13 魔法と魔女

 魔法という言葉が何を指すのかをニキアスはわかっていない。大雑把に、何か不思議な現象を起こすものだと理解している。かなり昔に聞いたような気もするのだが、うまく思い出せない。あるいは聞いたことがあると思い込んでいる可能性もある。

 考えてみようとも思ったが、そのとっかかりがない。実際に見たこともない。結論はすぐに出た。現時点では魔法について考えるのは不可能に属する事柄だ。世の中に点在するどうにもならないことのひとつだ。ヒントさえないのだから想像にすらならない。それを俗に妄想という。

 だからいくつもの意味を込めて、その込めた意味を自身でも完全には把握しないまま、ニキアスは問いを発した。


「魔法ってなに?」


「魔力の使用によって人為的に不自然な自然現象を起こす技術。これはあくまで私の定義だが、だいたいこんな感じのものだと理解してくれていい」


「ちょっとよくわからない。どういうこと?」


「たしかにこれは見たほうが早いだろう。見てて」


 そう言うとバオは右の手のひらをテーブルの上に差し出した。白く、奥に細い血管の見える手のひらだった。ニキアスは言われたままに差し出された彼女の手をじっと見続ける。何か起きるのだろうか。言葉を借りれば不自然な自然現象が。

 手のひらがテーブルの上に出てきてからぴったり一秒後、それは起きた。ぽん、と音さえしたと勘違いするほどに突然、白い花がバオの手の上で咲いたのである。声を出すことがニキアスにはできない。咲いた花に跡がつくほど視線を送って、そうして今度はバオに目を向けた。そこに彼の求める答え、そもそもニキアス自身がどんな答えを求めているのかも定かではない、はないと理解してもういちど花へと目が戻る。


「これ、え、これが」


「そう、魔法だ。私のね。こうやって花を咲かすだけ」


「どうなってんの、これ」


「ははは、手品みたいに見えるけどタネも仕掛けもないよ」


 ニキアスは信じられないものを見た、と目を大きく開くことで告げていた。無理もない。眼前の何もないところで花が咲けばそうもなるだろう。彼は二度も三度も手の上の花とバオの顔を見ては視線を戻した。


「すごい」


「初めて見たならそういう感想が出るかもしれない。でも私の魔法はこれだけで、たとえば手から火が出るみたいな感じに派手じゃないんだ」


「いやでもすごいよ、目の前で見たけど正直まだ信じられないくらいだ」


 一般的な十五歳の少年に比べて感情の起伏が抑えられているニキアスが、珍しくわかりやすく興奮していた。未知への憧れ。超常の権能。そういったものに心を震わせたのかもしれない。きらきらと瞳が輝いている。いまの気持ちの表現の手段がわからなくて、ただ手が彼のまわりをうろうろしている。上手な言葉が出てこないのだ。それが見つからないと言いたいことの大事なところがぼろぼろと抜け落ちていくことがわかっているからこその動きだった。

 しばらくすると自身の語彙が足りないことを理解して、ニキアスの手はやっと落ち着いた。しかし目にしたのは奇跡だ。生まれてきた感情の奔流を表現できないのならそれは違う矛先を見つける。


「ねえバオ、これって俺にもできる?」


「原理的にはできるけれど、現実的じゃない。これがたぶん正解に近いと思う」


 片眉を上げてすねるように口を突き出した。


「……原理っていうのはどういうこと?」


「そもそも魔法というのは俗に言う魔力というものを使って発動するものなんだが、これ自体はどんな人間にも備わっているんだ。つまり魔力が使えるようになれば魔法を使えることになるだろう? 私の定義とはズレてしまうけどね」


「俺にも魔力があるの?」


「あるよ。悪く言うわけじゃないけどほんの少しね。ほとんどの人と同じ」


 左手で頬杖をついて、右手の手のひらを上に向けている。いつのまにか咲いていたはずの花が消えている。魔法の花は自在に出したり消したりできるのかもしれない。バオは背が高いせいでテーブルに肘をつくのにすこし背を曲げなければならないようだった。そのせいかはわからないが、その姿は大型のネコ科の動物を想起させた。すこし背を曲げているとはいってもとくに辛いことはないらしく、椅子を後ろに引くこともなかった。


