすごいの? 家借りたことないからわかんないんだけど」


「そりゃあもう、って感じさ。あとで教えるよ」


 うんうん、と何度も頷きながらバオはニキアスの肩を叩いた。わかっていない彼は困惑するしかなかった。ここまで大きな反応を見せるバオに引き気味の対応を見せさえしている。しかし彼女はそんなものなど意に介さないようだった。機嫌よさそうにクッキーをつまんでは幸せそうな表情を浮かべている。

 それから三十分ほどあって、頭の切り替えが完了するころになってきた。日はまだ高く、もうひとつ行動するならこのあたりがタイミングだ。入居の話は済ませたし、雑談を楽しむ以上の用事はここにはない。さて、と言ってバオは杖と花束を手に取って立ち上がる。それに合わせてニキアスも鞘に入った剣をベルトに装着した。


「それでは老台、私たちはそろそろ行きます。いい話ができてよかった」


「ああ、こちらこそ感謝しているよ。困ったことがあれば相談しなさい」


「ご厚意痛み入ります。ではまた」


 一礼をしたバオにならってニキアスも一礼をした。こういった動作を彼は誰にも教わってこなかったから、真似のできるバオはありがたい教師であり教材だった。

 閉めた扉を後ろにバオは思い切り体を伸ばした。立ちっぱなしと座りっぱなしで、たしかに同じ姿勢がそれぞれ続いていた。その気持ちはニキアスにもよくわかった。それにしてももともと背の高いバオが伸びをすると、ひときわ目立った。上から下までで二メートルを超えてしまう。ちょっとした樹木だった。


「次どこ行くの? 宿に戻る?」


「おいおい、報告を忘れちゃダメだろ。イザベルのところ」


 ニキアスはすっかり忘れていたようだった。


 空き家がある、という話を聞いたときもそうだったが、孤児院というのは騒がしいものだった。ちいさい子たちが泣いたり笑ったり、それに対応する子たちがそれぞれまた反応を見せるせいで、入り江に押し寄せる波のように複雑に反響する。前庭を走り回っては転び、木に登っては落ち、理由はわからないがケンカをしては痛みを重ねていた。自分もあの年のころにはあんなことをしてただろうか、と思うとニキアスは不思議な気分になった。あるいはちょっと離れたところから見れば誰でもあんなものなのかもしれない。

 侵入を防ぐためのものでない、ただの仕切りとしての門を開けて本館の扉へと歩いていると、面識のない子どもがミツバチのように寄って来ては話しかけた。そのたびにバオもニキアスも膝を曲げて答えた。

 まっすぐ歩くよりはよほど時間をかけて扉にたどりつき、それを開けるとまた子どもがいた。冗談みたいな数に思われた。これだけの人数で、それもさまざまな年代を相手に御するという行為は不可能に思える。統率というと言葉が強いが、そういったものはどう執るのだろうと気になった。なにか専用の磨き上げた技術があるのかもしれない。

 子どものなかでは年かさの、ニキアスよりすこし下の年齢くらいの少女がふたりに近づいてきた。


「何かご用ですか?」


「ああ、イザベルに用がある。バオが来たと伝えてもらえるかな」


「少々お待ちください」


 年齢にそぐわない振る舞いは、あるいは院内での年長としての立場が育んだものなのかもしれない。扉をくぐったエントランスでニキアスはそんなことを思った。

 それほど待たずに先ほどの少女が小走りで帰ってきた。客への対応をよくしているのか、人当たりのいい笑顔を浮かべている。彼女を見た周囲の子どもたちは遊んでほしいらしく声をかけているが上手にいなされている。どうやら案内まで買って出てくれるらしい。たしかにバオとニキアスは孤児院からすれば見慣れない客であり、ここで案内を断るのも変な話だ。ふたりは素直に少女の後ろに従った。


 ふたりは先日に空き家について聞いた部屋と同じところに通されて、少女はその場を辞した。見るからに孤児院の職員のものとは思えない執務用の大きな机に、多くの書類や資料が重ねられていた。その机の主はいまはそれらに意識を置いていないようで、マグカップに入ったなにかを飲んでいる。湯気の向こうの大きな眼鏡はこちらを向いている。

 バオが動きもしないし話も始めないからニキアスもそれに従った。いつも話を始めるのは彼女であったし、その役目が自分に移ったとはニキアスは考えなかった。ニキアスにとっては妙な時間が流れた。ただ黙って立っていることに意味は見いだせなかった。イザベルはすでにティーカップを皿の上に戻していたし、書類に手を伸ばしているわけでもない。だんだん居心地を悪く感じてきたところで話が始まった。


