第25話 ヤイダ断ち

 学校でヤロリアンであることを公言してからしばらく経った。

 三浦さんたちとオタクトークをしたり、リカコにヤロリを布教する日々。

 充実した学校生活だった。

 毎日が満ち足りている。

 今日も三浦さんたちとVtuberの話をしていると、中の人に関する話題になった。


「ヤロリの中の人ってどんな人なんだろうね」

「色んな噂はあるけど信ぴょう性のありそうなものはないんだよなぁ。疑惑のあった元声優の人も本人が違うって名言してたし」


 【夢現】のような企業系Vtuberの場合、中の人の正体や顔画像が出回っていることが多い。声優や個人で配信していた者をスカウトするパターンが多く、有志によって声質や特徴などを基にVtuberとしてデビューする前の姿(いわゆる前世)が特定される。

 でもヤロリはまだ特定されていない。

 似た声の配信者がヤロリの前世だと言われたりすることもあるけれど、どれも真実味にかけると言われていた。


 まぁ……それも当然だろう。

 だってヤロリの中の人はおっさんなのだから。

 のじゃロリ美少女として人気なVtuberの中の人は声を加工して配信しているバ美肉おじさんだ、なんて誰に話しても信じてもられないだろう。

 現に私も受け入れるのにかなりの時間を要した。


 オタクの男子2人がああじゃないこうじゃないと中の人の推測をしている。

 ふふふ。

 私は彼らが知らない秘密を知っているのだ。

 自慢したくて本当のことを伝えたくて身体がウズウズする。

 でも、それは許されないことだ。

 ヤロリの正体を暴露したいという欲望を抑えながら尋ねた。


「もし推しVtuberの中の人と知り合ったら、どうしたい?」


 その答えは人それぞれだった。

 サインを貰ったり握手してもらいたい、耳元でASMR配信をしてもらいたい等の色んな意見があった。

 その意見を私は心のメモ帳に記録した。

 うん。

 私も今度ヤイダにしてもらおう。


「三浦さんは何かないの?」


 黙っていた三浦さんに尋ねる。


「何もしたくないかなぁ」

「えっ?」

「そもそも中の人と知り合いたくない。どんな人かも知りたくない」

「えぇっ!? じゃあもし偶然知り合えたら?」

「なるべく関わらないようにするかなぁ」

「どうして?」

「私は中の人と配信を繋げることは嫌だから。中の人がどんな人なのかとかはなるべく見ないようにしてるの」


 彼女の意見は、私が考えたこともないものだった。

 ヤロリに関することは全て知ろうとして当然なのだと思っていた。


「私はVtuber野地ヤロリの配信が好きなの。でもVtuberというアバターの内側に踏み込んでしまったとき、その内側が常に脳裏にチラついちゃう。きっと純粋な楽しみから外れていく。だから私はVtuberの中身には関知しない。それが本物のファン、本物のヤロリアンとしての在り方だと私は思う」

