#21 女が王様の国
リリとクリューサンテムムは、花籠亭の様子を遠くから伺った。大きな宿屋だ。建物の前には花壇があって、なにやら素朴で愛らしい花がたくさん植えられている。屋根の上は洗濯ものを干すようになっていて、たくさんのシーツや枕カバーが風になびいていた。
ちょうど、小柄な女の子が、屋上で洗濯ものを干していた。美人というわけではないが、愛嬌があって、体つきは細めではあるがどこか魅力的に見えた。その女の子はせっせと働き、階段を降りて宿屋の建物に戻っていった。
「あれがわたしだ」
クリューサンテムムはちょっと震える声でそう言った。
「子供のころから、あんなに魅力的だったんですね」
「よせ、恥ずかしい。してどうする、宿屋の客として逗留するのか? この時代の貨幣は持っていないぞ」
「あー……どうしましょうかね……」
「そこは無策だったのか、そなたとあろうものが」
「うーん、そうだ。異国から来たことにしましょう」
「異国か。それなら見たことのない貨幣でも泊めてもらえるやも知れぬな」
というわけで、花籠亭の入り口をくぐる。
「すみません、空いているお部屋はありますか?」と、リリが声をかけた。
「ございますよ。お2人でしたらちょうど2つ寝台のある部屋が空いております」
答えたのは、太っているわけでもないのにどっしりとした印象の、白髪まじりの髪の女性だった。この人が女将らしい。1人で宿屋の財政を回しているだけあって、知的な印象を受けた。
「あの。我々は異国から来たもので、この国の通貨を持っていないのだが、それでも泊めてもらうことはできるだろうか」
クリューサンテムムがそう言うと、女将は天秤と水の入った枡を取り出した。重さと体積を測って価値を確認するらしい。
クリューサンテムムは、自分の横顔を刻んだ金貨を取り出した。女将はしばらくその金貨を見て、奥でシーツの洗濯の続きをしていた少女に声をかけた。
「おキクちゃん、あんたにそっくりな顔の刻まれた異国のコインだよ」
「え? わたしの顔のコインですか?」
「なにそれ、おキクの顔? 見せてください」
あっという間に、店で働く奉公人たちが群がってきた。みんなでクリューサンテムムの出したコインを見て、
「本当におキクちゃんにそっくりだね」
「きっとこのコインの国だとおキクちゃんが王様なんだよ」
「女が王様の国ってどんな国なんだろうね」
と、「箸が転がっても可笑しい」という感じで盛り上がった。
「ほらほらみんな見たんだから仕事に戻りなさいな。ちょっとお借りしますね」
と、宿屋の女将は奉公人たちを仕事に戻らせ、コインの重さと体積を確認した。
「うん、間違いなく純金ですね。この国の金貨なんかよりずっといい純金。何泊されます?」
「ちょっとわけがあってしばらくここに居たいのです。このコイン1枚で何泊できますか?」
「そうですねえ、金貨ですから朝夕の食事つきで10日くらいでしょうね。お昼の食事は宿の隣の食堂でどうぞ。あ、食堂を使うなら向かいの両替商で両替をした方がいいかもしれませんね」
「そうですか……」リリは考え込む。
クリューサンテムムが、
「刈り入れの季節の少し前だったから、おそらくあと半月ほど」と、リリにささやいた。
「半月ほどここにいたいと思います。いいでしょうか」
「もちろんです。ああでも近々に皇宮の建築作業員さんが泊まりにくるって話だったので、ちょっと騒がしいかもしれませんよ」
「構いませんよ。よろしくお願いしますね」
「はい。ではここにお名前を」
リリは自分の名前を書き込む。読み書きができるというのはいいことだな、と思う。クリューサンテムムは、「ムム」と書いた。
「はい、これでよござんす。ちょいと、だれかお客様をお部屋に案内して」
「わたし今手空いてますよ。2階の奥のお部屋でいいんですよね」
「そうだよ。おキクちゃん、ご無礼がないようにね」
2人の前に、少女時代のクリューサンテムムがまた現れた。
近くでよく見れば、きれいな金色の巻き毛に、気の強そうな朱色の瞳。細くて幼いが蠱惑的でもある。なるほど、荒くれ者どもが好みそうな女の子だ。
「こちらのお部屋になります。このお部屋は眺めがいいんですよ。あっちに帝都、あっちに母なる山が見えます」
通された寝台のふたつある部屋は、大きな窓のある部屋だった。ガラスがはまっているとかではなく、ただ木戸を開けて外を見るだけだ。なるほど大昔の時代である。
「素敵な部屋だな」
「そう言っていただけて嬉しいです。わたし、あの母なる山の麓から来たんです。すごくいいところなんですよ、春は花がいっぱい咲いて、秋には穀物がたくさん穫れて」
「素晴らしい故郷だ」
「お二人はどちらの国からいらしたんですか」
「うむ、ここからうんと遠いところだ。こういうきれいな風景とは無縁の国だよ」
「へえ……あ、ごゆっくりどうぞ。お飲み物をお持ちしますか?」
「じゃあなにか、おすすめのお茶の類がありましたら、それをください」
「わたしもそれでかまわん」
「かしこまりました」
キクは部屋を出て階段を駆け降りていった。
「陛下……いえ、ムムさま。大丈夫ですか」
「ああ。大丈夫だ。幼いころの自分を見て、なんだか不思議な気分だよ。あんないたいけな少女に乱暴する男の気持ちがさっぱりわからない」
とりあえず作戦の第一段階はクリアした。あとは荒くれ者を始末するだけだ。
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