#22 恋仲の言質
季節は進んだ。近くの両替商で金貨をこの時代の金貨に変えてもらい、リリはクリューサンテムムの案内で宿場町を眺めて回った。
クリューサンテムムはこの街が好きなようだった。確かに程よく栄えていて、都のように混雑しておらず、リリの田舎のようにさびれてもいなかった。
とても好ましい宿場町だ。
リリたちが宿に泊まってしばらく経ったころ、クリューサンテムムが言ったとおり、荒くれ者の一団が泊まりにきた。部屋はリリたちの部屋の隣だ。
女将は最初、あまりの荒っぽさに気圧されており、宿屋の奉公人たちも荒くれ者たちを怯えた目で見ていたが、キクだけが当たり前みたいに仕事をしていた。リリとクリューサンテムムが部屋でお茶を飲んでいると、キクが掃除にきたので、怖くないかと聞いてみる。
「怖がったらお客さまに失礼だと思って」
キクは当たり前にそう答えた。
おそらくキクの考えは変わらないだろう。そして、荒くれ者たちは明らかにキクを狙い始めた。恐れずに仕事をするうちに、体に触れたり下品なジョークを投げかけたりするようになった。
キクはそれでも笑顔だった。怖いとは思わないのだ。下品なジョークはそもそも通じていなかった。
「ムムさま、天真爛漫にも程ってものがあります」
「うむ……もう微かな記憶なのだが、自分がそういう悪いことの被害者になるとは考えなかったのだ」
クリューサンテムムは顔をしかめた。
「どうします? おキクちゃんはこのままだと確実にそういうことになりますよ」
「それを止める策はないのか、そなたらしくないな」
「鍵を壊すとかしても修理されたら意味がないですしねえ」
「……それだ」
「はい?」
「この街には鍵屋がない。壊れたら宿場町ひとつ向こうまで行って職人を呼んでくるしかない。それにこの時代、鍵というのはとても高価なものだ」
クリューサンテムムは反乱軍を作ったころ、資金集めの手段として盗みを働いたことがあるらしい。
そのときの技術を活かして、カチャカチャと荒くれ者たちの部屋の鍵をいじって、内側からかかったふうに見えるけれどかかっていない、というように細工をした。
「ムムさまはなんでもできるんですね」
「なんでもできる、というか、覚えねば生きていけなかっただけだ」
クリューサンテムムはしみじみとそう言った。
それから何日かして、荒くれ者たちが女将に、近くに娼館はないのかという話をしていた。女将は、
「この街は領主様のご意向で娼館がないのですよ。女を抱きたいならご自分でしかるべき方と恋仲になってくださいまし」
と、冷たく言い放った。
それを見ていたクリューサンテムムが、急に過呼吸を起こした。リリはそっとクリューサンテムムを部屋に連れて行った。
「思い出した……思い出してしまった。すまないリリ」
「いえ。どうなさいましたか」
「……いまに分かる」
廊下からガヤガヤと荒くれ者たちが戻ってきた声がした。違法娼館を探しに出かけていたようだが、この街はそういう商売をすると徹底的に罰されるとかで、荒くれ者たちに収穫はなかったようだ。
廊下から声が聞こえた。
「お嬢ちゃん、俺らと恋仲になれたら嬉しいか?」
「恋仲ですか? そんなことを言われるのは初めてです」
「そうかいそうかい。嬉しいか?」
「やめてください、困ってしまいます」
「なあ、嬉しいか?」
「……嬉しい、です」
なるほど。
荒くれ者どもは、娼館の基本的な仕組みである「一夜限りの恋をした」という理由で合意させ、言質をとったのだ。
これではなにかあったあと警察に突き出しても勝てないし、そもそもこの時代は女の地位というのがとてもとても弱いのだ。
クリューサンテムムが青ざめている。キクが平然と廊下を歩いていく音がして、荒くれ者たちは「じゃあきょう仕事から帰ったらいただいちまうか」と悪事の算段をしていた。
止めるしかない。
しかしクリューサンテムムは青ざめてぶるぶる震えるばかりだ。怖くて仕方がないのだろう。
「無理だ。怖い。勝てない」
「まず女将さんに報告しましょう。そうしたらなにもせず帰るかもしれません」
ベッドの上で毛布をかぶって震えているクリューサンテムムを置いて、リリは帳簿をつけている女将に声をかけた。そして、これこれこういう会話をしていました、と説明する。
「お客を疑うようなことはしたくないけれど、うちの奉公人は親から預かった大事な子供達だから、そういうことは絶対に許せない。報告してくだすってありがとうございます」
女将は目をすがめながら帳簿を確認すると、
「ただ相手は殿方の3人連れだからねえ……追い出すにも力が足りない。警察も実際になにかないと動かないでしょう。未遂で取り押さえないといけないけど、あの人たちに腕力で勝てる人間はこの宿にはいないからねえ」
やはり、力に訴えるほかないようだ。
「ムムさまのお力が生きるときがきました」
「いやだ。怖い。あれらには勝てない」
「勝てます。ムムさま……陛下はその腕ひとつで世界中の男を滅ぼしたではありませんか。それと何ら変わらないのですよ」
「リリ、私は怖いのだ。思い出すたびに涙が出る。なにもかもを、平和な日常のなにもかもを奪われたのだから」
「鍵を壊したではありませんか。それは可哀想なおキクちゃんを助けるためではないんですか」
「しかし……」
「助けましょう。可哀想なおキクちゃんを」
リリがそう言ったとき、隣の部屋にだれかが入っていく物音がした。――ついにか。
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