第32話 お前だったんだな
「えっ?」
野地ヤロリの炎上騒動について調べていると、SNSに投稿されたコメントが注目されていることに気がついた。
投稿者の名前は――旧都アグレス。
[野地ヤロリの噂は全くの事実無根]
彼は野地ヤロリの炎上騒動を完全に否定していた。
それも単なる想像によるものではない。
まず元々似ていると言われていた部分。
声やエピソードについて触れている。
確かに声は似ているが、とっさの発言や口癖が全く異なること。
似たようなエピソードを語ったこともあるが、それ以上に矛盾したエピソードの方が多いこと。
実際に該当するシーンを比較できる動画を用意して否定していた。
ヤロリの突然の休止については理由が分からない以上何も言えないとした上で、ヤロリは休止宣言以降、一切発言していないのに対して、女性配信者は何度か悲しみをアピールして構ってちゃんな発言をしていることを示した。
そして決定的な証拠として、過去の全ての配信を比較し、2人の配信時刻を考慮すると同一人物であることは物理的にあり得ないことを証明した。
配信時刻の重なりを一つ発見した――のではなく、全ての重なりを見つけ出している。
逃げ道を許さぬ執念深い検証だ。
旧都アグレスのストーカー気質が存分に発揮されている。
昔からの熱心なヤロリアンたちが、彼のコメントを見てヤロリのことを信じようと思い始めている。
否定的なコメントばかりだったのに、前向きなコメントが徐々に増え出した。
「旧都アグレス……」
見限られたと思っていた。
でも違った。
彼はヤロリの無実の証拠を集めてくれたのだ。
PCの画面が涙でにじむ。
「ありがとう」
過激なコメントはまだたくさんある。
旧都アグレスがどれだけ冤罪であることを示そうと、一度燃え上がった火は中々消えてくれない。
優位な立場から相手を傷つけたいだけの愉快犯も多数いる。
(でも、俺は一人じゃない)
[そもそも野地ヤロリは僕のものだ。他の人に浮気するなんてあり得ない]
「ふふっ」
旧都アグレスらしいコメントに笑ってしまう。
それでこそ旧都アグレスだ。
相変わらずの彼に対して、他のヤロリアンたち――ヤロリのことを信じることにしてくれた人たちがからかいのコメントを始める。
[気持ち悪くて草]
[さすが厄介ガチ恋ニキ]
ヤロリの配信中によく見ていた掛け合いだ。
いつものやり取りを見て、心が軽くなる。
「本当にありがとう、旧都アグレス」
彼がヤロリのことを信じてくれたお陰だ。
旧都アグレス。
いったいどんな人なんだろう。
彼の過去の投稿を読み直す。
「うわぁ……気持ち悪いなぁ」
強すぎる独占欲。
異常なまでの執着心。
自分だけを愛して当然とばかりの傲慢さ。
改めて、気持ち悪いと思った。
でも気持ち悪いところはあるのに、不思議と憎めない。
「――ん?」
旧都アグレスが新しいコメントを投稿していた。
ヤロリに向けたメッセージだ。
[戦って。嫌なことは嫌だと言ってほしい]
それは、少し前に別の人物から言われた言葉だった。
クソ上司に対して強気に出られない矢井田に対して、イコが言った言葉だ。
「まさか……イコ、なのか?」
旧都アグレス。
相本イコ。
全く関係がなかったはずの2人が繋がる。
「いや、そんなはずは……」
あり得ないと否定しようとして、否定できない自分がいた。
旧都アグレスは顔も形も分からないアカウント。
相本イコは隣に引っ越してきた美少女女子高生。
異なって見える2つの存在だが、その外側に惑わされることなく、内面に目を向ければ瓜二つだ。
「旧都アグレスはイコだ」
間違いない。
具体的な証拠がある訳じゃなかったが、矢井田の中では既に確定事項となっていた。
旧都アグレスは――イコは矢井田が野地ヤロリであることを知っているらしい。
「いつからだ?」
(イコはいつから俺がヤロリだと知っていた?)
「あっ……」
旧都アグレスとのやり取りを思い出した。
彼は――いや、彼女は、過去に矢井田が1001号室に住んでいると配信でポロっとこぼした動画を、危ないから消した方がいいとアドバイスしてくれた。
そのアドバイスに素直に感謝して動画を消したのだが、よくよく考えれば、その行為によって1001号室に住んでいることを確定したのだろう。
このマンションに住んでいることをどうやって特定したのかは気になるが、過去の動画に何らかのヒントがあったのかもしれない。
イコは最初から矢井田がヤロリであることを知っていたのだ。
だから隣の1002号室に引っ越してきた。
「いや、違う」
厳密にはそうじゃない。
イコはヤロリの中の人が、このマンションの1001号室に住んでいるというところまでは最初から特定していた。
ただ、その正体がおっさんであることまでは知らなかったのだろう。
今なら引っ越しの挨拶をしにきたとき、彼女が呆然としていた理由がよく分かる。手土産が口紅だった理由も分かる。
「きっと、びっくりしただろうな」
そのときのイコの気持ちを考えると笑えてくる。
中身がおっさんだと知って、最初は幻滅したかもしれない。
でも最初の出会いから一週間経った後、矢井田の家に入り浸るようになった。矢井田がヤロリであることを受け入れたんだと思う。
――ヤイダは美少女の臭い足。
イコの発言を思い出した。
今ならその意味が分かる。
きっと非常に臭い足だったに違いない。
「イコはずっと俺を見守ってくれていた……」
野地ヤロリがバ美肉Vtuberであると知っても傍にいてくれた。
味方になってくれた。
「イコ……」
壁の向こう側にはイコがいる。
すぐ会いに行ける。
居ても立っても居られなくなり、部屋を飛び出た。
1002号室のインターフォンを鳴らす。
イコが矢井田の部屋のインターフォンを鳴らすことはあっても、その逆は初めてだ。
少し緊張した。
インターフォン越しの返事――はなく、ドタドタと廊下を走る音が聞こえた。
ガチャっと勢いよく玄関扉が開く。
「ヤイダ!?」
イコが玄関扉を閉めながら外に出てくる。
「この前は偉そうなこと言ってごめんね」
矢井田の顔を見た後、気まずそうに俯いた。
病室でのことを引きずっているのだろう。
気にしていないと言うべきだろうか。こっちこそごめんと言うべきだろうか。
でもそれだと気持ちは伝わらない。
どれだけ彼女に感謝しているか。その気持ちを言葉で伝えきることはできない。
だから行動で示すためにイコを抱きしめた。
「旧都アグレスは……お前だったんだな」
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