第7話 禁断症状

 ヤロリ断ちをすると決めて、一週間が経った。



    ◆




 2年A組、源田。

 野球部のエースとして活躍している彼には想い人がいる。

 同じクラスの美少女・相本イコだ。

 だが源田はまだその想いを彼女に告げてはいない。

 その気持ちを隠している。正確には、隠せていると思っている。

 実際のところ、同じグループのメンバー(相本イコ自身も含めて)にはバレバレではあるのだが。


 源田はたくさんの男たちが相本にアタックしては撃沈したことを知っている。

 もしかして女が好きなのではと噂されたこともあるほどに、彼女は男に興味を示さないのだ。

 ある日、同じクラスの鮫島が尋ねたことがある。


「イコってもしかして女が好きなの?」

「恋愛対象として……ってこと?」

「うん」

「考えたことなかったけど、私と同じくらい可愛かったらありかも?」


(そんな女いねえっつうの)


 傍で聞いていた源田は心の中で突っ込んだ。

 相本以上に可愛い女性を知らない。

 芸能人やアイドルですら彼女には劣っていると思う。

 相本という女神を知ってしまった源田は、他の女性を魅力的に思えなくなっていた。

 日々のオカズに使っているのも、同じ野球部の江口が作った、裸の女性と相本の顔をコラージュした画像だ。


 源田は友人という立場を活かし、少しずつ相本との距離を縮めるつもりでいた。その作戦が実っているかは怪しかったが、少なくとも同じグループに所属することはできている。

 それだけでも源田は満足だった。


「ん?」


 スマートフォンにメッセージが届く。

 野球部の江口だ。

 江口は毎朝、下駄箱の近くに隠れて待機している。

 その目的は、相本のパンチラを拝むことだ。

 いつかパンチラがあると信じて、凝りもせずにずっと続けている。

 正直なところ、野球部の評判が落ちるから止めてほしいと源田は思っていた。


(何か緊急事態か?)


 今ごろ、相本のパンチラを拝むべく現場を張っているはずだ。

 にもかかわらずメッセージを送ってくるのは何故だろう。

 訝しみながらメッセージを確認した。


『白! 天使の白だ! 清らかな純白だ!』


「なっ!?」


 思わず声を出してしまう。

 絶対に見えないで有名な、相本の鉄壁の絶対領域の中を拝めたらしい。


 相本は警戒心が強い。

 自分が男たちに見られていることが分かっているのか全く隙を見せない。

 彼女のパンチラを見たことがある男は、源田の知る限りでは存在しない。

 だから江口の努力は無駄に終わるはずだった。


(でも……あいつは成し遂げた)


 信じるものは救われる。

 継続は力なり。

 まさに、あっぱれだ。


(チクショウ、なんで俺も一緒に見に行かなかったんだ)


 江口だけが絶景を目にした。

 羨ましい。

 悔しくて泣きそうになっていると、また江口からメッセージが届いた。


(なんだ。敗北者を嘲笑う気か?)


 恐る恐る、そのメッセージを確認する。


『これが証拠だ』


 そのメッセージとともに、一枚の画像が添付されていた。


「ぁ、ぅあ」


 言葉を失う。

 源田の言語能力が完全に喪失していた。

 たった一枚の画像。

 スマートフォンの小さいな画面に表示された画像に、心の全てが奪われる。


 白だ。

 穢れなき美しき白だ。

 高校中の男子の誰もが求めたものがそこにある。

 源田は震える指を操作してメッセージを返した。


『江口、お前は神だ』


 彼が送ってくれた画像。

 それは――相本のパンチラ画像だ。

 奇跡の一枚。

 ピューリッツァー賞間違いなしだろう。

 江口と友人で良かった、と心の底から思った。


(今晩のオカズは決定だな)


 裸のコラージュ写真も妄想をかきたてることは事実だが、本物のパンチラには敵わない。

 早く夜になれと願いながらニヤニヤしていると、パンチラした相本が教室に入ってくる。

 あのパンチラ画像を見た後に普通に接することができるだろうか。そんな思いは――彼女を見た瞬間に吹き飛んだ。


「おはよ……」


 いつもの元気な挨拶ではなく、妙に気だるげな挨拶だった。

 普通の人がダルそうにしても鬱陶しいだけだが、彼女の場合はアンニュイという表現が相応しい。

 元気のない相本も魅力的だ。

 いや、それどころか、顔が火照っていて扇情的だ。

 教室中に色気を振りまいている。


(今日の相本はヤバいぞ!)


 相本に何があったのか。

 クラスの皆が疑問に思うものの、普段と違う相本に意識を奪われてしまって黙り込んでいた。


 フラフラと相本が源田たちのいる方へ近づいてくる。

 転びそうだと心配になる足取りで、案の定彼女は転んでしまう。

 そして――源田にもたれかかった。


「あっ」


 ふわっといい香りがした。

 フローラルな香りとはこういうものなのだと思わせる、石鹸のような匂い。

 その匂いを堪能しようとして――すぐにそれどころではなくなった。


 ムニュッ。


 胸元に柔らかな感触。

 部活をサボってばかりで太っている江口の腹を触ったときのだらしない柔らかさに似ているようで、まるで異なる感触だ。


(こ、これってもしかして……!?)


