第9話 冷えピタは最強なのじゃ!
家に帰ると彼女は眠ったままだった。
症状が悪化している気配はない。
額に手を当てる。
「少しマシになった……か?」
誤差程度かもしれないが少しだけ体温が下がっている気がする。
ホッとした。
「んぅぅ」
目が合った。
額に手を置いたことで目を覚ましたらしい。
(これってまずくないか?)
美少女な女子高生の視点に立って考えてみよう。
目を覚ましたら知らない部屋。しかも目の前には太ったおっさんがいて、額に手を当てている。
間違いなく貞操の危機だと感じる。
動転して手を当てたまま固まってしまう。
彼女は矢井田のことをジッと見つめていた。
吸い込まれそうな大きな瞳。
宝石のエメラルドみたいだと思った。
「おはよ」
彼女は笑った。
女の人が自分を綺麗に見せるための笑顔じゃなくて、本当に心の底から嬉しいのだと感じさせる満面の笑みで、クシャっと破顔した。
◆
まず簡単な事情の説明をした後、互いに自己紹介をした。
相本イコ、17歳。美少女。高校2年生。
何の瑕疵もないプロフィールだ。
ちなみに矢井田の場合はこうなる。
矢井田清彦、34歳。独身。無職。
Vtuberであることは隠している以上、実質無職だ。
とんでもない格差である。
「相本さんは――」
「イコって呼んで」
「えっ?」
「私もヤイダって呼ぶからさっ」
矢井田は苗字だとか、めっちゃタメ口だなとか色々突っ込みたいところはあったが、風邪をひいている女の子だからとグッと我慢した。
イコと名乗った少女は寝起きこそボーっとしていたが、意識が覚醒するにつれて徐々に生意気になってくる。
「イコちゃんは――」
「ちゃんづけなんて気持ち悪いから止めて」
「ぐっ……」
矢井田のことを情けないおっさんだと見下している。
事実なだけに何の反論もできない。
「……イコは、もう元気そうだな」
少なくとも矢井田をからかうだけの元気はあるらしい。
「早く自分の家に帰ってほしい」
「えぇー? こんな弱った美少女を放り出すの?」
わざとらしくしんどそうにと咳き込んだ。
(絶対元気だよなぁ、この子)
ため息が出た。
イコは布団を鼻まで深くかぶりながら、チラチラとこちらを覗き見ている。
帰りたくないらしい。
無理もない。
何年も前になるが風邪を引いて熱を出したことがある。
恋人もいなくて一人暮らしだったから、誰も看病をしてくれなかった。とても心細かったことを覚えている。
それと似たような心境なのかもしれない。
少なくとも、こんなおっさんに看病されることを望む程度には追い詰められているのだ。
「全く、仕方のないやつだなぁ」
「ほぁぁっ!」
イコがいきなり奇声をあげた。
「だ、大丈夫?」
「な、なんでもない。なんでもないから大丈夫」
イコは真っ赤に染まった顔を隠す様に、布団の中に潜り込んだ。
しばらく様子を見ていると布団から右腕が出てくる。
グッと親指を立てた。
(どういうメッセージなんだろう?)
全く意図が読み取れない。
もしかして若者特有のジェスチャーなのだろうか。
(これがジェネレーションギャップってやつか!?)
イコがしばらく家にいるというのなら、やるべきことがある。
リビングに戻って冷蔵庫からポカリスエットを取り出し、救急箱の中にある体温計を手に持って寝室へと戻った。
「ほら、これ飲んで」
「ありがと」
体温計を手渡す。
イコは矢井田がいることを気にする様子もなくシャツのボタンを外し始める。
見てはいけないと背を向けた。
「あー、38.2度だ」
38.2度。
最悪の状況という訳でもないが、さりとて軽症というほどでもない。
「もう振り向いても大丈夫か?」
「別に大丈夫だけど」
振り返って――慌ててまた背中を向けた。
「胸! 見えてる!」
「えっ? あぁ、ごめんごめん」
イコは体温を測るためにシャツのボタンを上から第三ボタンまで外して、測り終わった後もそのままにしていた。
彼女はやせ型だ。
ウエストは太った矢井田と比べると半分近いかもしれない。
でも胸は結構大きいらしい。
インナーの描く曲線が、その大きさを物語っている。
「もう大丈夫」
恐る恐る振り返ると、ちゃんとシャツのボタンをかけていた。
安心する。
病人を前に興奮することは許されない。
でも彼女は凄い美少女で、あのまま色っぽい姿を見ていたらおかしくなってしまいそうだった。
「ねぇ、着替えたいんだけど」
制服のままベッドに横になるのはあまり快適ではないだろう。
かなり汗もかいているだろうし着替えたいと思うのも当然だ。
「自分の家に取りに行ける?」
「しんどくて無理そう」
「だったら俺がイコの部屋に――」
「一人で女の子の部屋に入るつもり?」
「いや、それはそうだけど……他にどうしようもないし」
「ヤイダの服を貸して」
「えっ? それでいいの?」
おっさんの服を着るなんて嫌ではないのだろうか。
疑問に思ったが、イコは気にしていないようだった。
「それがいいの」
ユニクロで買ったコットン生地のパジャマの上下を渡す。
「着替え終わったら教えてくれ」
リビングでしばらく待っていると、イコの声がした。
着替え終わったらしい。
見るからにブカブカの紺色パジャマを着たイコが、布団を被って横になっている。
矢井田の服を彼女みたいな細見の女の子が着ればサイズが合わないのは当たり前だ。
「ほらこれで脇とか首を冷やしな」
タオルでくるんだ保冷剤を渡す。
「冷えピタ使うか?」
「うん」
箱から冷えピタを一枚取り出して、仰向けに寝ている彼女の額に貼りつける。
「こどもに戻った気分」
「イコはまだこどもだろう」
「むっ……」
「ほら、目を閉じて」
「なんだかドキドキする。今からキスするみたい」
むちゅーとわざとらしく唇を突き出す。
矢井田が同じことをすれば化け物みたいな顔になってしまうのに、彼女の仕草はとてもキュートだ。
もし本当にキスしたらどう反応するのだろう。
非常に無防備だ。
(危機感がまるでない子だなぁ)
「ひんやりして気持ちいい」
冷えピタは意味がないと言う人もいる。
でも矢井田はそうは思わない。
発熱時に冷えピタは必須アイテムだ。
体温を下げる効果がないとしても、額がひんやりしていればかなり爽快になる。
「冷えピタは最強だからな」
「ほぁぁっ!」
イコが変な声を出した。
「バカにしているのか?」
質問には答えず、イコは布団を頭まで被った。
答えはイエスということだろう。
心外だ。
そういえば、野地ヤロリとして配信しているときにも「冷えピタは最強なのじゃ」と言ったことがある。
なぜかヤロリアンたちには笑われてしまったが。今でも納得がいっていない。
――冷えピタは最強だ!
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