18 ばからしいじゃないか

 あと少し経てば西の空が橙色に輝くころ、ニキアスは自宅に向かっていた。背中に剣を背負っているのは普段通りだが、両手がいつもとは違っていた。大きな袋を右手と左手にそれぞれ抱え込んで、すこし歩きづらそうにしている。紙袋には持つための工夫などされているはずもなく、意識を集中して持たないとぱんぱんに詰め込まれた中身がこぼれてしまいそうだった。

 ジョゼフのそれとは違ってニキアスが潰れてしまいそうになることはない。けれど大荷物なことに間違いはなく、さらに慣れない姿勢だから大変そうではあった。街の住民たちの多くからすれば彼はまだ子どもと呼ぶのにじゅうぶんな年齢で、そのせいでなんだか温かい視線を送られていた。人によっては声援を送っていた。


 やっと玄関までたどりついて、ニキアスは一度荷物を下ろした。抱えたままでは扉を開けられないし、中に入ることもできない。ひとつずつ運び入れる必要があった。カギがかかっていないのを確認して、扉を開けながら声をかける。


「バオ、ごめん、手伝ってもらっていい?」


 呼び出されたバオがニキアスの足元の荷物を見て、うひゃあ、と声をあげた。

 しばらくどこに置いたものか迷ったものの、最終的にはダイニングルームの隅に置くことで決着がついた。床に置いて膝くらいの高さまでぎっしり物が詰まっている。一番上に見えるのはたまねぎだが、その下には何が眠っているのかはわからない。


「しかしどうしたんだいこれ。お土産にしてもオドロキの量じゃないかい?」


「それが本当にお土産なんだよ、今日知り合った人にもらったんだ」


 それを聞いてバオは眉をひそめた。当然だろう。誰かと知り合ってその日に大量のお土産を持たせることもそうだし、素直に受け取るのも考えものだ。悪い行為だとは言わないが、人間関係の機微みたいなものが吹っ飛んでいるような気がする。根から利害関係で結びついてしまえば、その関係性を変えるのは容易ではない。彼が帰ってくるまで頭にあった、からかってやろう、なんて気持ちはなくなってしまっていた。

 やれやれと息をついたニキアスは額に汗をにじませていた。彼の体力についてある程度の見当をつけているバオは、なかなか遠いところからこれらの荷物を運んできたと推測した。そしてそれは間違っていない。


「趣味の悪いお金持ちに出会ったとしか思えないけど」


「ただもらったわけじゃないよ、お手伝い料みたいな感じで」


「知り合いが増えたわけだ。それはいいことだね」


 ニキアスはカップに沸かした湯を入れて椅子に腰かけた。テーブルの上に寝そべるのに近い状態で頬杖をつく。


「モリエール商会って知ってる?」


「知ってるさ、この街でいちばん大きい商会のギルドだろう」


「知り合ったのがそこの人でさ。見た目とか話してる感じと違って意外とやることが派手なんだよ」


 おっとりとした上品さと話しやすさから受ける印象とは違って、ニキアスが見た彼女の採る手段は苛烈だった。しかし理不尽さを匂わせない。そのこと自体が理不尽と言いたくなるような一幕だった。そこに爽快感やカッコよさを見出しもしたが、同時に怖さをも見ないわけにはいかなかった。

 バオはニキアスの説明ではいまひとつ理解が及ばなかったようだった。イメージを作り上げようにも性別すらはっきりしていない。意外と派手という言葉から想像するに地味めな感じなのだろうか、と考えたところでその条件でも幅が広すぎた。続きを促すためにバオはニキアスのほうを見た。


「ええと、なんだろう。偶然が重なって、っていうのが大きくて」


「そういうときは最初から話すと説明しやすい。これは経験則だ」


「じゃあ今朝の話なんだけど、トレーニング中に子どもを助けたんだよ。びっくりするぐらいの荷物背負ってて。さっき俺が持ってきた荷物なんて目じゃなかった」


「よくまあ倒れてないものだし、周りも放っておいたものだね」


 冷ややかに放り投げる感じの言葉だった。聞いていていい印象を受ける部類の話ではない。それはニキアスへの評価よりも、何もしていない周囲に人間に対する隔意が中心にあるように見える。普段からすこし低い彼女の声が、また一段下がったように聞こえる。


