第31話 冤罪炎上

 野地ヤロリの中の人は、おっさんだ。

 そんなことは本人である自分が一番よく知っている。

 断じて女性配信者ではないし、問題になっている男性配信者と恋仲になったことはない。そもそも、やりとりをしたこともない。


 声が似ていることや、トーク中に登場したエピソードに共通しているものが多いことから、野地ヤロリの中の人はこの女性配信者ではないかと疑う者は以前からいたらしい。


 加えてLINEの流出画像だ。

 そのやりとりの中で、女性配信者が男性配信者にこっぴどくフラれている。

 流出画像は2人が交際していたこと・そして破局したことを示しているが、そのメッセージのやり取りをしている日時が不味かった。


 矢井田が、野地ヤロリが配信休止宣言をする少し前だ。

 配信休止の理由として、リアルで辛いことがあって心の整理が必要だからと発表していた。具体的に何があったかまでは書いていない。

 だからこの破局が原因で、配信を休止したのだと邪推された。


 活動休止中であるため、ヤロリはこの件について何もコメントしていない。女性配信者も、男性配信者にフラれたショックなのか何も発言していない。

 否定も肯定もない状況。何も知らない人たちは、噂が本当だからだと思ってしまう。

 憶測が憶測を生み、インターネットの世界では、何一つ正しいことのない情報がまるで真実のように語られていた。


 野地ヤロリに対する過激なコメントが目立つ。

 この前、【夢現】の女性Vtuberとコラボ配信を行った。

 コラボによってチャンネルの登録者数が大幅に上昇したが、【夢現】のファンの一部にはとある特徴があった。

 女性Vtuberに処女性を求めるというものだ。

 【夢現】から流れてきたファンは、野地ヤロリに対しても処女性を求めていた。

 コラボ配信以降にチャンネル登録をしてくれた者のコメントを見てみる。


[くそビッチが]

[ヤロリはブスなヤリマン]

[閉経ババアだったとかガッカリだわ]


 中身が男である矢井田にとっては関係のないものも多かったが、だとしても度を越えている発言が目立つ。コメントが攻撃的すぎる。

 最低な誹謗中傷を投げかけてくる輩がいるということ事態が、心を抉ってくる。


 何よりも辛かったのが、今までヤロリアンとして好意的なコメントをしてくれていた人まで、否定的な反応をしていることだ。


[騙された]

[俺たちを騙していたのか]

[ヤロリにはガッカリした]

[ヤロリのファン辞めます]


 彼らの好意は見事なまでに反転していた。


「あれだけ好きって言ってくれてたのになぁ」


 ちょっとした噂に流されて、アンチに変わってしまった。

 ヤロリを支えてくれていた仲間たちの姿はもうどこにもない。


「旧都アグレスはどうだろう」


 あの人なら味方をしてくれるかもしれないと思った。

 彼は厄介ガチ恋勢だ。

 自分こそが、自分だけがヤロリに愛されてしかるべきだと考えている。

 普通に考えたら熱愛スキャンダルが出たら嫌悪感を露にするだろう。

 でもなんとなく、彼は余計な噂に騙されない気がする。

 淡い期待を抱きながら旧都アグレスのコメントを調べた。


「何もない……」


 旧都アグレスは何もコメントしていなかった。

 ヤロリのスキャンダルに対して否定も肯定もしていない。

 無関心だ。


(彼はヤロリを見限ったのだろうか……)


「堪えるなぁ」


 野地ヤロリとして何ができるのか。

 正式に否定するべきなのか。

 何かをすれば逆に火に油を注ぐ結果に繋がる可能性もある。

 炎上時の対応に失敗して取り返しのつかなくなった配信者やVtuberを見てきた。

 下手な対応は命取りだ。

 何もせずに事態の鎮火を待つというのも一つの手である。


「はぁ……」


 配信を再開しようと思い始めた矢先に、このスキャンダルだ。

 完全に出鼻をくじかれていた。


[死ね]

[二度と配信するな]

[消えろ]


 野地ヤロリの――矢井田の活力となっていたはずのコメントが、やる気を奪っていく。


「辛いなぁ……」


 スマホにメッセージが届く。


「もしかしてイコ――げっ!?」


 送り主はクソ上司だ。

 退職した以上もう関わることはないだろうと連絡先をそのままにしていたが、こんなことになるならブロックしておけばよかった。


『お前が来るはずがないって会社のやつらが言うんだが、そんなことないよな?』

『あれだけ世話してやった俺の頼みを断ったりしないよな?』


 無言でメッセージを読む。

 返事をせずにスマホを放り投げた。


(どうして今も俺が従うと思ったのか。なぜ相手の気持ちを思いやることができないのか)


 クソ上司は相変わらずのクソ野郎だ。

 そして、くだらない噂に惑わされて批判してくる人たちもクソ野郎だ。

 そのコメントが相手をどれだけ傷つけるか考えたこともないのだろう。


「でも――もっとクソ野郎なのは俺自身だ」


 クソ上司に責められることが恐くて断りの連絡を入れるのを後回しにしている。

 ファンだった人たちに嫌われることが恐くて野地ヤロリとして正式に声明を出すことを躊躇っている。

 勇気を出せない自分自身に嫌気がさす。


「もう何もしたくない」


(こんなときにイコがいてくれたら……)


 壁の向こうにいるであろう少女。

 自分と彼女を隔てる壁が酷く分厚く感じた。




   ◆




 ヤイダは優しい。

 ガツガツした部分のない穏やかな男性だ。

 私のワガママも快く聞いてくれる。


 でも彼には辛いことを溜め込んでしまう悪癖がある。

 きっと今のヤイダは苦しんでいる。

 かつての上司に再会したことと、いわれのない炎上騒ぎに傷ついている。


 ネットで出回るヤロリに関する噂はでたらめなものばかりだ。

 私は知っている。

 私だけが知っている。

 ヤロリの中の人はおっさんで、恋愛対象は女性だ。

 だから男性とのスキャンダルが発生するはずがない。


 唯一ヤロリの秘密を知る私だけが、ヤロリのことを、ヤイダのことを慰められるはずだったのに。

 本来ならば傷ついた彼を癒して、私に依存してくれる、私だけを見てくれるはずだったのに。


 私は何もできない。

 苦しんでいるヤイダをただ遠くから見ていることしかできない。

 私は全てを失った。

 ヤイダの心に土足で踏み込んだ挙句、完全に嫌われてしまった。

 私だけを見てもらうどころか、ヤイダの心から締め出されてしまった。


「うぅ……ぐすっ……」


 泣く資格なんてないのに、涙が止まらない。


「ヤイダぁ……」


 ヤイダの心を全部私で埋め尽くしたい。

 でも、それは到底叶わない。

 ならせめて心の片隅にでもいいから私を置いてほしい。


 私には、もう何もできることが残っていない。

 ヤイダと関わることができない。

 関係が完全に断たれた。

 私とヤイダ。

 強固に結びついていたはずの紐が断ち切られた。

 どこにも繋がらなくなって、私は宙ぶらりんだ。

 無重力地帯に放り出されてクルクル回っている。

 私はヤイダに拒絶された。


「私は……?」


 不意に閃いた。


「私じゃなきゃいいんだっ!」


 ヤイダと関わる方法が、まだ一つだけ残っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る