#4 恋人

 ある日いつものようにガリファリアの部屋を掃除しようとリリがドアを開けると、突然真正面にいたガリファリアに抱きすくめられた。

「ひぅ?!」と、リリは悲鳴をあげた。何が起きたか一瞬わからず、起きたことを理解して、さらにガリファリアの腕から脱出しようともがこうとして、そのままガリファリアの強靭な腕に絡め取られる。

「リリ。私はお前を愛している。応えてくれるか?」

「えぅ?! な、なんですか?!」

「私はリリより愛せる人間を知らない。いままでの女たちのように一晩寝て捨ててしまおうと思うような女とはぜんぜん違う」

「こ、コノフィツムさんが悲しんでおられます!」

「コノフィツムは死んでしまった。死んだ人間は悲しまない」

 ガリファリアは少し興醒め、という顔をして、リリを拘束する腕をほどいた。

「ガリファリアさまは人が死んでしまったことを悲しまないんですか」

「悲しいよ、あれだけ好きだった女だからな。別れたときにバッサリ髪を切ったくらいだ。だがリリ、死んでしまった人間は戻ってこないし、お前をその代わりにしようということじゃない。お前が好きなんだ」

 ガリファリアはどこか、少女のような顔でそう言った。

「どうだ? お前の母たちの目的は玉の輿なのだろう?」

「わたしの……母は。死にました」

「……ふたりとも?」

 リリは一瞬言葉に詰まって、それから

「はい」と答えた。

「それでも玉の輿がしたいのか?」

「……」

 リリは言葉を失ってしまった。なんと答えたらいいか、さっぱり分からない。

「聞かせてくれ。お前の母たちは、どういう人だった?」

「……優しかったです。貧しいけれど幸せでした」

 リリは涙が込み上げてくるのを感じた。父と弟だけじゃない。母だって死んだ。だれも、リリの頼れる人間はいない。

 リリがぽつぽつと泣き始めると、ガリファリアが背中を撫でてくれた。優しい人だ。この人が、本当に村を焼いた悪辣な将軍なのか?

 だめだ、この人を好きになったら殺せなくなる。ニワトリにかわいいからと名前をつけると絞められなくなると父に注意されたのと同じだ。

「お、お掃除の仕事をしないと」

 リリは立ち上がった。

「構わない。1日使った程度では汚れないよ」

「で、でも。泣いてばっかりじゃ仕事にならないので」

「構わないと言ったろう。泣くといい。泣きたいだけ泣けばいい」

「だ、だめです。泣いていたら……泣いていたら、母が悲しみます」

「死人は悲しまない。だから泣きたいだけ……な?」

 リリは涙を拭い、毅然と立ち上がって、

「失礼しました」

 と、そう言ってガリファリアの部屋を出た。


「どうしたのそんな真っ赤な目をして」

 女中仲間にそう聞かれた。なんと答えたらいいやら、あうあうしてしまう。

「ガリファリアさまに泣かされたの?」

「いえ。いろいろ思い出してしまっただけです」

「なにかつらいことでもあった?」

「本当に、昔のことを思い出して泣いちゃっただけです。大丈夫」

 リリはそう答えて、クズ野菜のスープの鍋をかきまぜた。


 はやく殺害を決行しなくてはならない。そう思いながら寝た。翌朝起きて身支度を整え、ガリファリアの部屋に向かう。

 ガリファリアは眠そうな顔でなにやら機械をいじっていた。なんの機械だろう。

「おはよう。書類の書き忘れを書き終わったら出ていくから」

「その機械はなんですか?」

「タイプライターだ。私は悪筆なんだよ。こいつなら打ち込むだけできれいな字の文章が書ける」

 タイプライター。なにか使い道があるかもしれない。使い方と読み書きを覚えておかなくては。

「昨日は泣かせるようなことを言ってすまなかった」

「いえ、そんな。泣いたわたしが悪いです」

「急に抱きしめたりして悪かった。だから機嫌を直してはくれないか」

「別に機嫌がよくないわけでは」

「じゃあ、じゃあ……きょうから恋人になってくれないか? コノフィツムは家柄が釣り合わないと断ったが、お前は玉の輿がしたいのだろう?」

 ガリファリアは恋をする娘の顔をしていた。思わずリリの息が止まる。

「そう……ですけど、でも……」

 ガリファリアの恋人になった自分を想像すると、なんだか気持ち悪かった。殺すタイミングを逸してしまったら、ガリファリアと結婚して、同衾することになるかもしれない。

 でも恋人になるということは、一気に間合いを詰められる、ということだ。もっとプライベートのことを知ることもできる。そうすれば殺害の手段もいろいろ浮上してくるだろう。

「ダメか? ……ダメか」

「ダメじゃ……ないです」

 リリは、そう答えた。そして、殺す方法を決めるため、と思っている以上に、ガリファリアが好きになっていることに気づく。

 もうこんなに情が移っているなんて。どうしよう、この人を殺せない。

 その思いを、ぐいっと噛み潰しているうちに、ガリファリアはリリの手に口付けしていた。心臓がどきりと音を立てたような気すらした。

「じゃあ、私は仕事に行くから。リリの掃除は行き届いていて好きなんだ。リリ、夜にも遊びにおいで。おいしいお茶を一緒に飲もう」

「わ、わかりました」

 リリは顔を赤くしながら、ガリファリアの出ていった部屋を掃除して、女中の部屋に戻った。ガリファリアにお茶に誘われた、と言ったら、女中の仲間たちはきゃあきゃあと騒いだ。

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