第15話 リアバレ危機

 いつものように矢井田の家でくつろいでいたイコが、何でもないことのように聞いてきた。


「野地ヤロリって知ってる?」

「な、な、な!?」

「ぷっ、動揺しすぎ」


 唇に手を当ててクスクスとバカにしている。

 どうしてイコからその名前が出てくるのか。


(もしかして俺がヤロリだと知っているのか!?)


 いや、その可能性は低いはずだ。


「の、野地ヤロリ……がどうしたんだ?」

「知ってるの? 知らないの?」


 知らないと言いたいところだが、それは危険だ。

 矢井田とヤロリを繋げるものは配信部屋にしかない。

 イコには中に入らないように伝えているけど、彼女の行動は予想できない。

 勝手に入られる可能性もある。

 そうなればヤロリを知らないという発言に矛盾が出る。

 でもヤロリを知っていることにすれば、ヤロリのファンということにすれば、矛盾は生じないはずだ。


「知っている」

「ふーん、何でさっき動揺したの?」

「いや、それは……何というか、こう、恥ずかしくてな」

「は? 何が恥ずかしいの?」


 イコが怒っている。

 顔立ちが整っているせいで、怒るととても怖い。


「ヤロリのことバカにしてんの?」

「い、いや、そういう訳じゃ」


(というか俺がヤロリ本人だし!)


「だったら何が?」

「ヤロリはその、凄く可愛いけど、そんな子を俺みたいなおっさんが好きって言ったら恥ずかしいだろ?」

「ふーん」


 イコがこっちをジッと見てくる。

 その何かを見透かすような目は止めてくれ。


「別にヤイダみたいなおっさんがヤロリのこと好きだからって悪く思ったりしないし。というか私もヤロリアンだから」

「そ、そうなのか!?」


(あのイコがヤロリのファン……俺の、ファン)


 勝手に顔がニヤてしまう。


(やばい。めっちゃ嬉しいかも)


「なにニヤニヤしてんの?」

「べ、別にしてないし」

「照れてるおっさん気持ちわるっ。その顔の方がよっぽど恥ずかしいよ」


(このクソガキが!)


 矢井田はイコの顔をぶん殴った。

 男女平等パンチだ。

 ――もちろん、心の中での話だが。




    ◆




 イコは割と重度のヤロリオタクであったらしい。

 でも周りにはヤロリトークができる相手がいなくて、矢井田とヤロリトークができるのが嬉しいと満面の笑みを浮かべている。

 リアルでヤロリのファンと会ったことがなかったから、なんだかむず痒い気持ちになる。


「ヤロリアン仲間ができたらやってみたかったの」


 そう言って、一緒にヤロリの過去の動画を見ることになった。


(俺、ヤロリ本人なんだけどなぁ)


