#18 死んでしまおう
自宅で死んだピュアキントゥスをどうしたものか、リリは泣きながら作戦の続きを考えた。ピュアキントゥスは公的な立場が大きい人だ、広い庭に埋めたとして、軍の調査が来て庭を掘り起こしたらひとたまりもないし、かと言っていまから軍に連絡して、……腹上死したと伝えるのもリリの身に危険が及ぶ可能性が大きい。
それなら。
リリは毒薬の瓶に手を伸ばした。薬に慣れたとはいえ、瓶のなかの残りを全部飲めば死ねるはずだ。
死んでしまおう。
リリは真面目にそう考えて、薬をあおろうとした。
しかし逆さにした瓶からは、ぽつ、と一滴、雫が落ちてきただけだった。
死ねないのか。
死ねないのか、この業深いわたしが。
リリはまたわっと泣き出した。それを見ていた奴隷が、
「死んではいけない」と声をかけてきた。
「なぜ?! なぜわたしのような、罪の深い人間が、死ねないの?!」
「あなたには大義がある。私の村も、男がいるという理由で焼き討ちされ、生き残ったわたしは奴隷としてこの都に連れてこられた。死んではいけない、あなたには大義がある」
「大義……」
そうだ。
大義がある。将軍を、宰相を、枢機卿をここまで葬ってきた。皇帝を殺すまで、死ぬわけにいかない。
「私が罪を負いましょう。私を、ピュアキントゥスを殺したと、軍に突き出せばいい。この屋敷はあなたのものだし、じっくり機を狙って皇帝を倒して欲しい。私の命ひとつなら安いものです。たかだか奴隷一人なのですから」
「そん……な」
リリの奴隷は、リリの前に傅いている。
「あなたは大義を、全うしなくてはいけない」
事件は大きく報道された。新聞にはリリの奴隷が薬を盛ったのだと取り上げられた。リリはピュアキントゥスの愛人で、ピュアキントゥスはリリの子を孕んでいた、とも。
ピュアキントゥスの亡骸は高貴なひとの葬られる墓地に埋められた。リリは立場上、葬儀を見にいくこともできなかった。
次に葬り去るべきは、皇帝である。皇帝、その名はクリューサンテムム。
どうやって皇帝に近づくべきか、リリはずっと考えていた。ふつうの国民には肖像画しか公開されておらず、親衛隊や高僧や一部の議員以外、本当の顔も声も知らない。側に上がれるのは高貴な身分の、皇帝が選んだ娘のみ。
ここまでのやり方がまずかったかもしれない。恋仲になった国家の要人を、次々殺してきた。そういう立場のリリを、皇帝の側に上がらせようと考えるひとはいないだろうし、皇帝だってノーサンキューというやつだろう。
どうやって仕留めるか。
涙の干上がったリリは、毎日そればかり考えて暮らしていた。
でもきっと、仕留めようとして近付けば、悪くない面が見えて、好きになってしまう。
惚れっぽい自分に、それも仇敵に惚れてしまう自分に、リリはひたすらに呆れていた。
涙すら出ないまま、ずいぶんがらんとした大きな屋敷で、草むしりが行き届かなくなった庭を眺めて、リリは長椅子に寝そべっていた。
なにもしたくない。
このまま死んでしまいたい。
でもそれはできないのだ、縛り首になった奴隷のためにも、故郷の滅ぼされた村のためにも。
ただただ緩慢な午睡に引き込まれそうになったその時、だれかがドアをノックした。体を起こして、玄関に出ていくと、屈強そうな兵士――もちろん女――が二人立っていた。装備から察するに親衛隊だ。
「リリ殿ですね」
「え、ええ……」
「皇帝陛下が引き出せとご命じになられました。ご同行を願います」
「あ、は、はい」
もっとちゃんとしたもの着ておけばよかった。そう思ううちに馬車に押し込められた。両脇は兵士が座っている。
目の前に、壮麗な宮殿が見えてきた。リリがかつて勤めていた皇宮でなく、ここは離宮だ。
馬車から降ろされて、リリは両脇を確保されたまま、離宮の内部に連れて行かれた。
建物のなかまで、帝国の繁栄を示すような見事な調度で溢れている。ちょっと悪趣味な感じすらある。とにかくそのまま、皇帝のいる奥の部屋に連れて行かれた。
皇帝は、寝台の上で、美しい裸身を惜しげもなく晒しながら、タバコの煙を燻らせていた。
「お連れいたしました」
「わかった。下がっておれ」
「しかし」
「ガリファリアもペンサミエントもピュアキントゥスも殺した女だということは知っている。しかし余は死なない。永遠不滅の皇帝だからな」
皇帝は実に傲慢な口調でそう言うと、リリを手招きした。
「こい。お前の正体を暴いてやる」
リリは恐る恐る、その寝台へと近づく。
「やはり男の血が流れている匂いがする。復讐だな? 誰かに入れ知恵されて、村を焼かれた復讐をするべく、鬼女となったな?」
リリは言葉を飲み込み、拳を握って膝の上に置いた。
「話して構わん。話してくれ、お前のことを」
リリは、自分で驚くほど素直に、鬼女となった経緯を、皇帝クリューサンテムムに説明した。
「ほう……殺しの手口が実に鮮やかだ。余の手元の暗殺者に加えたいほどだ。しかしそのやり方に反して、まるで百合の花のように可憐だ」
クリューサンテムムはリリの手をぱっととる。リリはビクリとする。
「恐ろしいか、余が」
クリューサンテムムは、救いようがないほど、悲しい顔をしていた。
この人の孤独は、もしかしたらわたしの孤独と同質なのかもしれない。リリはそう思った。
「――いえ。陛下は孤独な方なのだなあと、そう思いました」
クリューサンテムムは悲しい顔のまま、
「そうか。面白いことを申す女だ。側に置いておこう。一つ言っておくが、余はいままでの3人のように、毒で殺すことはできない。殺すなら、首を斬らぬと殺せぬぞ」
と、そう言って笑うのだった。
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