10 迫る

 振り降ろされた拳は身長差に腕の長さもあいまって、実感としては真上から鈍器を叩きつけられるのと大差はない。軽く後ろに跳んで避ける。風切り音が聞こえて、これは簡単な相手じゃないなとニキアスは表情を引き締めた。着地の前に相手の全身を確認する。大柄も大柄、身長はおそらく二メートルに届くだろう。隆々と筋肉を体につけて、ここまでくればもう武器および防具の領域だ。骨格を含めて才能。彼我の体重差は低く見積もって二倍はあるだろう。相性の話をすればはっきり悪い。これを相手に気絶で済ますというのは、まさに骨の折れる仕事といっていい。

 ニキアスが着地したのはドアとドアに挟まれた廊下だった。視線の先の犯人のリーチが判然としていなかったぶん、余裕を持たせるべきだととっさに判断した。アタリをつけていた地点よりも自分に近いところを拳が通過したのを確認したとき、ニキアスは安堵したほどだ。実戦において油断はしてはいけない。あんなパンチをもらってもまだ継戦できる自信など彼にはなかった。


「てめェ、なにもんだコラァ、どっから来やがった」


「……鬼ごっこをしててね、ここに着いたんだ」


「逃げ込む先としちゃ間違いだったなクソガキ」


 口調は荒いが激昂することなく、大男はすっと両拳を握って顔の前に持ってきた。拳闘の心得があるのかもしれない。きわめて厄介だった。致命傷さえ避ければ膂力で押し切れることを理解している構えだ。鞘でどれだけ打ち据えたところでこの肉体はそれを耐え切るだろう。気絶とは耐えられる閾値を一撃でぶっちぎることで発生する現象だ。我慢できる痛みを何度与えても気絶までは至らない。簡単に言い換えれば、頭に強い衝撃を与えればそれでいいのだが、どうやら目の前の構えはそれを許してはくれそうにない。

 じりじりと迫ってくる男に対してニキアスは有効打を持たない。とくにいまは廊下にいるせいで剣が振れず、下がるしかない。下手に突いてもこちらは鞘だ、掴まれでもしたらそれだけで勝負がつきかねない。殴り合いになればニキアスに目はない。

 半ば決まっていたことのように睨み合ったまま穴のある部屋へ入った。室内だから狭いには狭いが、まだ剣が振れる。戦うのならここしかない。外に出たらそれは事件になってしまう。


「ふっ!」


 腰をわずかに下げて放たれた打撃は、拳のたどる軌道とニキアスの視線が同一で、線として捉えることができなかった。そんなものがまともにもらえば後ろに吹き飛んで詰められて終わりの威力を備えている。とっさに左に体を寄せて、伸びきった腕に鞘に納まった剣を叩きつける。しかめた顔からはダメージがあることが見て取れるが、期待する効果はとても得られそうにない。

 大男は右腕をすぐにたたむと、そのまま右肩を引くようにして体勢を変える。これでまた射程内だ。さっきと違うのは、ニキアスと大男の直線上にテーブルの角がわずかに挟まっていることだけだ。しかしそれも一歩横にずれるだけで意味をなくす。

 状況の打破は決まってひとつのことを要求する。相手が想像もしていないことだ。いまこの部屋を規定しているのは、圧倒的な肉体的有利を利用した暴力だ。長いリーチを使って堅実に拳を突き出すだけでいずれ勝負のつく一方的な論理。それは、果実の生った木に対する時間と大地の呼び声のように。

 ニキアスはこれまで見た二撃を頭に思い浮かべる。落ちてくるような重そうな拳と始動から着弾までの時間がおそろしく短い拳。どちらも回避はしているが、どちらも余裕があったわけではない。ここからさらに相手の虚をつくとなれば、読みの精度を計算に入れなければならなくなってくる。目で見てからでは間に合わない。少年は呼吸のリズムを変えた。わずかな時間で息を吸って、その三倍かけて息を吐く。


