#16 ひと匙の毒薬

 ピュアキントゥスの愛人として平和に過ごす日々を、リリは幸せに思いはじめていた。

 幸せだなあと思うたびに、ピュアキントゥスは殺すべき相手だ、と思い直すのを繰り返して、リリはどうしていいか分からなくなっていた。

 殺さねば。このピュアキントゥスという女が、父と弟を、村のみんなを殺したのだ。だからリリは、自分が先に死ねばいいのに、と思いながら、毎晩ひと匙の毒薬を飲んでいる。


 ピュアキントゥスが屋敷を訪れているある日、リリは腹痛を催していた。なんのことはない、月に一回かならずのやつだ。

「顔色が悪いよ。どうしたの」

「いえ、毎月恒例のやつです」

「あー……そうか。ならきょうはここでおいとましようかな」

「そう言わずゆっくりなさっていってください。病ではありませんので」

「病気でなくとも痛いものは痛いし辛いものは辛いって言っていいんだよ」

 そうなのだろうか。リリにはよく分からない。

「いま流行りの医者にいけば、止めてもらえるらしいよ。その代わり止めている間は子供は望めないそうだが」

「ピュアキントゥスさまは、わたしと子供を作りたいのですか?!」

「うん、これはしごく真っ当な欲求だと思っている。リリに似た子がいい」

 どう答えたものだろう。リリはしばらく悩んでから、

「本当に、女同士でまぐわって、子供ができるものなのですか?」

 と、ピュアキントゥスに尋ねた。

「できるよ。欲しいと望みさえすれば。皇帝陛下がそうなるように世界を変えたからね」

 世界を変えたというのが、今ひとつ理解できないリリに、ピュアキントゥスは穏やかに言った。

「皇帝陛下は昔、まだ生娘だったころに、男になぶられ好き放題されて、それ以来男を恨んでおられた。そして皇帝の位についたとき、真理の鍵で世界の仕組みを変えて、すべての男を排除されるとお決めになられた」

「皇帝陛下は、ふつうの娘だったのですか」

「そうだよ。大きな宿屋の食堂の給仕だった。そのころは男も当たり前に暮らしていて、その宿屋に泊まっていた荒くれ者に乱暴されたんだ」

 ちょっと待て、ピュアキントゥスは生まれてから一度も男を見たことがないと言っていた。では皇帝は何歳になるのか。

 それを尋ねる。ピュアキントゥスは、

「皇帝陛下は世界のすべての男を滅ぼすまで死なないという誓願を真理の鍵に立てた。だからいまも生きておられる」

 と、真面目な口調で答えた。

 では皇帝は干し葡萄みたいな老婆なのだろうか。ヴィオラの見せてくれた肖像画は若く美しいころのものだったのか。

 リリがそれを想像したとき、ピュアキントゥスは「皇帝陛下が干し葡萄みたいな婆さんじゃないか、って想像したのかい?」と尋ねてきた。

「い、いえ、そんなことは」

「いいんだよ。どうしてもそういう想像をするのは仕方のないことだ。というか大半の国民がそう思っているんじゃないかな。国民の、婆様の、そのまた婆様の代から、皇帝陛下はこの国の頂点に君臨しておられる。肖像画を若いころの絵だと思われていることもご存知だ」

 ずいぶんと大らかな方なのだなあ、とリリは思った。

「僕がお仕えし始めたのもずいぶんと昔だ。僕もふつうの民なら月のものなど無くなっている歳になった。皇帝陛下と神の御輝きを浴び続けて、僕も歳をとるのが遅くなった。リリ、僕を殺したら、皇帝陛下のおそばに上がるのかい?」

「殺すなんてとんでもない」

 そう言って、リリはその思いが本物であることに気付いた。

 ピュアキントゥスを殺したくない。

 いままでの2人に抱いた気持ちより、遥かに巨大な感情と言えた。

 でも殺さなくてはならない。なんのために、苦しい思いをして、毎晩毒薬をひと匙飲むのか。

 毒薬を飲むと息苦しくなる。まるで肺が縮まったような苦しさだ。それでもピュアキントゥスを殺すために、薬を飲み続けたのだ。

 そう遠くないうちに、ピュアキントゥスを殺してしまわねばならない。リリに飽きてほかの愛人に夢中になる前に。


「……どうしたの、リリ」

「あ、いえ、……なにも」

「そうかい。……リリ、お手洗いを借りていいかな」

 ピュアキントゥスは口元を押さえて立ち上がった。そのままお手洗いに小走りで向かい、激しくえずいている音がした。

 なにか変なものを食べさせてしまったろうか。リリはよく分からないまま、ピュアキントゥスが戻ってくるのを待った。

 ピュアキントゥスは、激しくえずいたあとだと言うのに、嬉しそうな笑顔で戻ってきた。とても機嫌のいい顔をしている。幸せそうですらあった。

「なにか変なものをお召し上がりになったんですか?」

「いや。自分でもビックリしたがね、リリにいい報告ができそうだよ。僕のかわいい百合の花」

 ピュアキントゥスの機嫌がいい理由が分からないで、リリはポカンとピュアキントゥスの整った顔を見つめた。ピュアキントゥスは困った顔をして、

「わからないかい?」と尋ねてきた。

「はい、わかりません」

「素直ないい子だ。僕に、きみの子ができた。しばらく他の愛人とは話してもいなかったから、間違いなくきみの子だ」

 ピュアキントゥスのニコニコ顔を、リリはただ恐ろしいと思った。

 リリは、ピュアキントゥスを孕ませたのだ。おそらく、ピュアキントゥスが望むことによって。

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