「な、なんだって……!?」


 三浦さんの言葉がグサグサと心に突き刺さった。


「あっ、いや、考え方は人それぞれだから……」


 慌てて三浦さんがフォローしている。

 でも、もう遅い。

 少なくとも私は、彼女の言葉に一理あると思ってしまった。


「私はファン失格だ」

「そ、そんなことないよ。相本さんはあれだけヤロリのことが好きなんだから、ファン失格なんかじゃないよ」

「でも、私は中の人を特定するために過去の動画を全部見返した。楽しむ心構えのないままヤロリの動画を見てしまうなんてファン失格だ……」

「そ、そんなことしてたんだ……。さすが厄介ガチ恋勢だね……」


 配信を楽しむという純粋な気持ちを忘れていた。

 最低だ。


「決めた。私はもう中の人のことは気にしない!」


 ファンとして、ヤロリアンとして。

 あるべき形に戻ろう。

 中の人とは……ヤイダとはもう関わらない。


 人格者でありソウルフレンドでもある三浦さんの言うことはきっと正しいはずだ。

 だから私はヤイダ断ちをすることを決意した。


 授業が終わって家に帰る。

 いつもなら荷物を置いて、すぐ隣の1001号室に行くところだけど、私はもうヤイダ断ちをすると決めたのだ。


「もうあっちには行かないっ!」


 血迷ったりしないように、この前作ったばかりのヤイダルームも封印する。

 入り口にバッテンの形にテープを貼って、扉を開けられないようにした。


「これでバッチリ!」




    ◆




 ヤイダ断ちをすると決めて一週間。

 登校した私の顔をリカコが見た瞬間、彼女は血相を変えた。

 また全方位誘惑マシーンになりかけているとのこと。

 なんだそれは。

 問題ないと主張したけれど、無理やり早退させられた。


「……」


 誰もいない静かな家に帰れば、隣にヤイダがいることを思い出してしまう。


「ヤイダぁ……」


 壁の向こうにはヤイダがいる。

 会おうと思えばすぐ会いに行ける。

 頭の中がヤイダで埋め尽くされていた。


「ヤイダ……ヤイダぁ……」


 痛みでヤイダの存在を脳裏から追い出そうと腕に爪を立ててみた。

 どれだけ力一杯肌に爪を食い込ませても、ヤイダは消えてくれない。

 むしろ痛みが増せば増すほど、ヤイダの存在が心の中心に近づいてくる。


「わ、私はヤイダを断つの……」


 真のヤロリアンになるのだ。

 もう1週間、ヤイダを断っている。

 今ならきっと純粋にヤロリの配信を見られるはずだ。

 パソコンを立ち上げて、ヤロリの動画を流す。


「なんで、なんで出てくるのッ!」


 画面にはVtuber野地ヤロリが映っている。

 でも私の目には、その画面の向こうにヤイダの姿が透けて見えた。

 ヤロリが笑えばヤイダの笑顔が浮かぶ。

 ヤロリが困ればヤイダの困り顔が浮かぶ。

 どうしたってヤイダの顔がまとわりつくのだ。


「私はヤイダのファンじゃなくてヤロリのファンなのに……」


 これだとヤイダのファンみたいではないか。

 ヤロリについて話したり、ヤロリの配信を見たりするだけでヤイダのことが脳裏に浮かんでくる。


「あぁ……ヤイダと話したい」


 ちょっとだけ、ちょっとだけならセーフなんじゃないか。

 禁煙をするときに一気にタバコを断つのではなく、少しずつ本数や回数を減らしていく方法があると聞いたことがある。

 ヤイダ断ちも似たようなものだと考えればいい。


「やっぱりダメ!」


 三浦さんの言葉を思い出せ。

 彼女は信頼に値する人物だ。

 私のために大きい声を出して恥ずかしい想いをしてまで、自分がヤロリアンなのだと先にアピールしてくれた。

 ヤロリアンとして尊敬できる先達だ。

 彼女の言葉に間違いはない。

 真のヤロリアンは、中の人とは関わらない。そういうものだ。


「ん?」


 スマホにメッセージが届く。


「あ、ぁっ、ぁ……」


 送り主はヤイダだ。

 私を気遣う内容のメッセージだった。


「あああああああああああああ」


 もう限界だ。

 気持ちが抑えきれなくなって机を思いっきり叩いた。


「げっ……」


 スマホを持った手で勢いよく叩きつけたせいで、スマホの画面が割れてしまった。

 バキバキにヒビが入っており、画面の文字が読めない。ヤイダからのメッセージもこれ以上読むことができない。


「最悪だ」


 折角のヤイダからのメッセージが……。

 これも全部、ヤイダ断ちなんてしたせいだ。


「もうムリ! 我慢なんてムリ!」


 最初から無謀だった。


「何が本物のヤロリアンだ! そんなの知ったことか!」


 確かに三浦さんは良い人だ。

 思いやりがあって思慮深い。

 でも私の想いは三浦さんにも測れない。


「私は私のしたいようにする! ヤロリ断ち終了!」


 勢いよく家を飛び出して、1001号室のインターフォンを鳴らしつつ、扉を何度も叩いてヤイダの名前を叫んだ。


「……?」


 返事がない。

 どこかに出かけているのか。

 こんなときに限ってどうして家にいない!

 スマホで連絡しようにも、さっき壊してしまったせいで使えない。


「ぐ、うぁ」


 ヤイダ断ちを止めると決めた途端、身体も心も猛烈にヤイダ成分の飢えを訴え始める。早くヤイダを摂取しなければ頭がおかしくなってしまいそうだった。

 自分の家に戻る。

 ヤイダルームを封印しているバツテープを破って中に入る。

 まだ全然品物はない。

 この前ゴミ袋から抜き取った、歯ブラシとスウェットぐらいだ。

 物足りないけどないよりはマシ。

 早速スウェットに着替えて歯ブラシを手に取った。


「汚いけど……えいっ!」


 歯ブラシをくわえた。


「んふー」


 少しヤイダ成分が接種できた気がする。

 ちょっとばかり心が安定した。

 これでヤイダが帰ってくるまで待てるかもしれない。

 スウェット姿で歯ブラシを咥えながら玄関を出る。

 ヤイダが帰ってきたらすぐに会えるように、外の廊下に、ヤイダの部屋の玄関扉前に座り込んだ。

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