「ホントにその通り。それでまあ、運び先までいっしょに行って、別れたんだ」


「え? いったん終わるの?」


「いやそのあとギルド登録しに行ったでしょ」


「朝のうちに話がちょうどいいところまで行くものだと思ってて」


 とくに何があるわけでもないが、バオに意外だと思わせたことでニキアスはすこし気分が良くなった。しょっちゅう驚かされたりからかわれたりしているのだ、言葉は過ぎるかもしれないが、たまにはやり返したってバチは当たるまい。そんな考えが出てくるくらいにはニキアスはバオに対して気安くなっていた。もともとの気質があるのかもしれないが、やはり組み合わせとして適しているのだろう。

 ニキアスは白湯を口にした。わざわざ味に触れるほどのものではないが、さておき温かい。意識にさえなかった指先に、かじかむようなわずかなしびれが走る。寒さを覚えていたわけではなかったが、血が巡るのがわかった。


「本筋は登録終わったあとだよ。ふらふらしてたらまた朝の子に会ったんだ」


「あつらえたみたいな偶然だ。まあ往々にしてよくあることだけど」


「驚いたよ、朝とは全然場所が違くてさ。あれ、みたいな顔してたと思うよ、俺」


 カップをテーブルに置いて、軽くその手をバオに向けた。ちょっと聞いてほしいことがあったときに誰もが取りそうな仕草だった。

 バオは静かに聞いていた。話すのが好きとは言っても誰かの話を途中で遮ってまで自分のしたい話をするほど野暮ではないのだ。


「話を聞いたらまた荷運びしてたんだ。今度は手紙だけど。それについていったら、最終的にモリエール商会にたどりついたんだよ」


 ニキアスはそこからの説明を、どうにかこうにかつっかえながらやり遂げた。特別に複雑だったわけではないが、話す順番がどうしても前後する部分があった。商会の独特な考え方もあったし、ニキアスにはすこし理解の及ばない箇所もあった。人柄について説明するときにはジョゼフもルクレツィアも苦戦した。とくに後者は言葉でイメージさせるのが難しい。

 ときおり相槌をうちながらバオはおとなしく聞いている。ニキアスは気付いていないが、彼が知らない表情を伴っていた。楽しそうに笑ってもいなければ、真剣な話を聞くときのように温度の消えた顔でもない。おだやかな、安らいだそれだった。


「バオとは違うタイプの話の上手さっていうの? そういうのがあったよ」


「私が話上手かは別にして、なかなかすごそうな人と知り合ったね」


「うん。お礼だから、って言われたら断れないよ、あんなめちゃくちゃな量でも」


 そう言ってニキアスは、部屋の隅に置いた大量のお土産へとちらっと目をやった。目立たない場所にあるはずなのに、大した存在感だ。テーブルの上にある花瓶よりも目を引いてしまう。華やかさだとか無骨さであるとか、そういった物差しの上にないのがかえって気になる。面白みのないものの堆積だって、大量になればどうしたって誰かの視界に入ってしまうものだ。

 ふたりはまだその中身を検めていない。日持ちのしないものはさすがに少ないだろうと思っているが、それでも怖さとうんざり感が隣同士に並んでいた。


 それからふたりは夕食の支度にとりかかった。どちらもレストランで出されるような手の込んだものは作れないが、家庭料理で不満が出ない程度のものは作れる。手元にあるものは野宿のときとは比べるべくもない。手際も悪くないどころか料理のためのスペースがあるとなれば安心して見ていられるほどだった。

 棚から出したバゲットをざくざくと切り、バスケットに盛って食事の準備はそれで完了だ。テーブルに飾られた料理を挟んでバオとニキアスが向かい合うのがいつものかたちだった。彼らは食事中はふだんほど話をしない。単純なことだが、ふたりには時間があるからだ。夜ともなればどちらかが自室に戻らない限りは、このダイニングテーブルがある部屋にいる。外に人の出がないのならニキアスはトレーニングに出かけたかもしれないが、しかしそうではないから事故が起きる可能性を考えて控えることにしている。

 彼らにはテーブルに置いた料理はすべて食べる習慣がついている。それは宿屋に宿泊していたときも変わらなかった。例外は保存食でもある漬物くらいだ。それでさえ一般家庭の平均と比べれば消費は明らかに早い。彼らの家計は食費の比重が大きいのかもしれない。