 二度目のまっすぐ伸びてくる拳が放たれた。男がこれを気軽に撃てるのは、振りかぶるわけではないから生まれる隙が小さいという理由がある。しかもうまく当てればそれで彼は勝ちを大きく手繰り寄せることができる。撃って損はない。それに向かい合っている少年は剣から鞘を外していない。もはや撃ち得と言ってもいいほどだ。

 しかし拳はニキアスを捉えない。この少年には、体術というか実戦の経験はしっかりとあるらしい、と男はなかば無意識に考えていた。しかしそれだけに剣を抜かない理由がわからなかった。それらのことが油断につながったとまで言うのは難しい。しかしいま、そんなことが頭をよぎっていた男は完全にまた拳を避けた少年を見失っていた。さっきは右腕の外側に体をずらしたのだから男の視線はまずそちらへ向いた。そこにいなければ右腕の内側だ。しかし姿はない。

 下だ、と頭が追いついた瞬間には右膝の側面に鈍い痛みが走っていた。膝には肉がつく余地がない。骨がむきだしになっていると言ってもいい箇所だ。じんじんと痛むが、しかしそれだけで膝を折るわけにもいかない。体勢を低く、拳の下に潜り込んで一撃。そしてそのまま滑るように移動してテーブルの後ろに姿を隠す。流れるような判断と動作だ、と男は内心で評価した。勝利ということが意識されている。


 男は下手に距離を詰められなかった。右膝への攻撃を重ねられた場合、そこが壊れない保証はない。というよりはいずれ砕けてしまうだろう。相手の位置がテーブルのせいで見えない以上、距離を取るのが正しい。剣をこっそり抜かないとも限らないのだ。必然、彼が選べるのは待ちの一手だ。仕掛けてくるのを待って、それに合わせて拳をぶち込めばそれでいい。どうせ目で追えない速度でなど動けるわけがないのだ。

男はそう心を落ち着けて呼吸を整えようとした。その瞬間だった。

 テーブルが平らな面をまっすぐ顔に向けて飛んできた。瞬間的に頭の中で選択肢を並べる。これを隠れ蓑とすれば、あの子どもがどの手段を用いるか。テーブルの奥でただ構えている。これはいちばんあり得ない。状況が変わらないからだ。左か右かのどちらかから斬りかかってくる。これも消しだろう。素直すぎる。上もなさそうだ。膝を意識させて裏をかくという意味ではあるかもしれないが、跳ぶのは悪手。

 男はここまでを十分の一秒にも満たないわずかな時間で導き、飛んできたテーブルを叩き割ることにした。様子見の右ではなく、渾身の左。テーブルの真裏にニキアスがいるとの読みだった。なぜならそれが最も虚をつけるはずだから。


 拳はテーブルを砂のかたまりのように砕いた。力の乗るポイントよりもずっと前であるのにもかかわらず、その一撃は飛んできたテーブルを破壊してなお奥の地点を目指した。込められた力に固い拳、簡単に人が死ぬそれはもはや凶器だった。当たれば骨を砕き、さらにその奥のものを破壊しただろう。頭なら脳を、体なら内臓を。

 果たして男の拳の先にあったのは、空だった。満身の力を込めて放ったそれは何も捉えない。砕いたテーブルの破片が散ることで、目は勝手に閉じる。これは精神的な強さどうこうの話ではない。反射の類だ。片足立ちをしているときに手を引っ張られたら姿勢を維持しようとしてしまうのと同じだ。避けようがない。

 渾身の力を込めて打った左拳が外れたせいで体勢が崩れ、さらに目を閉じてしまったことを把握した男は伸ばした左腕を左右に振り回した。当たりさえすればそれでいい。体重差というものはそういうものだと理解している。左へと振る。当たらない。右へと抱きかかえるように振る。あるはずの、あってほしい手応えが何もない。下だ、と足を出して狙いも定めずに踏みつけを入れた。砕ける感触はあったが肉や骨のものではない。それは床だ。男は混乱した。すると、来るはずのない衝撃が彼のこめかみを打ち抜いた。重い不吉な音がした。硬い入れ物のなかで、やわらかい大事なものが左右に揺れた。頭のてっぺんから遠いところから順番になくなっていくような感じがした。その速度はすさまじいものであったから、抵抗のしようもなかった。