「……あの、えっと、用件は?」


「報告だよ。教えてもらった空き家に行ってきた」


「ああ、そんな話もしましたねえ。それで、お住まいに?」


 さっきのよくわからない沈黙があったのにもかかわらず、言葉のやり取りはスムーズなものだった。もしかしたら自分だけ気付かない交流のようなものがあったのかもしれないとニキアスは考えた。たとえばアイコンタクトで話ができたりとか。


「うん。決めた。他の物件を探す手もあったけどね」


「それはそれは。何も問題はありませんでしたか?」


「一点を除いて文句なし。なんだか地下に続く変な穴があっただけ。それも塞いじゃったからもう構わないけど」


「穴、ですか。虫とかねずみが入らないといいですけど」


 意外そうにイザベルは承けた。眼鏡の奥の目が少し開かれている。

 たしかに考えてみれば家に穴が開いていれば驚くか、とニキアスは納得した。


「いたよ、ねずみ。それがまた変な奴でね、あの家に大事なものを置いてるくせに、いつも他のねずみに持ってかれてるらしいんだ」


「そんなねずみがいるんですねえ。よほどおいしいチーズなんでしょうか」


「さあね。私には突き止めようがないよ」


 ニキアスもこれがあの大男たちを指すものだと気付いた。しかしこうやって伏せて話を進める必要があるのかはわからなかった。別に聞き耳を立てる者があるわけでもなし、仮にいたところで同じ孤児院の人間のはずなのに。とはいえ口を挟む必要までは感じない。ニキアスの頭はだんだん愉快な方向に転がっていった。あんな二メートルもあるでかいねずみがいたら大変だよ、という具合に。

 イザベルがまたカップに手を伸ばした。それはわずかとはいえ時間を確保するための動きに見えた。どうやら場の主導権はイザベルにあるらしい。


「ですよね。さて、それでは今後あなたたちに連絡を取りたいときはそちらに?」


「ああ。手紙でもいいし直接来てくれても構わないよ。でも明日とかはやめてくれ。まだなにも揃ってないんだ」


「お茶菓子を期待するなら一か月は先でしょうか」


 顔の周囲十センチを照らすような笑顔を浮かべた。ここまでされるとバオはそれを用意せざるを得ないのだろう。これは処世術というべきか。実際は雇用関係にあっても表向きは友人関係ということに定められたのだ。でないと不審でしかない。理由もなく孤児院に訪れる人物がいれば、それは危険の札を貼られるべき存在だ。

 するべき会話は済ませたと思ったのか、イザベルはまたカップを持ち上げた。今度はほかの物事に気を払っていないことがわかる。さっきの動作と見比べれば一目瞭然の差だった。眼鏡の奥の長いまつ毛が下に降りて、どことなく色っぽかった。

 バオはまだその場を動かなかった。おそらく何も言わずに踵を返してもイザベルは引き止めなかっただろう。しかし彼女は何を言うでもなくその場に留まっている。するべきことがあるのか、言うべきことがあるのか。


「イザベル、今日の夜は空いているかい? 食事でもどうだろう」


「え? え、ああ、今日は、はい、空けられますけど」


「じゃあそうだな、七時ぐらいに中心街の噴水で待ち合わせだ。あの花壇のところ」


「ええ、楽しみにしてますねえ」


 何かと思えば食事の約束で、勝手に変な緊張を覚えていたニキアスは肩を透かされた。あくまで院内では友達の体を保っているのだと理解したのは宿に戻る道すがらであった。おそらくイザベルを外に呼び出すというのは、図式を雇用関係に戻して話をしたいことを意味している。となればきっと真面目な話だろう。ニキアスはたとえばどんな話があるだろうかと考えてみたが、想像がつかなかった。家の話はついさっき済ませたばかりのはずだ。

 友人に会いに来たにしては驚くほど短い時間だったが、バオはそれをまったく気にしていないようだった。もしもニキアスがこの孤児院に住んでいたら、もういいの、と聞いてしまうくらいにあっさりした時間だというのに。

 また子どもたちに囲まれては相手をしてから孤児院の門を抜けると、バオは宿へとまっすぐ帰る道から外れていった。すこし用事がある、と言っただけでそれ以外には何もなかった。この街に来てからまだ大して時間は経っていないのに様々なところに用事ができるほど馴染んでいるのかと思うと、ニキアスは感心せざるを得なかった。あるいはニキアスが交友関係を拡げなさすぎなのかもしれない。たしかに友達らしい友達はゼロだ。ニキアスは頭をがしがしとかいた。


