#2 皇宮

 リリは親切な、美しい女性に礼を言い、その家を出た。どうやら背の高い建物らしく、らせん階段で下に降りると出口があるようだ。

 建物を出ると、都のようすがよくわかった。背の高い建物がひしめき合うようにして建っている。そして街を歩いている人間はすべて女だ。しかもたくさんいる。めまいがした。

 商人も、奴隷も、役人の服装のひとも、みんな女。こんな狂ったことってあるだろうか、とリリは思った。

 街の大通りをずっと歩いていくと、皇宮が見えた。だんだんとその全貌が見えてくる。巨大だ。尖った塔がたくさんあり、ドーム状の屋根が母屋を守っている。リリは番兵――もちろん女――に、どうすれば女中奉公ができるか訊いた。

「そういうのは裏口に回ってもらわないと。ここは皇帝陛下のお許しになった尊い方しか通れないよ」

 番兵は親切にそう教えてくれた。

 リリはぐるーっと歩いて城の後ろに回った。粗末な服の女たちが洗濯をしたり野菜の皮を剥いたりしている。どうやらこの人たちが皇宮の女中らしい。

 リリはさっき番兵に尋ねたみたいに、そのうちの一人に声をかけた。背の高い、きれいにしていたら相当な美人だと思われる女だ。結い上げた髪はもつれ、粗末な服はあちらこちらにつぎはぎがある。

「あんた女中になりたいのかい? こんな仕事についてもいいことないよ。あんたみたいな可愛い子は、娼館に勤めればあっという間に一番になれるのに」

「いえ、その、そういうのは……」

 女とまぐわうなんて想像もしたくなかった。

「そっか、きれいな体でいたいんだね。じゃあおいで、女中頭に会わせてやるよ」

 女は手招きした。リリはそのあとについていった。

 建物――城の陰にある、地味ながら大きいものだ――に入ると、ヨレヨレの老婆が計算板を弾いていた。

「女中奉公したいというお嬢さんが来ました」

「そうかい。そこに座りな。あとあんたが洗濯当番のときだけ洗濯石鹸の減りが早いよ」

「すみません。それでは」

 女はリリを残して出て行った。老婆は計算板から顔を上げて、

「可愛いお嬢さんだね。こんなところで働かんでも、娼館なり酒場なり、働く口はいくらでもあるだろうに」

「あの……きれいな体でいたくて」

「ああ、そういうことかい。婚約者でもいるのかい?」

「いえ、そういうわけじゃないんですけど」

「ならどうしてだい?」

「どうしても皇宮で働きたいんです」

 それを聞いた老婆は、にやりと口の角を吊り上げて、

「なるほど。なにか目的があるみたいだね。なにとは言わないけどね」と応じた。要人の殺害目的なのがバレたのかと思ってドキリとするが、老婆の笑顔がどうもいやらしい。

 なにか帳簿を取り出し、老婆は羽ペンをとった。

「あんた、名前は?」

「リリです」

「リリか。いい名前だね。きょうからあんたは、貴人の寝室の掃除係だ」

 いきなり大役を仰せつかってしまったが、好都合、というやつだった。

 老婆から、「これが中で働く女中の制服だよ」と、黒い服を渡された。白いエプロンをかけて、髪は後ろでまとめて頭巾をかぶる。

「似合うじゃないか。じゃあ、勤めてもらうガリファリアさまのお部屋に案内しようかね」

 ガリファリア。たしか将軍だ。

 城の中を、リリは緊張しながら歩いていく。老婆は城のなかではなにか権威があるらしく、役人たちはみな頭を下げていく。

 城の奥にある貴人の寝室がある場所にきた。廊下の奥の窓には見たことがないほど美しいステンドグラスがはまっている。その廊下の一番手前の部屋が、ガリファリア将軍の部屋だった。

「ウメです。失礼します」

「おや? ウメ、どうしたんだ、こんな早くに」

「きょうからガリファリアさまのお部屋を掃除することになった女中をお連れしました」

「急だな。こういうのは4月と9月にやるものなんじゃないのか?」

「まあそこは気になさらず。リリ、おいで」

 リリはちょっと怯えながら、ガリファリア将軍の部屋に入った。どんな鬼婆がいるか、と思ったら、髪をこざっぱりと刈り上げて、凛々しい面立ちをした美しい女が、薄絹の寝巻きを羽織っただけの姿で、優雅な寝台に腰掛けていた。よくよく考えたら新聞に載っていたのも美しい女の肖像画だったと思い出す。

「ほう。ずいぶん可愛らしい。前の女中は豊満すぎて好みじゃなかったんだ」

「リリです。よろしくお願いいたします」

「そう固くなるな。私なんぞいち軍人に過ぎん。おいで」

 ガリファリア将軍は手招きした。リリは助けを求めるように老婆――ウメを探すが、ウメの姿はすでになかった。

 仕方がないので手招きされるまま、ガリファリア将軍の横に座る。ガリファリア将軍はにこりと笑った。えくぼができる。意外と可愛い。

 ガリファリア将軍はリリの手に触れると、

「素直ないい子だ」

 と言い、手をリリの頭に伸ばして、リリの頭巾から出ている黒髪を撫でた。優しい手つきだ。

 この人が本当に、村を焼いたのだろうか。

 リリはどぎまぎしながら、ガリファリア将軍に撫でられるままにして、どうやら寝室の掃除係というのは「そういうこと」も含むようだな、と思った。

「いい子だ。なぜ皇宮で働こうと思った?」

「それ、は。尊い方々と同じところで働けば、きっと……」

 必死ででっちあげの理由を考えて喋ろうとしたリリの言葉をさえぎり、ガリファリア将軍は、

「驚いた。こんなに可愛らしいのに玉の輿を狙っていたのか」と、いたずらっぽい顔をした。

「あ、や、そうではなく」

「面白い、気に入ったぞ! ただし掃除もしっかりやれ」

「は、はい!」

 これから復讐が始まるとは思えない。どちらかと言うと恋物語が始まりそうだ。リリはドキドキする心をなだめた。

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