 自分の配信を見返すのは結構恥ずかしいことだ。

 しかも人と一緒に見るとなるともっと恥ずかしい。


「何から見ようかなぁ」


 イコがご機嫌に鼻歌を口ずさみながら、リビングのテレビのリモコンを操作している。

 矢井田の家にあるテレビは有名な動画配信サイトを視聴できるタイプだ。

 一生懸命に動画を探すイコを微笑ましい気持ちで眺めながら、ダイニングの椅子に腰かけた。


「は? 何してんの?」


 怒られるようなことはしていないが、なぜかイコに睨まれた。


「こっち」


 ソファーに来いと、隣に座れと手で示している。

 矢井田は一人暮らしだ。

 ソファーのサイズもそこまで大きくない。

 大人2人が座るとちょっと狭く感じるサイズだ。

 しかも片方が細身の女の子とはいえ、もう片方は太ったおっさん。

 促されるままに座ってみれば案の定、イコの腕と矢井田の腕が当たってしまう。

 自分の腕に全神経が集中し、女の子の柔らかい腕の感触を感じとる。

 でもイコは大して気にする様子もなく画面に目を向けていた。


「どれにしようかなぁ。どれもいいからなぁ」


 イコはどの動画を見ようか真剣に選んでいる。

 それほど悩んでもらえるなら配信者冥利につきるだろう。


「ヤイダはどの動画が一番好き?」


 改めて聞かれると困る。

 どの動画にも少なからず思い入れはある。

 悩んだけれど、敢えてあげるとなれば一つ思い浮かぶものがあった。

 誰も死ななくていいRPGとして有名なゲームの実況動画で、その中でも最難関とされる相手との戦いだ。


「おっ、いいねぇ。私も好きっ!」


 かなりアクション性の強いゲームで、気が遠くなるくらい何度も敵にやられたことを覚えている。


「諦めようと思ったけど、みんなのコメントに元気をもらって、なんとかクリアできたときの達成感はヤバかったな。いやー、我ながらまじで頑張ったと思う」

「ヤイダが頑張ったの?」

「えっ?」

「我ながらまじで頑張ったって……」

「あ、いや、違う違う! ヤロリがめちゃくちゃ頑張ってるなぁって思ったってことだ。俺はただ見てただけだし何も頑張ってない」

「ふーん?」

「ほら、そんなことより、早く見ようぜ!」


 動画への興味の方が強かったのか、追及の手は止んだ。


(危ない危ない)


 動画が再生される。

 動画はゲームの途中から始まった。ストーリー的には既に終盤で、最強の敵との戦いに初めて突入したところだ。

 戦いの冒頭から全力で技をぶっぱなされて即死し、ヤロリが言葉を失う。


「くぅぅ! ここ! ここの呆然としたヤロリがいいのっ!」


 興奮したイコが、矢井田の太ももをパンパンと叩ききながら、もう片方の手で画面を指し示す。


「あれ最高だよね? ね?」

「お、おう」


 気が気でなかった。

 太ももを叩いたイコの手が、そのまま太ももに……しかも付け根のあたりに置かれたままになっているからだ。


(心頭滅却!)


 必死で心を落ち着けて動画に意識を集中させた。


「健気で可愛いねぇ」


 強すぎる敵を前にして、ヤロリがめげずに頑張ると宣言している場面。

 イコはうんうんと頷いている。

 ここまでは一般的なファンの反応だ。


「はぅぅ、ヤロリ可愛いよぅ」


 うっとりしながら息を漏らしている。

 イコが酔いしれているその場面は、敵が強すぎて何度挑戦しても全然勝てずに心が折れてしまうところだった。


「あはぁ、最高っ」


 違うだろ。いいところはこここから先の場面だと心の中で突っ込む。

 ヤロリは――というか矢井田はそこまでゲームが上手ではない。


(このゲームの難易度に心が折れてしまうが、それでもヤロリアンのみんながコメントで励ましてくれて、また挑戦することを決意する場面が最高だろうが!)


「頑張れヤロリー」


 矢井田的な最高の場面を見たイコの反応はとても薄い。

 つまらなく思っている訳ではないみたいだが、グッとくるポイントではないらしい。


(なんでだよ)


「あっ、見てヤイダ! また心折ポイントが来るよっ!」


 凄く調子よくキャラを操作できて、これはいけるんじゃないかと思った矢先に、敵の新しい攻撃によってやられてしまい、またヤロリが諦めかける場面だ。

 イコがものすごく喜んでいる。

 さっきの薄い反応とは大違いだ。


「あぁ、ヤロリぃ……」


 まるで耽美な快楽に身を任せているみたいにとろけた顔をしていた。


(この子、怖いんだけど……)


 明らかにヤロリがひどい目にあっているときほど喜んでいる。

 どうやら彼女はそういう性癖があるらしい。


「困ってるヤロリって可愛いよねっ」


 こぼれるような笑みだ。

 どうしてそんな無邪気な笑顔で、そんなひどいことが言えるのだろう。


(ドン引きだぁ……)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る