 偶然買った宝くじで10億円が当たったことが判明したとき、人はどんな反応をするだろうか。

 きっと判明した瞬間は、あまりの幸運に、その事実を脳がすぐには認識できないはずだ。

 それと同じことが源田の脳内で起こっていた。


「ごめんね、源田クン」


 徐々に源田の脳が奇跡を認識していく。

 相本が胸を押しつけるようにして、源田に正面からもたれかかっている。

 胸元に感じる柔らかな感触は、相本の胸によるものだ。


 源田は以前に、江口が言っていたことを思い出す。

 彼の目測では相本はDカップであるらしい。本当かどうかは分からないが、極端に外れてはいないだろう。


(これが……相本のDカップ!)


 鼻に血がのぼってくる。鼻血が出てしまいそうだ。

 ついでに下半身にもガンガン血が流れ込んでいた。

 このままだとマズいと必死に取り繕う。


「い、いや、全然問題ないぞ。どんとこいだ!」

「ふふ、ありがと」


 相本がふやけた笑みを浮かべながら、上目遣いで源田を見上げている。

 かつてないほど至近距離に彼女の顔があった。

 もうちょっとでキスできそうだ。

 なのに嫌がる様子はない。

 ジーっと源田の目を見ていた。


(えっ? キスしていいの?)


 そんな勘違いをした源田がリビドーに身を任せた行動に移ろうとすると、相本は呆気なく源田から離れた。

 おぼつかない足取りで自分の席に座る相本の様子を見ながら、源田は思った。


(もしかして、相本は俺のことが好きなのか?)




    ◆




 イコの友人、鮫島リカコと深津アヤが身を寄せてひそひそと話す。


「今のイコ……ヤバくない?」

「全方位誘惑マシーン的な?」

「そうそう。ぶっちゃけ女の私でもクラッと来たし」

「私も……」


 互いに見合わせて、頷く。


「「早退させよう!」」




    ◆




 なぜかリカコとアヤの2人に無理やり早退させられて、家まで送られた。

 そんなに具合が悪く見えたのだろうか。

 確かに身体がダルくて頭が痛い感じはあるけど……。

 大したことじゃないと思う。

 でも2人が凄く必死だったから、とりあえず従うことにした。


 パソコンの前に座る。

 頭が痛い。

 身体が、脳みそが、ヤロリの動画を見ろと訴えている。

 ヤロリの動画を見ようとして――すぐにブラウザを閉じた。


「私はヤロリのファンを止めたから」


 ヤロリを断つと決めたのだ。


「はぁ……」


 身体の不調の理由はハッキリしている。

 ヤロリ成分が足りないからだ。だから頭が痛いし身体もダルい。

 今日もヤロリは配信をするかもしれない。きっと私が知らないヤロリが、欲に塗れたヤロリアンたちの前に晒される。


 ギリィと歯を食いしばる。

 許せない。

 他のヤロリアンどもより、私が誰よりもヤロリのことを知っておくべきなのに。


 私が知らないヤロリをヤロリアンどもが知っているなんてあり得ない。

 逆ならともかく――


「ん? ……逆?」


 そうか! 逆だ!

 ヤロリアンどもが知らないヤロリを、私だけが知ればいい。

 私だけが知る……秘密……。


「ヤロリは……おっさんだ」


 不愉快だ。本当に最悪だと思う。

 あんなに可愛いヤロリが実はおっさんだったなんて。


 でも、私の部屋の隣には……ヤロリがいる。

 たとえおっさんだとしても、ヤロリが住んでいる。


「ヤロリ……ヤロリぃ……」


 重たい身体を動かして、隣の部屋に面した壁に耳を当てる。

 何か聞こえないだろうか。

 どんな生活音でもいいから聞きたい。

 でも……壁が分厚いのか、何も聞こえてこない。


「ヤロリのことが知りたい」


 もっと知りたい。

 私だけが知っているヤロリを、もっともっと増やしたい。

 ヤロリを独占したい。

 そのためにできることは――分かりきっていた。


 フラフラしながら部屋を出る。

 1002号室の玄関を施錠した。

 そして――隣の1001号室の前まで移動する。


「この扉の向こうにヤロリがいる」


 インターフォンのボタンを押そうと、腕をのばして……止まってしまう。

 前に見たおっさんが脳裏に浮かんできた。

 おっさんがブレて、ヤロリに変わり、またすぐにおっさんに戻る。

 おっさんとヤロリが交互に現れて、気づけばおっさんの身体にヤロリの顔、ヤロリの身体におっさんの顔とあべこべな化け物まで出現し始める。

 私の頭はもう、限界だった。


「あ、れ……?」


 身体から力が抜けて、目の前が真っ暗に――。

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