 目を覚ますと右頬に固いものがべったりと当たっていた。床だ。倒されて、転がされているのだ。視界には誰かのブーツが見える。さっき彼を襲った少年のものかもしれないが、それはわからない。戦闘中にそんなものを確認している余裕などなかったからだ。殺されていないのなら儲けもの、と体を起こそうとした。しかし動かない。

男の理解は早かった。縛られているのだ。

 男が意識を取り戻したのに気付いたのか、女性の声が聞こえてきた。どちらかといえば低めだ。なんとなくだが、面白くもない経験をいくつも積んで、褪せてしまった声のような印象を受ける。


「ああ、起きたみたいだ。気付いてると思うけど、きみは動けない。ロープで縛ってあるからね。頑張ることを止めることはできないけど、あまり勧めない」


 声の通りに本当に動けないのだ。なにせ背中で腕と足がガチガチに縛られている。力を入れる起点を潰されているようなものだ。丁寧な仕事だ。手首と足首だけでなく、そのふたつを縛っている縄をまた別の縄で結んである。それも背中側で。これでは仰向けになることさえできない。もうすこし細かく言えば指まで丁寧に仕事がなされている。こっそりほどく道も塞がれた。


「というのも、きみの仕事仲間か家族か知らないが、彼らは同じ立場にある」


 男は思い切り声の主を睨もうとしたが、わずかに視線が届かない。かろうじて腹のあたりに届くくらいで、その忌まわしい顔を拝むことができない。身をよじってどうにか顔の位置を動かしても、それに合わせて女が立ち位置を変えるせいで状況が変えられない。心の中で毒づいて、そうして一拍遅れて気が付いた。彼ら?

 思い当たる存在を理解して男はより一層暴れようとした。しかしどうやって結んだのか、本当に動けない。なじってやろうと声を出すも言葉はかたちにならない。ただの唸りで止まってしまった。


「その猿ぐつわというやつはうまくしゃべれなくなるうえに大声も出せなくなる優れものなんだ。叫ばれると困る。状況的には私たちが悪人に見えてしまう」


 とはいえ、だ。と別に大して困りはしないのだとでもいうふうに彼女は話を切り替えた。明らかに優位にあることを自覚している。露悪的でさえある。


「実際の悪人はきみたちだ。地下水路と空き家を使って何をしていた?」


 男はつばでも吐いてやりたかった。こんなことをされて素直に聞かれたことに答えるやつがいるだろうか。いいや自分は違うね、と彼は心に確認を取る。姿勢も状況もクソと断じるに値するが、まだ敗北しきってはいない。ただ動けないだけだ。


「さて、一方的にしゃべったのは私が聞きたいことを知らせるため。これから大事になるのはきみたちが話すこと。猿ぐつわを解こう。面倒だから叫んでくれるなよ?」


 そう言うと低い声の女は本当に男の口の縄を外した。想像していたよりもきつく縛られていたのか、喉の奥に変な感じが残ってせき込んだ。吸える空気の味が変わる。口の両端がひりひりと痛む。血がにじんでいるかもしれない。

 急に後ろから聞き慣れた声が飛んできた。


「アニキ! 大丈夫!?」


 これまでの温度の測りにくい声ではなく、明確に自分を心配する声。聞き間違えるわけのない声だった。すぐさま男は返事をする。大きく、声だけで無事であることを伝えられるように。


「モービー! お前は!? シィモーヴは!?」


「大丈夫! おれたち生きてる!」


 彼にとっては最優先で知っておきたかったことだった。縄をどうにかするための努力がすこし緩む。状況はほぼ最悪だが取り返しのつかない事態はまだ起きていない。そう前向きに捉えた瞬間、女がじっとこちらを見ているような気がした。不思議な質の視線だった。それはたとえば、どこか遠くの誰かふたりだけの秘密のおまじないが見事に成功して喜んでいるのを、その意味がわからずに眺めているような視線。逆に敵意ではないぶん気味が悪かった。男は急に気を引き締めたように黙った。この女を前に弟妹と会話をしたくないからだ。


