#24 おしまい

 そろそろ過去の時代にいるのもお終いだ。

 キクがそのあとどんな人生を送ったかはわからないが、きっと優しい男性と結婚し、子供を産み育て、よい母親になり、幸せに過ごしたのであろう……と、クリューサンテムムは言った。まるで自分がそれを体験したかのような口ぶりだった。

「戻りましょう、陛下のお城へ」


「うむ。帰ろう」


 真理の鍵を取り出し、2人は城に戻ってきた――城がなくなっていた。

 都は都市として栄えている様子はない。ただの野原だ。クリューサンテムムは、

「余がここを都と定める前のようだ」

 と呟いた。

「じゃあ陛下はここに都を造られなかったんですね」


「そういうことになろうな。……そうか、余はふつうの女として生涯を送ったのだったな」


 ふいに、クリューサンテムムの姿がぼやけた。

「余はもうここに存在を繋ぎ止めることはできない。運命が変わって真理の鍵の力が切れたからであろう。リリ、そなたが真理の鍵を受け継げ」


「陛下」


「余はそなたを愛しておる。だからそなたに、その悲しみを手渡す。そなたが思う世界に、世界を書きかえよ」


「陛下、行かないでください。陛下!」


 クリューサンテムムは消滅した。

 リリは、今までと同じく、激しく泣いた。


 泣き止んでから、リリは足元に落ちている真理の鍵を拾う。なんの変哲もない鍵だ。

 なにを願おう。服の下に下げている、弟の守り石を握りしめる。


「平和な、家族との日常を、わたしにください」


 世界がぐにゃりと歪んだ。リリはひどいめまいののち目を覚まして、そこが焼かれる前の故郷の家であることに気づいた。

 懐かしい、梁や柱が剥き出しの田舎の家。貧相な布団から体を起こせば、母親が料理をしている。

「あ、リリ。起きたなら手伝って」

 母親にそう言われ、かまどでお粥を煮る。

 弟が起きてきて、配膳の支度を手伝ってくれた。

 父親も起きてきた。鶏の卵を拾いに行ったようだ。それを母親が手早く目玉焼きにして、みんなでいただきますと、食卓を囲んで笑顔で言う。

「どうしたのリリ、ボーッとして」


「あー……なんだか変な夢見ちゃった」


「姉さんはずーっと寝てるからだよ」


「あんたよりは早起きしましたー!」


 家族は明るく笑う。そうだ、これがリリの欲しかったものだ。復讐よりなにより、家族と平穏に暮らすことができれば、それでよかったのである。


 食事のあと、リリは村長の家に向かい、新聞を見せてもらった。都の皇帝のことが書いてある。肖像画をみる限り男性だ。つまりこの村に、男狩りで攻め込んでくることはない。


 リリは心の底から安堵した。

 あるべき日々が復活したのだから。


「リリ、お前新聞が読めるのか?」

 村長にそう尋ねられる。


「簡単な字なら独学で覚えたんです」


「ほー! 感心なことだ。女が知恵をつけるのはよくない、なんて古い考えだそうだからな。この記事読めるか?」


「皇帝陛下……女子学院を……整備」


「これからは女も読み書き計算のできる時代がくる、なんて思っていたら女子の大学だそうだ。素晴らしいことだな」


「ええ。その通りですね」


 ガリファリアが読み書きを教えてくれたことを、リリは思い出していた。


 村長の家を出ると、村の娘たちが薬草の花を摘んでいた。

「花湯にしようよ。きっと甘くておいしいよ」


 ペンサミエントを思い出す。花湯を知らないふりをして打ち倒した相手だ。


 隣の家の子供が街のほうに走っていく。家を覗くと――ドアなんて上等なものはない――、その子供の母親らしい人が産気づいていた。


 ピュアキントゥスを孕ませたことを思い出す。


 あの日々は間違いなく愛の日々だった。殺してしまわねばいけない相手だったのに、紛れもなくリリは愛のなかにいた。

 家に戻って、隣の家が、と説明すると、リリの母親は隣の家に向かって湯を沸かし始めた。子供は街から産婆を連れてきたようだ。ただ父親だけ、ぐるぐるとうろたえている。


 それからしばらくして、無事に隣の家に赤ん坊が産まれた。女の子だった。

 どうか、幸せに生きてほしい。リリはそう思った。

 この田舎の村では、医者の世話になるのに街に行くか村の呪術医を頼るほかない。呪術医の出番がなかったことを見ると、いまの世の中はとても理にかなったことをする世の中のようだ。

 赤ん坊は祝福されて、でも自分がなにをされているのか分からず泣いている。子供は弱いから、いまのリリくらいの歳になるまでは油断できない。

 どうか健やかであれ。幸せであれ。リリはそう願った。


 その日はそういうことがあって、そのあと畑仕事をして1日が終わった。

 やっぱりいささか薄いお粥をすすり、弟が川で捕まえてきた魚を焼き、みんなで食べた。


 愛の日々をつい思い出してしまうけれど、これで全て終わった。これからは自分の人生のために生きていっていいのだ。

 復讐はなにも生まない。しかしリリは家族を取り戻した。真理の鍵という手段に出たとはいえ……。


 誰かに、愛されることを望んでも、いいのだろうか、と、リリは思った。そういう人生を、送ることが、これからできるのだろうか。

 もう無知な村娘ではない。たくさんのことを知ったのだ。リリは幸せに生きていきたい、と願った。(おわり)

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白百合の復讐 金澤流都 @kanezya

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