「ねえ、原理はわかったけど、現実的じゃないってどういうこと? 魔力が少ないのがいけないの?」


「そういうことでもないかな。魔力を少なく使う技術っていうのもあるし」


「……ハア、使い方って教えてもらえないものなんだね」


 思い切りため息をついて残念がる姿は子どもっぽいものだった。しかし世界の秘密のような技術を見せられて、それを自分も使いたいと願い、その願いが受け入れてもらえそうにないと理解すればその態度もおかしなことではない。まだ彼は特別なものを冷めた目で見るほど成熟してはいない。大人びた部分もあるが、まだ育ち切っていない部分もある年ごろなのだ。

 バオは十秒ほど黙っていた。その沈黙は、落ち込むまではいかなくともすこし気分の沈んだニキアスにどう説明したものかと考えているように見えた。その十秒が経つと、閃いた、というふうにわずかに口角を上げて話を続けた。


「イメージの話だけどね、ニキアス、急に三本目の腕が生えてきたらきみは上手く扱える?」


「……何を言ってるのかわからないけど、そんなの想像つかない」


「魔法が使えるというのはその三本目の腕がはじめから生えてるようなものなんだ。気が付いたら使い方を理解しているし、その説明はできない。わかるかい、手を動かすことはできてもどうやって動かしているかを言葉にはできないんだ」


 ニキアスは自分の手を見て、拳を握って開いてみた。たしかに動かせる。ではその動作を説明しろと言われたら困ってしまうのも本当だった。拳を握れ、という以上の指示がそこにはない。いやそれどころか、そんな指示さえ存在していない気がする。動かそうという意思の前に手が動いている気がしてくる。どうやって拳を握るのか。ニキアスは自分の手を見て、必死に頭を回してみたがどうしても先に進まなかった。同じように三本目の腕の動かし方の説明なんてできないと言われたら、もうそれ以上は詰めることはできない。

 ニキアスの動作のあいだはバオは口を開かなかった。きちんと納得をさせてから話を進めるつもりらしい。


「そういう意味で言えば才能という言い方は適切かつ不適切だ。有る無しの絶対的な二択になってしまうわけだからね。どちらかといえば性別の差に近いかな。ちなみにこれは余談だけれど、イメージとはいえ腕が一本多いぶん魔法を使える人間っていうのは不器用なひとが多いんだ」


「駄々こねる気にもならない。自分でできるイメージつかないもの」


「大丈夫さ。だいたい魔法を現実的なものと捉えてる人のほうが少ないんだよ。そもそも見る機会がないんだから」


 バオは気分よさそうに目を閉じて人差し指を立てている。話の組み立てが上出来だったことに満足しているのかもしれない。ニキアスはまだ手を握ったり開いたりしていた。動かそうとするから動く。いやもっと不確かな、なんとなくの産物なのかもしれない。この理解より先に進むことはできないらしい。

 今日一日で新しいものに多く出会った少年は、感心したようにため息をついた。


「バオって説明上手いよね。納得するしかないって感じだよ。慣れてる?」


「もともと口数が多いから、それでお鉢を回されることが多いかもね」


「そ。あ、ねえバオがいつも花束持ってるのって」


「縁があるっていうのはそういう意味だよ。変に見えるのはもう仕方ないさ」


 バオはやれやれといったふうに首を振った。彼女の説明に従えば、花とバオは切っても切り離せない関係ということになる。生まれ持った魔法という言葉が指すのは、好みの問題を遥かに飛び越えて身体化されているということなのだろう。それは常に片手を花束に明け渡す理由になっていた。

 ニキアスはテーブルの端の花瓶を見て、これもそういうことだと理解した。バオの美的感覚がそうさせたのではなく、その要素が含まれている可能性はあるが、それが彼女にとってより自然だからだ。バオにとっての花がない状況を他のものにたとえることができないが、ニキアスはそれを重要なものだと見ることにした。


