第14話 地上最強の親子喧嘩なやつ

「ヤイダって地上最強の親子喧嘩な漫画、持ってたよね?」

「えっ? お、おう。持ってるけどどうかしたか?」


 さっきまで配信で話題に出していたから焦ってしまう。

 イコが配信を見ている訳もないしただの偶然だろう。


「なんでそんなに挙動不審なの?」

「いや、別になんでもないぞ。あはは……」

「ふ~ん?」


 何か隠しているとでも言いたげな目でジッと見てくる。

 別にやましいことをしている訳じゃないが、イコに見られると心が落ち着かない。


「でもなんか怪しいし」

「い、いや、これは……」


 イコがニヤニヤ笑っている。

 動揺している矢井田を見てバカにしているらしい。


「イコからそんな話題が出るのが意外だっただけだ」

「そう? まぁちょっと読んでみたくなったって感じ」


 女子高生が急に格闘漫画を読みたくなるものだろうか。

 あるいは彼氏が話題に出したとかかもしれない。

 イコには彼氏がいるのだろうか。

 それは前から気になっていることだった。

 ちょうどいい機会だと探りを入れてみる。


「彼氏の影響でも受けたか?」

「は? 何それ」


 イコは矢井田の了解もとらずに寝室に入って本棚を漁っている。

 あまり漫画には詳しくないらしく、指で漫画の背表紙を一つずつ追ってタイトルを確認していた。

 でも彼氏の影響かと聞いた瞬間、イコが動きを止めた。


「私に探りでも入れてるつもり?」


 イコの顔から表情が消えた。

 怖い。


「そういうの面倒だから止めて。知りたいなら普通に聞きなよ」

「悪かった。ごめん」


 ガチのトーンで説教された。

 イコは美少女だ。

 きっと色んな男たちから探りを入れられた過去があるのだろう。

 嫌な思いもたくさんしてきたはずだ。

 彼女の言う通り、コソコソせずに正面から聞くべきだった。


「別にヤイダになら大抵のことは答えてあげるんだからさっ。遠慮せずに何でも聞いてね」


 こういう言い方をするやつは大体、聞かれたくないことを聞いたら凄く怒る。

 矢井田が働いてたとき、似たようなことをクソ上司に散々やられたからよく分かっているのだ。


「スリーサイズだって教えてあげるし」

「えっ!?」

「知りたい?」


 物凄く知りたい。

 でも、おっさんの矢井田が女子高生のスリーサイズを知りたいと頷けば確実にアウトだ。


「べ、別に」

「ヤイダは意気地がないねー」


 ケラケラと笑っている。


(ちくしょう! いたいけなおっさんをバカにしやがって!)


「彼氏がいるかって話だけどさ、彼氏がいたら一人でヤイダの家に来る訳ないじゃん」


 もしも矢井田がイコの彼氏だったとして、イコが変なおっさんの部屋に上がり込んでいることを知ったら発狂するだろう。


「ヤイダはバカだなぁ」


 常識も危機感もないワガママ女に、常識的に考えてよと言われた。

 屈辱である。


「学校でも選り取り見取りだろうし、作ろうと思えば簡単に作れるんじゃないのか?」

「そりゃあ私はモテモテだからね。でも私と恋人になれるだけの男じゃないし」


 イコは自分の容姿に絶対の自信を持っている。

 普通ならナルシストだと思うところだが、イコの可愛さは普通じゃない。むしろ彼女の自信は当然のものだとすら思える。


「あっ、これだ!」


 イコが数冊の漫画を手に持ってリビングに移動し、当然のようにソファーに寝転がって漫画を読み始めた。




    ◆




 イコはソファーの上で仰向けに寝転びながら漫画を読んでいた。

 左ひざを曲げて、その上に右ひざを置くような形で膝を組んでいる。

 パーカーが少しめくれていた。

 太もものかなり根元の方まで見えている。

 本当に彼女はパーカーの下に短パンを履いているのだろうか?

