#15 真理の鍵
ピュアキントゥスは頻繁に、リリの邸宅を訪れるようになった。
ピュアキントゥスはリリを抱く日もあれば、2人で花を眺めながら食事をするだけの日もある。きわめて平和な生活と言えた。
ある日、ピュアキントゥスが手土産に持ってきた菓子を食べながら、都では当たり前に飲まれている遠い国の豆で作った茶を飲んでいると、唐突にピュアキントゥスが言った。
「いちどリリのほうから求められてみたいな」
リリは茶を噴きそうになった。無理だ。ぜったい無理だ。リリはそういうことをしに都に出てきたわけではない。復讐のために都に来たのだ。
「ほら、言ってごらん。一緒にねんねがしたいです、って」
「そんな恥ずかしいこと言えるわけないじゃないですか」
「恥ずかしいことじゃないよ。恋人同士なんだから当然だ。……あるいは」
ピュアキントゥスは考え込んだ。
「あるいは、きみは復讐のためにここに来ていて、実のところ女に抱かれるのを快く思っていないのかな?」
「そうだ、と答えたらどうされます?」
「困ったなあ。僕のかわいい百合の花が、そんな恐ろしい子だとしたら、僕はきみを兵団に渡して、火炙りになるところを泣きながら見るしかない」
火炙りになるのか。リリはピュアキントゥスのほうを見た。ぽろぽろと泣いていた。
「いやだ。リリがいない世界なんて、ぜったいにいやだ」
愛されているのだ。
リリはそう思ってぞくりとした。愛されていることを認めてしまった。さらに言えばそれでいいと思っているのだ、女に愛されることを。
しかしこれを利用するしかない。ピュアキントゥスに飽きられる前に、毒薬に慣れて、ピュアキントゥスを殺してしまうしかない。
どんなに愛されても、ぜったいにやり遂げねばならない。あの日家族たちはどんな思いで殺されていったか、ピュアキントゥスに教えてやらねばならない。
「あの」
ぽろぽろ泣いているピュアキントゥスに、リリはハンカチを差し出して訊ねた。
「どういう仕組みで、女が睦み合って子供が生まれるようになったんですか?」
「皇帝陛下が『真理の鍵』を手に入れられたんだよ」
ピュアキントゥスは涙を拭きながらそう答えた。
真理の鍵。なんだか恐ろしげな言葉である。
「真理はこの世の動かざる決定事項だけれど、真理の鍵を持つものはそれを書き換えることができる。皇帝陛下は、女の国を作ろうと、真理の鍵を手にしてそう願われた」
皇帝にもなんらかの事情があったのだな、と察せる程度に、リリは知恵をつけていた。
「やはり、リリは男のいる村から来たのだね」
「……はい」
はいと答えるしかなかった。
「僕は男という生き物を本でしか見たことがない。股間にブラブラと性器をぶら下げているんだろう?」
「それはもちろん隠します」
「隠すのか。まあ我々も隠し所は隠すわけだし当然といえば当然か。暴力的で支配的というのは?」
「それは人によります」
「人によるのか。じゃあ男はぜんぶ悪いわけじゃあないんだね」
都の人の「男」のイメージの歪みぶりに、リリはクスリと笑ってしまった。
「もし皇帝陛下が出逢われた男が、リリの父親のような人だったら、こうはならなかったかもしれないなあ。男と睦み合うなんて恐ろしくて考えたくないけれど」
ピュアキントゥスは体を震わせた。
食事のあと、薬湯に入り、リリはピュアキントゥスに「一緒に寝ませんか」と誘いの言葉をかけた。
ピュアキントゥスは大きなメガネのむこうの目をキラキラさせて、
「きみからそう言うのを、ずっと待っていたんだ」と答えた。
寝室の豪奢な寝台に、リリは腰掛けた。ピュアキントゥスの足音が聞こえてきたので、リリは服を脱いで布団にくるまった。
怖い。でも寝台でのピュアキントゥスはいつも優しい。信じるほかない。
「いいかい、リリ」
「はい」
「愛しているよ、僕のかわいい百合の花」
ピュアキントゥスは布団に入ってきた。もちろん裸だ。ピュアキントゥスはリリを抱きしめ、その首筋をなめ、耳たぶを噛み、頬に口づけした。
白くてすべすべしたピュアキントゥスの体を、リリは指でなぞった。そうやって、夜は更けていった。
深夜、ピュアキントゥスが寝ているうちに、そっと布団を抜け出し、リリは毒薬をひと匙飲んだ。
毎日飲むのが肝心である。薬を飲みに行ったことがバレないように、お手洗いに行き、水洗を流す。
布団に戻ってくると、ピュアキントゥスは眠そうな顔でリリのほうを見た。
「お手洗いかい?」
「はい。わたしとて人間ですので」
「そうか。薄ら寒くなってきたから、くっついて休もう」
ピュアキントゥスは手招きした。リリはその腕にもぐりこんだ。滑らかで温かくて、どこまでも平和で、おだやかな眠りだった。
朝、目を覚ますと、ピュアキントゥスはリリと手を繋いだままうとうとと寝ていた。
「ピュアキントゥスさま、朝ですよ」
「あと5分だけ。本当にあと5分」
ピュアキントゥスは意外と朝に弱いタイプなのかもしれない。もう台所からは、奴隷が朝食を用意する匂いがしていた。
この平和が永遠に続けばいいのに、とリリは思った。
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