「ところでバオって魔法が使えるわけでしょ?」


「まあね。花を咲かすだけだけど」


「ってことはバオって魔女なの?」


「待った、魔法が使える女性を魔女だと思ってるならそれは大きな勘違いだよ」


「え、違うんだ」


 ニキアスもすっかり頬杖をついている。こちらは前のめりに時間がかかってもいいと考えていることが見て取れる。知らない話が面白くてしょうがないのだろう。街を見て回るだけで新しい世界に感動できていた少年が、概念さえ知らなかった魔法なんて話を聞かされれば食いついてしまうのも無理はない。なんとなく知っていた単語を放り投げて知識を深めたいと思ってしまったのだろう。

 対面に座るバオは考える仕草を取った。キーワードは魔女だ。表情は渋い。あまり愉快な話題ではないということなのかもしれない。


「まず、魔女という言葉が何を指すのかは実ははっきりしていない。私が本で知識を得た限りだと、そこには魔女と呼ばれる理由は書かれていなかった」


「魔女の条件ってこと?」


「……なんというか、すさまじい言い方をするなあ。まあいいよ、とにかくその条件もしくはそんなものがあるのかすらわからないけれど、それでも私が読んだ本に魔女として記されていた者は二人だった。煙の魔女と不可視の魔女」


「本に残るくらいのことをしたってことだよね。作り話とかじゃない限り」


「過去についての記述が並ぶ本だったからいちおう事実だと思っているよ、私はね。ただ何をしたかは書かれていない。いた、とだけ書かれているんだ。それぞれ離れたところで、ぽつんと」


 話の運びはまるで怪談で、面白い話を楽しく聞かせるような調子ではない。しかしもともとここは明るさが尺度になってはいなかった。質問を受けてそれに答える場であってそれ以外ではない。そもそも話を始めたのはバオなのだから、急に方針転換をしてからかうのでは失礼だ。これから同じ家で過ごしていくのに、初日からそれでは先が思いやられてしまう。

 真面目に聞いてはいてもわからないことが多すぎる。ニキアスは聞けば聞くだけ、魔女の像がぶれてきていた。聞いた話をもとにして、頭の中で勝手に想像を膨らませているせいかもしれない。


「何をしたかは書かれてなくて、でもそこに魔女としていた、って書かれてる。それだけ聞くと相当変な話に聞こえるけど」


「私も興味深いとは思う。でも確かめようがない」


 両の手のひらを上に向けて降参のポーズをとる。


「そういえば酒場のおじさんが魔女の話をしてたけど、いまも魔女っているの?」


「本に載ってたさっきの二人は何百年も前の話だよ。さすがに生きているとは考えにくい。あるいは魔女になれる方法があるなら話は変わってくるかもしれないけど」


「なんか、話を聞いてるとおとぎ話と変わりない感じがする」


「実際のところ大差はないのかもね。いたとしても結局は過去の話だ」


 そういうのはロマンであり憧れであり続けることに意味がある、とバオは結んだ。だからいまもなお語り継がれているのだろう。手が届きそうでありながら、絶対に触れられないとわかっているからこそ身近に置いておくことができるもの。それこそが人々の記憶から消えない理由だ。まるで遺伝病のように、親から子へ。

 ニキアスは魔女をよくわからないものとして納得することにした。魔女については明確な知見を得ることは難しいと判断したのだ。わからない部分も疑問もまだまだあるが、答えられる人がいないなら仕方がない。それならロマンとして理解しておいたほうがおさまりがよかった。その代わりかはわからないが、ニキアスはまた質問を飛ばした。


「ところでバオみたいに魔法使えるひとってけっこういたりする?」


「調べたことはないけど、かなり珍しいと思う。おそらく何万人に一人とか」


「そんなに少ないんだ。でもじゃあこの街なら何人かはいるかも」


「だろうね。つっても見つからないと思うよ?」


 からかうようにバオは笑った。実在の確定している未知にワクワクしていたニキアスは希望を潰されて、すねたような目でバオを見た。目には言葉にせずとも、なぜ、という問いが乗せられている。


「だって三本腕は希少で、魔法はそれに見合うほど有用だ」


「三本腕? それになんで有用だと見つからないの?」


 バオから言葉が落ちるたびに新しく疑問が生まれた。同じ地平を歩いている人間と思えないほどに知識に差があるということだ。バオが世界について詳しいのか、あるいはニキアスが何も知らないのか。そのどちらもがあり得たし、両立していることもあり得た。


