#10 人並みの幸せ
朝になってはっと目を覚ます。隣ではペンサミエントが寝ている。もちろんリリもペンサミエントも全裸である。リリは急に、夜のことを思い出して恥ずかしくなる。
骨の髄までとろけるような一夜だったはずなのに、朝になると急に恥ずかしくなってしまう。リリはなにかで体を覆おうと、ベッドを抜け出そうとして、手首をペンサミエントに掴まれる。
「もう少しだけ」
ペンサミエントはか細い声でそう言った。ペンサミエントの手は、少し冷たかった。
「リリは、田舎で婚約していた娘に似ているの」
ペンサミエントはそう呟いた。目は覚めているようだ。
「黒髪で、小柄で、可愛らしくて――でもその娘は、流行り病で死んでしまって。それでわたくしは、人並みの幸せを諦めて都に出てきたの」
「そう……なのですか」
「最初はヒラの役人から勤めた。みんなに田舎者呼ばわりされた。都のしきたりを知らなかったから、必死に覚えた。あなたと同じよ」
ペンサミエントはリリを、猫をそうするように抱き寄せた。リリはペンサミエントと口づけを交わした。
「たくさんの人を蹴落として、たくさんの人に嫌われて、それでも頑張った。そしていまみたいに、小姓を侍らせられる身分になった」
「お辛かったでしょう」
「そのときはそうは思わなかったけれど……いま思い返すと地獄そのものね」
ペンサミエントは微笑んだ。きれいだ、とリリは思った。
ちょっと恥ずかしく思いながら服を着た。裸は恥ずかしいことだと今ならよくわかる。だから裸で平気だったガリファリアはやはり武人なのだな、とリリは思った。
「リリ、他の小姓と和解したいって言っていたわね」
「はい。恨まれたままではここでどうなるのかわかりませんゆえ」
「賢い判断だわ。恨まれて毒殺されたり投獄されたりする人間をたくさん見たもの。あれらだって自分が劣って見えたからリリを恨んでいたのよ」
そういうものなのだろうか。すっかり服を着たところで、おそらく他の小姓たちがいると思われるところに案内してもらうことにした。なんと小姓たちは女中の小屋にいた。
「お前たち、いつまでへそを曲げているの? リリが許してほしいって言っているわよ」
女中たちの後ろに隠れて、小姓たちは怯えているように見える。
「わたくしも許すから、戻ってらっしゃい」
ペンサミエントが優しい声をかけると、おずおずとカエデが進み出てきた。
「ごめんなさい」
ハスとサクラも、「ごめんなさい」と言いながら出てきた。
「さあ、きょうはもうお仕事にいくから、お前たちは仲良くお絵描きでもしていればいいわ。マシュマロもたんと用意してあるわよ」
「はぁい」
一同ゾロゾロとついてくる。ウメが笑顔で、
「ペンサミエントさま、お小姓さんと喧嘩するのもほどほどになさってくださいよ」と言って送り出した。
ペンサミエントの部屋に戻ってきて、3人の小姓たちは申し訳ない顔をしてリリを見た。
「ごめんね、いじわるな気持ちになったの」
ハスがそう言う。いじわるな気持ちと、そう表現するしかないのだろう。
「リリはペンサミエントさまと寝たの?」
サクラが聞いてきた。リリが困った顔をすると、
「怒らないから教えて」と言われた。リリは小さく頷いた。
「リリ、それってすごいことなんだよ。小姓から恋人に取り立ててもらえるってすごいんだよ。いいなあ」
サクラが羨ましそうな顔で言ってきた。いいなあと言われても困るのだが、とにかく小姓たちはリリを憧れの目で見ていた。
「ペンサミエントさまは結婚はなさらないそうだから、みんな恋人に取り立ててもらって、みんなで一緒のお布団で寝ようよ」
カエデが無邪気にそう言う。みんなそれで納得したらしい。結婚観はどうなっているんだ、こいつら。
しかしこいつらと一緒ではペンサミエントを殺すタイミングが分からない。見られていたら犯人になってしまう。
「ねえ、ペンサミエントさまになにか渡して謝りたいのだけど、リリはなにがいいと思う?」
ハスにそう聞かれて、リリは、
「お花は? お花をもらって喜ばないひとはいないよ」と提案した。
「お花なら女中の小屋のまわりに、すごくきれいな青いお花がいっぱい生えてたよ」
カエデがそう提案した。確か毒があるやつだ。殺すチャンスもあるかもしれない。3人が楽しそうに歩くのを後ろから見ながら、リリはどうやって殺したものか、しばらく考えた。
女中の小屋についた。確かに、まわりには青い花がたくさん咲いて甘い香りを放っている。それを、小姓たちは優美なハサミでちょん切っていく。
「おや、お花なんか摘んでどうされるのですか」
ウメが訊ねてきた。カエデが、
「ペンサミエントさまに渡すの!」と、はつらつと答える。
「いい心がけでございますね。お花も喜びましょう」
ウメが仕事に戻った。花はたくさん摘むことができた。それを、ペンサミエントの部屋のあちこちに飾った。
「わあきれい。ペンサミエントさまは青いお花が好きだから、きっと喜ぶよ」
サクラがニコニコする。
この花を活けた水を飲めば死ぬ。どうにかして飲ませる方法はないだろうか。そう思いながら、リリはお絵描きに興じた。リリは絵がヘタクソで、他の小姓たちに面白がられた。
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