終章 きく

#19 ありふれた少女は皇帝になった

 その少女は、どこにでもいる、ありふれた……人間にそんな言葉をつかうのは気が引けるのだけれど、ありふれた、ふつうの女の子だった。

 少女は貧しい家族を支えるために、15のとき、大きな宿屋に奉公に出た。幼い弟は泣いていたけれど、おいしいものをお土産に買ってくるからね、と約束して、少女は村を後にした。

 宿屋での仕事は客が帰ったあとの部屋の清掃と寝具の洗濯だった。そこは宿場町だったので、毎日忙しくて、故郷を懐かしんでホームシックになる時間はなかった。

 少女は、雇い主と家族の期待に応えるべく、毎日せっせと働いた。いつも笑顔で、シーツを干したり部屋に箒をかけたり、ある意味楽しい毎日と言えたのだと思う。


 そんなある日、宿屋に荒くれ者の一党が泊まりにきた。近々建設される皇宮の建築作業員を名乗っていたが、正直なところ盗賊のような傭兵のようなまともでないやつらで、宿屋の女将は働く少女たちに「気をつけるんだよ」と言っていた。

 少女は、その荒くれ者たちが出ていったあとの部屋を掃除しようと部屋に入った。――壁際に、男たちは隠れていて、ドアの鍵を内からかけた。そして、少女がこれからきれいにするはずの寝台に少女を放り投げ、服を剥き、乱暴の限りを尽くした。

 さすがに15にもなっていれば、何をされたのかくらいは分かる。それでもショックで、荒くれ者たちを突き出すことに思い至る前に、荒くれ者たちは出ていってしまった。

 事態に気づいた女将は、故郷に帰ればどうか、と少女に言ったけれど、少女はそれを拒んだ。せっかく仕事を手に入れたのに、と。


 そうやって、心にフタをして働いていて、少女はほかの奉公人たちが自分の陰口を言うのを聞いてしまった。あの子は荒くれ者に悪いことをされたのだ、と。

 そして少し経ったある日、少女はなんだか朝から気分が悪くて、まかないに出てきたものをぜんぶ吐いてしまった。

 少女は悟った。もうまともに生きる道はない。自分の腹の中には、荒くれ者に乱暴されたときにできた子がいる。少女は女将に頼んで、宿屋を辞め、稼ぎを持って呪術医のところに行き、堕胎の薬を出してもらった。


 それで稼ぎはすべて吹っ飛んでしまった。

 弟においしいものをお土産に買っていくことはできない。

 悔しかった。悲しかった。ひたすらに己を憎んだ。そしてどうしてあの男たちを殺してやらなかったのか。なんで自分が蹂躙される側なのか。悔しい。悲しい。

 路地裏の地べたに座り込み、少女は思った。全ての男を滅ぼしたい。間違いなくそう思った。宿屋の女将に抱いていた淡い恋慕とともに。


「真理の鍵はいらんかねぇ」

 と、少女の目の前に奇怪な老人が現れた。

「あなたはだれですか」

「真理の鍵はいらんかねぇ」

「いくらですか」

「お代なんて取らんよ。世界を変えたい人がいれば、その前に行ってこれを渡す。どうかね?」

「それがあれば、世界を変えられるのですか?」

「そうだよ。望む世界を叶えるまで、生き続けることができる」

 少女は、真理の鍵を受け取った。そして、すべての男を滅ぼすまで生き続ける、と誓願を立てた。

 少女は手始めに、軍備の薄い辺境を狙うことにした。――それは、故郷の村だった。


 しばらくぶりに、故郷の村の土をさくりと踏む。

 小さな民家がいくつか点在する故郷の村は、刈り入れの季節で活気付いていた。

「あっ! ねえやんだ!」

 弟が嬉しそうな顔をして駆け寄ってくる。

「ごめんね」

 少女はそう言い、護身用の短刀で、弟の腹をずぶりと刺した。それを見て駆け寄ってきた村の男たちを、少女は習ったこともない剣術で次々と殺していく。

 村には男がいなくなった。女たちは、狂ってしまった少女を、ただ恐れた。


 そしてその少女は、次の年には女だけの巨大な軍勢を率いて、ときの皇帝を攻め滅ぼし、彼女自身が皇帝の座についた。

 こうして、皇帝クリューサンテムムと、彼女の治める女だけの国が生まれたのである。


「余は、狂人なのだ」

 クリューサンテムムは、寝台の横に寝ているリリに、寝物語として生い立ちを語った。

「陛下、狂人というのは、なんの理由もなく人を傷つけるものです。陛下は狂人ではないと思います」

「そうか。ふふ……面白いことを申す女だな。余は男を滅ぼすまで死ねない体だ。殺すにはそれこそ首と体を切り離すしかなかろうて。お前はどうする? どうやって殺す?」

「もう、殺すことには疲れました」

「最初の願いを叶える気はないということか?」

「分かりません。陛下の死を見れば納得するやもしれませんが、それまで生きていられるでしょうか」

「余は光を放っている。それを浴び続ければ、殺されないかぎり死なない。ピュアキントゥスがそうであったろう?」

「ええ……なにか、陛下を倒す策はないか、ゆっくり考えようと思います」

「ふふ。余を殺そうとする女と同衾するとは思わなんだ。しかし余はいままでの3人のようには殺せぬぞ。覚悟することだな」


 リリが起きると、すでにクリューサンテムムは寝台にいなかった。タンスを奴隷に開けさせて、なにを着るか悩んでいた。

 意外と普通のひとの側面もあるのだな、と思って、その生い立ちを思い出す。

 クリューサンテムムは、わたしの鏡像と言えるのだな、と、リリは思った。

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