「ああごめん、三本腕は魔法が使える人の通称。彼らが見つからないのは、うーん、あまり説明したくない。人間のよくないところが関わってくるから」


 そう言われてしまえばしつこく尋ねるのは無粋になってしまう。なにせニキアスの出発点は興味本位でしかない。そういった好奇心を正しい理由で窘めるのは年上の責任だった。もちろんいつかは知る必要があるだろう。それが今日このタイミングではないということだ。それに教わる相手が目の前の人物とも限らない。

 ニキアスはこの短い時間に出てきた新しい概念と単語を思い返していた。魔法と、その原理。それと魔女。まとめてしまえばここまで単純化できるが、とはいえ中身はそうではない。解決のできない疑問がごろごろ転がっていて、そしてそれは鈍く光を放っている。興味があってもどうしようもないのだ。話がしたいと願っても、周りに人がいなければ達成されないのと同じように。

 目を伏せたバオが、ついでにといった感じで付け加えた。


「私が魔法を使えることも内緒にしてくれると助かる。同じ理由でね」


「わかった」


「うん。話しておきたいことはこんなものかな。ニキアスはまだ何かあるかい?」


「いまのところは大丈夫。あ、ウェルウィチアが心配してたよ」


 ニキアスは昼間に再会した少女のことを思い出した。


「む、どんな心配をしてたんだい」


「どんな、ってのもないよ。ただよろしくしてやってくれ、って。別れ際に」


「おいおい、まるで家族の物言いじゃないか」


「家族でしょ。実家がいっしょなんだから」


 それを聞くとバオはまた渋い顔をした。反論したいのだけれどどうにも分が悪い、と思っていることがありありとわかる。ウェルウィチアと初めて会ったときのことを思い出しても、実家そのものが禁句ということはなさそうだが、またそれとは違う複雑な事情があるのだろうか。

 せっかくの綺麗な顔を、と言いたくなるほどゆがめにゆがめて唸った。もしかするとさきほど耳にした“森”のルールに触れそうになっているのかもしれない。どうにか苦しそうにバオは言葉を絞り出した。


「……私が外に出てから生まれてるはずなんだ、まあ、家族ではあるんだけど」


「姉妹なんだし仲良くしなよ。仲悪くする理由もないんだしさ」


「追々ね、追々」


 ニキアスもそれ以上は追求しなかった。家族とはいえここへ来て初めて顔を合わせたのだから事がそう簡単に運ぶはずもない。もし自分に見も知らぬ年下の弟なり妹なりが出てきたとして即座に仲良くできるかと問われれば、あやしいと答えるだろう。どうしたって一緒に過ごす時間は必要になるものだ、とニキアスは結論を導いたところで立ち止まった。何か変な部分がある気がした。しかしそれが何なのかを突き止めることはできなかった。なんだかもやもやとしたものが頭に残る。


「よし、じゃあ話はこれでおわり! 明日は登録所に行こう、それでいいかい?」


「いいよ、早いほうがいいもんね」


 しかしその正体の知れないものはバオの一声で吹き飛ばされた。即座に出てこないのなら重要性は低そうだ。それに知らないことを知り過ぎて頭が疲れてしまっただけの可能性もある。ニキアスは消えてしまったそのもやもやを追いかけるようなことはしなかった。大事なことならきっと明日にでも思い出すだろう。

 バオが楽しそうに天井を指さした。


「そうそう、きみの部屋は二階に上がって左の部屋だ。布団も敷いてある」


「わかった。ありがとう」


 月は昨日ともまたわずかにかたちを変えて、何も知らぬげに夜を登っていた。その光は雲の縁を照らし、月自身の存在を強調していた。光は波打って屋根や道にまで届き、世界は重い青い膜の向こうに落ちていた。誰もそれに文句を言わなかった。夜は支配のひとつの完成型だった。満足不満足の存在しない、気付かれさえしない支配。どこかで何かが起きても目を閉じる。みんなが目を閉じる。


「ではまた明日。おやすみ」


「おやすみ」


 この言葉といっしょに。


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