「そういえばバオはイザベルさんのところ行ったあとはどうしてたの?」


「ああ、そうそう、彼女から次の仕事を頼まれたんだよ」


「仕事ってなると初めてだね。統括組織としてのでしょ?」


 珍しくバオが言いよどんだ。表情も難しいものだ。ただそこに重い色合いはない。判断がつけにくいということなのだろうかとニキアスは推測する。しかしそれがどういう理由から来ているのかはわからない。それとそのことがどういう影響を出すのかもわからない。


「私の感触では、どちらかといえばお願いに近いような気もしてる、かな」


「お願い? イザベルさんの?」


「そう。まあ大変な内容じゃないんだ。だからこれについては私ひとりで担当しようと思ってるんだけど、どうだろう」


「別にいいけど、ほんとうに何もしなくていいの?」


「いいよ。簡単なことにわざわざ二人がかりで取り組むのもばからしいじゃないか」


 お願いに近いらしいイザベルの依頼ならたしかに難しくもないのだろう。そう理解することに抵抗はなかった。そして簡単なことという彼女の言葉を受け入れるなら、バオの言うことに全面同意だった。今日のことを思い出してみれば、手紙を届けるのにジョゼフについていったニキアスに言えたことではないかもしれない。しかし彼の場合は相手が八歳という事情もある。手伝う部分が違う。

 ニキアスは納得こそしたが、その内容がどんなものかが気になった。あのイザベルが頼むのだから、いくら口では簡単だとは言ってもそれなりに遂行が難しくはあるはずなのだ。そうでなければバオを使う意味はなさそうだというのが感想だった。あるいは彼女の手の範囲の物事はすべて任されるのかもしれないが、それだと会って話した感触とずれが生じる。


「どんな仕事なの、それ」


「話を聞くんだよ。ただそれだけ」


 ニキアスが疑わしげな視線を投げつつもすぐに、嘘でしょ、と言えないのは語り口に普段より冗談の成分が少ないからだった。彼女の信条のひとつは、冗談であるならそれとわかるようにすることだ。そしてせっかく冗談を言うのならもっとわかりやすく、派手に笑えるものにするのが彼女のやり方だ。こういった肩透かしは彼女の流儀ではないとニキアスは考えた。


「なんていうか、思ってたよりも簡単そうに聞こえる」


「やることはきみの言うとおり簡単だね。まあイザベルのことだからウラのひとつやふたつくらいはあるんだろうけど」


「よろしくない信頼の仕方してるね」


「まさか。賢いと褒めてるつもりだよ」


 ははは、とバオは笑った。ニキアスはバオがどのような人間関係を構築しているのかを知らないが、それでもイザベルについては気に入っているというか、仲良くしたいと思っているのだろうと見ていた。ニキアスの目には、バオからすれば近い位置にいる年齢の近い数少ない同性に見える。親しくしたいと思う理由としてはこれ以上ないほどではないだろうか。もっともニキアスはバオの考え方や嗜好についてはつかめていない部分がある。そこを加味すると一番とは言い切れない可能性は残った。

 食後のふたりはハーブティーを楽しんでいた。この家の貸主が入居祝いということで差し入れてくれたものである。専用のきちんとした器具はないが、それでも香りを満喫するにはじゅうぶんだった。本格的に手を広げるなら現状のものでは満足できなくなってからでよさそうだ。まだ何も考えずに沸かしたお湯でも、工夫できる余地はいくらでもある。


「そうそう、だからしばらく私はそっちの話を聞く仕事に専念するから。とりあえずよほどのことがない限りは夕方より前に帰ってくるよ」


「ん。わかった」


「ただ、そうだな、たぶん一日だけは必ず帰りが遅くなると思う。それが最後の一日だね、きっと」


 あごに手をやって考える仕草を見せながら、バオは依頼の見通しを告げた。最後の一日ということは仕上げのようなものがあるのだろうか、とニキアスは思った。話を聞いての仕上げ。もしかしたらなにか物語の創作の聞き役のようなものなのかもしれない。だとしたら面白そうだ。そして一人のほうが適切な気がする。材料の足りないニキアスはそれだけ自由な想像をすることができた。

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