 だとしたら既に短パンが見えていないとおかしい。


「寒いだろう。これでも使え」


 気を遣うフリをして、ブランケットをかけてやった。

 これ以上パーカーの下を想像するのは精神衛生上よろしくない。

 ついでに気の利くジェントルな男だと思わせることもできる。

 イコもきっと矢井田が優しい男だと見直したはずだ。


「どっちだと思う?」

「何の話だ」

「パーカーの下に短パンを履いていると思う? それとも履いてないと思う?」

「な、なっ!?」


 急に何を言い出すのか。


「確かシュレーディンガーの猫ってやつだっけ? パーカーの下がどうなっているか、観測するまで分からない」


 開けてみるまで猫が生きているか死んでいるか分からない――という使い方は誤用だと聞いたことがあるが、今はどうでもいいだろう。


「短パンを履いているかもしれないし、ショーツだけかもしれないし、もしかしたらノーパンかもしれないし……ってそれはないか」


 その言い方だと、ショーツだけという可能性は十分にあり得るということだ。

 イコは美少女の癖に危機感の薄い女子高生だ。

 本当に、履いていないかもしれない。

 ゴクリと唾をのみ込んだ。


「観測してみる?」


 何も言えずに固まってしまい、イコがケラケラと笑った。




    ◆





「ふふふ……」


 イコがドヤ顔を浮かべながら怪しげな踊りをしている。

 両腕をブランとさせて、全身がまるで液体になったかのようにユラユラと――いや、この動きには覚えがある。

 漫画の中で使われていた有名な技――鞭打だ!


「おい、お前まさか」

「ふふふ……」


 鞭打は簡単に言えば、身体を鞭のようにして放つ、物凄い痛いビンタのようなものだ。

 そんなものをくらってしまえばひとたまりもない。

 テンションのおかしいイコから後ずさる。

 すぐに背後に壁が来て追い込まれた。

 そして――


「ッいてえええ!!」


 太ももに鞭打をくらった。

 素人による見様見真似の技だ。

 本物の鞭打とは比べ物にならないだろうけど、それでも泣きそうなぐらい痛い。

 というか実際泣いてる。

 勝手に涙が出てきた。


「あはぁ」


 加害者のイコはエロい吐息のような声を漏らしている。


「さい……ッこう!」


 恍惚とした表情を浮かべていた。

 イコは加虐心の持ち主だ。

 厄介なことに矢井田みたいなおっさんを虐めて楽しむ悪癖があるらしい。

 味をしめたのか、二撃目の鞭打を放ってくる。


「うぉぉぉ!!」


 やらせてたまるか。

 イコの右腕を、手首あたりを左手で掴んで食い止める。


「離して!」

「お仕置きだ!」


 逃げられないようにイコの左手首を掴んだまま、彼女の後ろに右腕を伸ばして、思いっきりケツをぶっ叩いた。


(さぁ、泣きわめけ!)


「ぁんッ」

「……ん?」


 聞こえてきたのは悲鳴……ではなく、まるで喘ぎ声みたいな声だった。

 怒りに身を任せていた矢井田は、その喘ぎ声で我に返った。

 イコと目が合う。


「……」


 いつの間にかイコを抱きしめているような体勢だ。

 お尻を叩かれてのけぞったイコが、矢井田に身体を預ける形になっていた。

 彼女の胸のムニュムニュとした感触が、自分の胸元から伝わってくる。


「……」


 イコの顔が真っ赤になっている。

 身体がプルプルと震えていた。

 これはヤバい。明らかに暴発寸前だ。


(終わった)


 右手はイコのお尻を叩いた後、そのままお尻に添えられている。

 完全に変質者だ。

 いっそ最期に楽しもう。

 自棄になって、彼女のお尻を揉んでみた。


「んッ、あッ」


 可愛い反応をした後、すぐにギロと睨んでくる。

 そして――


「死ね!」


 スネをけられて悶絶した。

 痛みのあまり、その場にうずくまる。

 イコが走るように家を出て行った。


「くそぅ、躊躇なく攻撃しやがって」


 痛みで声が震えている。


「あー、でも」


 さっきのことが脳裏に浮かぶ。


「エロかった、なぁ……」


 矢井田を叩いた後の恍惚とした顔も。

 矢井田が叩いた後の可愛らしい喘ぎ声も。




    ◆




 色々やらかしてしまった次の日。

 もうイコは怒って来てくれないかと思っていたけど、前日のことなんて何もなかったかのように、やってきた。


 でも矢井田の愚行を許してはいないらしく、いつにも増してワガママばかり主張していた。


「何か文句あるの?」


 反論しようとすると、文句があるなら叩いてみろよと言わんばかりに、矢井田に向かってお尻を突き出してフリフリしている。


「ぐっ……」


 イコのことはムカつく。

 でも、だからと言ってこの前みたいに叩く勇気はなかった。


「ヤイダは意気地がないね」


 ニヤリと笑っている。


(ちくしょう! いつか絶対に分からせてやる!)

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