「さくっと答えてくれよ? きみたちは地下水路と空き家を使って何をしてた?」


「言うと思うのかよ」


「状況見ようぜ。どうにもならないよ」


「断ると言えば?」


「きみがただ無意味に苦しむ。まあ、多少は手間がかかるんだけど、いくつかつらいやり方を知っていてね。さいわい私は手間を惜しむタイプじゃない」


 言葉は無感動に並べられた。明日の天気の話のほうがまだ情緒があった。爪でも切りながら衣替えはいつにしようか、なんて話をしているのと似たような温度だ。

 男が軽率にやり返すことができないのは、投げつけられた無感動なそれを嘘だと断じることができないからだった。いや、それよりもむしろ事実を下地に考えていた。嘘だろうけれどもし違ったらどうしよう、と、事実だろうけれど嘘の可能性もあるかもしれない、では考え方に大きな違いがある。いま女の迫力は後者であると主張している。

 黙っていると女が続けた。


「……私に言わせるつもりか? 悪趣味だな」


 それから女が仔細に話した内容は、とても悪趣味なんて簡単な言葉では片づけられないほどのものだった。それこそそういった特殊な職業に就いているとしか思えないほどに。想像力を揺り起こすような語り口が始末に負えない。自分がそこに歩いていくのだと否応なく思わされる。そしてその体験はこれまで経験してきたすべてを絶するだろう。狂う、男は確信した。この女の思い通りにさせたら人格が保てない。

 もう迷えなかった。負の方向の確信は、何も自分だけに向けられるものではないと男は理解したからだ。弟妹がそんな目に遭うことにも耐えられそうにない。


「……あそこは、空き家は物品の引き渡し場所だ」


「わざわざ空き家で? 交渉なら地下水路のほうが誰の目にもつかないだろうに」


「違う。対面で交渉はしねえ。俺たちはいわば運び屋だ。あの空き家に物品を置いていくだけの存在だ。何を運んでんのかも知らねえよ」


「すると、あの家にはもう一組は出入りしてる連中がいるってことか」


「ああ。そいつらが受取人だ」


 そこまで話すとすこし間が開いた。話し相手が何かを考えているように男には感じられた。ひっかかる箇所があっただろうか。すくなくとも彼は真面目に話しているつもりだった。脅しに屈している自覚があるのだから、いまさら隠すようなことは何もない。


「……なるほど。とりあえず話は理解した。じゃあ今度は私たちの事情だ」


 男は黙って話を聞くことにした。


「君たちが勝手に使ってる空き家。あそこに住みたくてね。引き渡し場所に使うのをやめてもらいたい」


「は?」


 悪魔かその類としか思えない女から出てきた“事情”は、想像よりもずっと穏やかなものだった。男は聞かされたものよりもずっと危険な取引を想定していたし、覚悟を決めつつあった。しかし悲壮なまでの強い意志は見事に空回った。


「別にきみたちの取り組んでいる良からぬことに口出しをするつもりもない。荷運びをやめろだなんて言わないさ。ただ場所を変えてくれればそれでいい」


「待て、それは」


「これは交渉じゃあない。指示だ。場所を変えろと言っている」


 交渉ではない。その通りだった。男の側には材料がない。全てが、それこそ命さえ握られている。さっきの悪趣味な説明を思い出せば、男の命など欲しくもないし惜しくもないと言外に告げているようなものだ。指示に従わないのならそんなものなんて捨てたって構わないのだ。

 急に縄で縛られたあたりが痛み出した。さっき無理に力でほどこうとしたせいで、こすれて皮膚がめくれてしまったのかもしれない。

 本当に余計なことが言えない場になってきた。男はどうしてそんな勘違いができたのかと自分を責めた。穏やかなわけがない。侵略者だ。危険な取引も何もテーブルがないのだ。そういえばさっき自分で砕いてしまったんだった、と男はくだらないことを考えた。