 いつかの夜と違って、今日の夜はまだ明るい。そこらじゅうに明かりが灯っているし、そもそもまだ人出が多い。にぎやかな酒場や食事処の並ぶこの一帯は、まるで祭りでもやっているかのように盛況だった。快活で、雑多で、うるさかった。耳を塞いで顔をしかめる人もあったが、それこそ落ち着くと言う人もあった。

 ニキアスは騒がしいのは騒がしいのでいいし、静かなら静かなりにいいし、とまるで老人のような感性の持ち主だった。バオは明らかに騒がしいのが好みに合っているようだった。楽しく騒いでいる人々をうらやましそうに眺めている。待ち合わせをしていなかったら飛び込んで混じって肩を組んでいただろう。噴水の縁に腰をかけて、ふたりはイザベルを待っていた。


「あ、お待たせしちゃいましたか?」


「呼んだ私が待つのは当然だし、こういう眺めは好きだから気にしなくていい」


「ではお言葉に甘えますね。ニキアスもこんばんは」


 こんばんは、とニキアスも挨拶を返した。外で見るとイザベルの印象はまたすこし違ったものだった。室内というだけで知らず知らずのうちに陰気さというものが忍び込んでいたことにニキアスはここで初めて気が付いた。明るく弾ける、というわけではないが、ふわっとした雰囲気とでも呼べばいいのか、そういったものが外へ向けて放たれているのがわかる。なるほど多少離れたところからでも男性がちらちら視線を送っているわけだ。

 前を歩く女性同士の会話に入れるわけもなく、ニキアスは後ろをついて歩いた。ときおりバオが振り向いて相槌を打てるような話を振ってくれなければ居づらい思いをしたことだろう。外部に対して、自分はこの一行の一員なのだ、と説明したところで角が立つに決まっている。石を投げられるかもしれない。


「わざわざ着替えてきたのかい? 髪も。印象が変わるね」


「あのー、さすがに職場の格好のまま来られるほど無粋じゃ……」


「ははは、悪い悪い、まだ若い身空だったね。でもいいんじゃないか、そういうの」


「ええ? あなたも大して変わらない年齢ですよね?」


「んー、幅の取り方の問題だよ、ひとつ違うだけで口うるさい人もいるし」


 前にそんな経験をしたのか、バオが困ったように答えた。どこか言い訳しているようにも聞こえたし、言葉という道具では漏れのある説明をどうにか頑張ってしているようにも聞こえた。目的の店が近づいてきた。

 食事のピークの時間帯に盛況の店ということで、一行は店の外でテーブルに空きが出るまで待たされることになった。そのために置かれているのかはわからない樽の上に座ってドアの隣に控える。足を止めて眺める往来には、左右に様々な人々が流れていった。すでに酒が入って気分を良くした人もいれば、まだしっかりした足取りで目的地へと急ぐ人もあった。川とたとえるには流れる方向が複雑すぎて、それはやはり人の流れとしか言いようのないものだった。建物のそばで取り残されているような寂しい気持ちになった。


「あの、ここは何のお店なんですか?」


「魚料理の評判がいいらしい。私も来るのは初めてなんだ」


「好きなんですか? お魚」


「うん。ここは港町だからね、そこで美味いというなら食べてみたくて」


 言われてから二秒経って、あ、とイザベルは気付いたようだった。


「そういえば港町でしたね。ここ大きいし、孤児院にいると忘れちゃう」


 隣で話を聞いているだけだったが、ニキアスにはその感覚がよくわからなかった。なんというか、港町であると教わった彼よりも、たとえば生まれたときからこの街に住んでいる人はその事実をもっと深いところで理解しているものだと思っていた。ひどく説明のつけにくいもやもやがニキアスの中に生まれた。いくつもの付随する疑問を脇に置いて、疑問の中心の核だけを抜き出すと、じゃあ街とは何を指すのだろう、というものが残った。しかしそれに対する答えなど誰も持ってはいなかった。

 なんとなく空を見上げると、双剣の男と戦ったときより星の数が減っていた。風は意識するほど吹いていない。製造場所が別の、まるで違った夜だった。


 通されたテーブルは円形のテーブルで、頼む料理のサイズや量次第では困ってしまう可能性が高かった。バオもニキアスもよく食べる。宿では毎日のように少なかったと食後にこぼしているくらいだ。あまりにもイザベルが小食でない限り、すさまじい光景になるのは避けようのないことだった。

 いくつかの皿のふちを重ねるほどぎちぎちにテーブルは混雑して、それでもなお端が不安になった。テーブルが小さい、皿が大きい、難癖をつけられる点はあったが、それでも品数の多さが最大の問題点だった。通りがかりの客がぎょっとして、座っているのは誰かと確認してもう一度ぎょっとした。女性二人と少年一人。それぞれの胃を取り出して並べたら、入り切るとはとても思えない。金持ちの悪ふざけかと思ってその男はすこし気分を害した。


