第3話 イコの絶望

 私――相本イコは、この世の終わりを迎えていた。


「どうしてこんなことに……」


 嘆かずにはいられない。

 なぜ?

 私は何を間違った?

 神はどうしてこんな仕打ちを?


「まさか、まさか……ヤロリの正体が、おっさんだったなんて!?」


 あのおっさんと別れた後、おぼつかない足取りで1002号室まで戻り、なんとか玄関で靴を脱ぎ、そして力尽きて廊下で崩れ落ちた。

 床を拳で叩きつける。


「世界が憎い」


 私のヤロリ。

 世界で私の次に可愛い存在の野地ヤロリ。

 それが実はおっさんだったなんて、あり得ない。あり得ていいはずがない。


 きっと何かの間違いだ。

 何かの偶然で、このマンションの1001号室が条件に当てはまっていただけだ。

 そうだ。私の調査が甘かったんだ。

 それは絶望の奥にある小さな希望かもしれない。

 でも私が生きていくためには必要な希望だった。


「ヤロリが住んでいるのは、1001号室じゃない!」




    ◆




 私はVtuber野地ヤロリが、このマンションの1001号室に住んでいることを特定した。

 大変な作業だった。

 彼女の過去の配信や発言を全てチェックした。

 配信中に聞こえるわずかなノイズも聞き漏らさずに記録した。

 地震・暴風といった災害や天候についての発言や、コンビニの距離などの立地に関する発言から大まかな場所を割り出した。


 ヤロリがライブ配信をしている最中に、突然配信が止まったことがある。彼女は停電があったと言っていた。絞り込んだエリアの中で、その時刻に停電が起こった場所は、このマンションだけだった。


 マンションまで特定できれば、後はどの部屋に住んでいるのかということだけだ。

 最後の決定打は――ヤロリの発言にある。


「わしと同じ部屋じゃのう」


 配信初期の頃、ヤロリはとあるホラーゲームの実況配信をした。主人公が1001号室に住んでいて、それを知ったときにヤロリがポロっとこぼした。

 だから1001号室に住んでいることは確定事項のはずだった。


 完全にヤロリの住所を特定した。

 それを確信した私は、早速行動に移した。

 隣の1002号室に住んでいた人には金の力で快く出て行ってもらい、私が1002号室の住人となった。

 そして引っ越しの挨拶を切っ掛けにして、ヤロリと親密になろうと思っていた。


 私のプランは完ぺきだったはずだ。

 でも――その結果が美少女じゃなくて、太ったおっさんだ。

 もしかしたら1001号室というのはブラフだったのかもしれない。あるいは引っ越して、当時とは違う号室になったのかもしれない。


「この私を騙すとは……さすがヤロリ」


 悔しいけれど、今までの配信で得られる情報はもうない。

 隅から隅までチェックしたから。


 となれば次はどうするべきか。

 このマンションにヤロリが住んでいることは間違いないはず。

 だからこの棟のどこかにいるヤロリを見つければいい。

 大変だけど、しらみつぶしをするしかないかも。


「あれ?」


 スマートフォンに通知があった。

 ヤロリが配信をするらしい。

 基本的にヤロリの配信スタンスは、事前に配信開始時刻を周知して行っている。

 そっちの方がヤロリアンたちも時間の都合をつけやすいからだ。


 でもときどきこうして突発的に配信を行うこともある。

 そういうときは大体、リアルで何かがあってすぐに話したいことができたときだ。


 どんな内容を話すんだろう?

 ワクワウしながら視聴の準備を整える。

 視聴専用部屋でチェアに座り、ヘッドフォンを装着した。


「ヤロリの部屋をつきとめるために、どんな情報も聞き漏らさない!」


 早くおっさんの悪夢からヤロリを解き放ってあげないと。

 そして――待望の配信が始まった。


「今日はいいことがあったんじゃ」


 ご機嫌にヤロリが語る。

 るんるんしてるヤロリが可愛い。


「あぁ、ヤロリ! ヤロリは最高に可愛いよ!」


 いたずらっぽく笑うヤロリが特に好きだけど、今みたいに無邪気に笑うヤロリも可愛い。

 画面上のヤロリは、笑顔になると八重歯が見える。

 それがとってもチャーミングだ。

 もちろん、ヤロリは笑ってないときだっていつだってめちゃくちゃ可愛いけど。


「隣に引っ越してきた人が挨拶に来てくれたんじゃ!」

「……ん?」


[ヤロリの隣に引っ越せるとかうらやま]

[俺もさっき引っ越しの挨拶したけど、もしかしてあのおばさんがヤロリだった!?]

[ヤロリは美少女だっつってんだろ]


 物凄く嫌な予感がした。

 まさか、ね。

 たまたまだから!

 たまたま偶然、別の号室に住むヤロリの隣にも誰かが引っ越してきただけ。きっとそう。


「しかもその挨拶に来てくれた人が、ものすんごい美少女だったのじゃ!!」


[ヤロリの方が可愛いよ]


「確かにわしは国宝級に可愛い。そんなわしですら負けてしまうかもしれない程の美少女じゃ」


 間違いない――私だ。


[天使か]

[ヤロリと隣の美少女とのてぇてぇ始まるか?]


 ヤロリアンたちがのんきにコメントしている。

 何も知らない彼らはなんて幸せなんだろう。


 ヤロリに匹敵する美少女。

 そんなの私しかいないでしょ!

 しかもタイミングがドンピシャすぎる。

 もう無理でしょ!


「しかも、とっても素敵なものを貰ったのじゃ」


 口紅だけは止めて。

 神様仏様ヤロリ様。

 どうか口紅以外にしてください。


 神様なんて信じていなかった。

 むしろ私が女神だ。

 でもこのときばかりは神仏にすがるしかなかった。


 無難にお菓子とか!

 石鹸とか洗剤とかタオルとか!

 なんでもいいから口紅だけは止めてください!


「なんと! 口紅を貰ったのじゃ!」


 はい確定!

 ヤロリはおっさん! 確定!

 終わったー!

 もう希望は残ってない。


[口紅をプレゼントするのって、あなたにキスしたいって意味があるらしいよ]

「ほほう、あれだけの美少女だと、さすがにわしも照れてしまうのう」


 確かにそういう意味も込めて買ったけれど……!

 「口紅をプレゼントするのはあなたにキスしたいって意味があるんだぜっ」って言いながらヤロリの中の人にキスしてやろうと思っていたけれど……!

 違う……違うー!

 ヤロリが中身も外見に劣らぬ美少女だと思っていたからで。

 中身がおっさんだと知っていたら口紅を渡すことはあり得ない。


「もうお終いだ……」


 いつもは【旧都アグレス】というアカウント名で、ヤロリの配信にコメントしているけれど、今日はそんな気力もない。


 いつの間にか配信が終了していた。

 ヤロリがおっさんだと確定したことがショックすぎて全く頭に残っていない。


 ヘッドフォンを外す。

 椅子に背中を預けて、天井を見上げながら宣言した。


「ヤロリのファン止めます」

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