「わ、わかった。どうにかする」


「忠告だが、きみ、言葉は大事にしろよ。口にしたなら破ってはいけない。冗談ならそれとわかるようにするんだ。いいか、きみはいま了承したぞ」


 これまでと違って重く冷たい威圧感とともに言葉が下りてきた。発した音のひとつひとつに強調するための何かが加えられているような感じがした。実際には目の前に何もないのに、突きつけられた凶器がはっきり見えた。従わざるを得ない。この場をしのぐためだけに一時的に言うことを聞くふりをしてはダメだ。これまでの話がどのように進行してきたかを思い出せばすぐにわかる。この女は手間を惜しまないのだ。

 どう言葉にして返せばよいのかわからず、男は打ち倒された体勢のまま必死に頷いた。全身はこわばって、目が大きく見開かれている。


「じゃあ次は後ろの縄を解こう。姿勢を変えていい。私の顔も見たかったろう?」


 手首と足首を背中のほうで結んでいた縄が解かれた。人間の下半身は継続的にエビ反りの姿勢を保てるようにはできておらず、弾かれるようにラクな位置まで足首が戻って来た。それなりの時間を変な体勢で過ごしてしまったせいで、とくに腿の筋肉が体験したことのない感覚になっていた。他にも背中に知らない痛みが走る。

 どうにかうまい姿勢がないかと探したが、足首が縛られているせいでまだ難しさが残った。結局は立った状態からそのまま前に膝をついた姿勢に落ち着いた。まだ罪人のように見えた。


「やあ、私とそこの少年があの家に住む者だ。そちらの御仁は家主。きちんと我々の顔は覚えておいてもらいたい」


「チッ、誰が忘れるかよ」


 せいいっぱいの抵抗だった。機嫌を損ねて暴れるタイプなら痛い思いをするだろうが、この女はそうではないという確信があった。自身の扱いが特殊な手合いだ。こうやって自身を部品のひとつとして組み込んで論理を組み立てていく人種には、男はまだ出会ったことがなかった。

 左を見ると先ほど戦闘になった少年がいた。まだ身長も伸びきっていない、一種の不調和がそこにいる。これに不覚をとったのかとも思ったが、それはもう事実であり確定した過去になってしまっていた。もう一度やってもダメだろう。次は剣を抜かれているかもしれない。


「ところで、ここは何番街のどのへんなんだろう」


「三番街の東だ」


「なるほど。まあまあ歩かされたね。じゃあ話は終わりかな、私たちは帰るけれど、きみたちは?」


「すぐに話を通しに行くほかねえだろうが」


「よろしい」


 ひとつ頷くと女は彼の手首と指を縛っていた縄をほどいた。そうすると三人が集められた地下水路に続く穴のある部屋から振り返りもせずに出て行って、玄関から何事もなかったかのように帰っていった。まるで知り合いの家の近くにたまたま来たから近寄って、軽く話もしたから用事のほうに向かおうかとでもいうふうに。出て行く三人の誰一人として一言も発さなかった。出来事でさえなかったのかもしれない。

 男は自由になった手を、まず弟妹のために使った。どちらも手首足首に指、それと縄同士を縛られた自力では何もできない状態だった。二人の手を自由にしてやって、それからそれぞれ足首の縄に取り掛かった。


「アニキ、これからどうすんの」


「商会の連中に話に行くさ、でないと本当に殺される。あの女はダメだ」


「で、でも商会もやばいよ、何考えてるかわかんないし」


「まさか空き家みたいな引き渡し場所がひとつしかないなんてことはねえだろうし、俺たちだけがこの仕事をしてるとも思えねえ。最悪でも仕事が減るだけだ」


 すっかり縄を解くと今度は忘れていた頭の痛みが強くなった。思わず手をこめかみに持っていく。骨折していないのが不思議なくらいだった。さすがにふらつきまでは抜けないが、しかしそのおかげですぐに立ち上がれる。あらためて見てみると、手首足首のあたりで内出血が起きている。皮膚はこすれて真っ赤だ。長い間見ていたいものではなかった。

 嵐は去った。が、今度はヘビに会いに行く必要があった。面白くはないが、しかし男は逃げずにヘビの根城へ向かわねばならない。なに大丈夫だ、と彼は自分に言い聞かせる。空き家に人が住むからもう使えない、とそう言うだけのことだ。

 ひりつく手首と足首を消毒してから包帯を巻いて、そうして男は扉を開けた。


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