「ところでイザベル、ここに招いたのは話があるからなんだ」


 ほとんど音を立てずに食事をしていたかと思うと、バオは唐突に切り出した。


「私はニキアスとギルドを設立しようと思う」


「はて、どういう意味でしょうか」


「このたびめでたく私とニキアスの愛の」


「それは聞いてないけど!?」


「……愛のない巣ができたわけだけど、ただ住んでいるというのも変な話だ」


 やれやれといったふうにバオは首を振った。ニキアスの反応が早すぎたのかもしれない。イザベルはその辺りの話は耳には入ってもそのまま抜けて行ってしまったようだった。


「表向きにも生活のタネを手に入れなきゃいけない、ということさ。とはいえ大層なことをするつもりはない。ただ何かはしている印象を与えておきたいだけなんだ」


「稼がずに食いつないでたら目立つもんね」


 ニキアスの言葉にバオは頷いた。グラスから水を飲む。料理を楽しむときはこれがいいんだ、と言っていたことをニキアスは思い出した。

 がやがやと適度に騒がしい店内は、周囲には知らない人しかいないはずなのに、どうしてか気心の知れた空間であるような錯覚を与えた。これが雰囲気に呑まれるということなのかもしれない。グラスを差し出されたら当たり前のようにグラスを合わせるような空気が出来上がっている。


「さてそうしようと考えたとき、私たちがするべきことは何だい?」


「えーと、登録とか、そういうことですか?」


「そういうの」


「それはすごく単純です。中心街の登録所で登録するだけです」


「他には?」


「一年ごとに更新料が必要ですけど、登録時にはとくに」


 眉根を寄せて考えて、それでもなにか腑に落ちないものがあるのか首をひねった。バオのこうした動作は珍しい。ニキアスもほとんど見たことがなかった。彼女の中で納得のいく在り様ではないのだろう。

 近いうちにしわが残ってしまいそうなほど眉間に力を入れて、今度は絞り出すような声で質問をした。


「……実績の報告とか、そういった義務は?」


「どうなんでしょう? あそこはそんなことしそうに思えませんけど」


「ねえイザベル、もしかして孤児院と登録所は無関係だったり?」


「あるわけないじゃないですかあ、どうして孤児院とギルドの登録に有機的な関係が必要になるんですか」


 とんちんかんな冗談を笑うようにイザベルは流した。あくまでもギルド統括組織としての孤児院はどこにも存在していない、つまり世間一般と同じ常識の上でしか話をするつもりはないらしい。万が一をさえ許さない構え。

 ウェイトレスがオススメだと言っていた、魚を香辛料とともに塩竈で焼いたものを味わいながらバオは何か考えを進めていた。好みの一品だったのか、二度三度と手を伸ばしては頷いていたのは無意識かどうか。


「まあいいさ。とりあえず話したいことは以上だ」


「ギルドの設立、頑張ってくださいね。私も何か依頼させていただくかもですし」


「友人価格で対応しよう」


 話が終わったと口にしたとなれば、バオは言葉の通りに何も気に掛けることなどないとばかりに食事を楽しみ始めた。先ほどまでも存分に料理を味わっては頬を緩ませていたように見えたのだが、どうやら集中しきれてはいなかったらしい。あまり手が早く動いているようには思えないが、それでも近くの皿を見てみると量の減りがすさまじい。片付いた皿が積まれていた。

 三人前か、と問われれば十人が十人とも首を横に振る量の料理はすっかりなくなった。苦しそうな表情はない。どうやら無理をした人間はいないらしい。水で口の中に残ってしまう種類の味わいを落として、それぞれが息をつく。


「ところであの子、案内してくれた子は優秀だったね。まだ子どもだろう?」


「レベッカですか。まだまだ私たちに気なんて遣わなくていいんですけどね」


「いずれ私たちのギルドに呼びたいくらいだけど」


「ええ? やめてくださいよ。あなたたちのところなんてどんな依頼が飛んでいくかわかったもんじゃないんですから」


 手を前に突き出して拒否のポーズをとる。大げさにしているのか、それとも心底の表現なのかはわからない。しかしどうにしろわかることがふたつあった。ひとつはイザベルが孤児院の職員として子どもたちを大事に扱っていること。もうひとつはバオとニキアスに投げられる指示に危険なものが混じる可能性があるということだ。

 残念だなあ、とバオは笑った。ちょうどそれで全体としての流れに一段落がついたような空気になった。とくに確認を取るでもなく自然と三人は立ち上がって、食事の場はおひらきになった。代金はバオが自分から申し出た。


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