第22話 背中を押して

 平日の午前中。

 まだ学校の授業がある時間にもかかわらず、イコが矢井田の部屋にやってきた。

 膝を曲げて、膝を抱えるようにしてソファーの上に座っている。

 ずーんと落胆していた。


(まーた、この子はメンタルが不安定になっているらしい)


 苦笑してしまう。

 会ったばかりの頃、相本イコという少女はとてつもない美少女で、その外見に裏打ちされた自信家な少女だと思っていた。

 でも実際は結構繊細なタイプのようだ。


「コーヒーでも飲むか?」


 イコが無言でコクリと頷いた。

 2人分のコーヒーを淹れてリビングのテーブルに置く。

 ソファーに、イコの隣に座った。


「ミルクや砂糖は自分で調節してくれ」

「要らない」


 イコはブラックのままコーヒーを口にした。


(へぇ、ブラックもいけるのか)


 勝手に苦手そうなイメージを持っていたから意外に思う。


「にがっ」


 どうやらイメージ通りだったらしい。

 背伸びしてブラックコーヒーを選んだだけのようだ。

 美味しい飲み方をするのが一番だと思うが、無理に口出しするのも野暮かもしれない。

 コーヒーの香りには心を落ち着ける効果があると個人的には思う。

 苦いと言っていたイコにも効くかは分からないが。

 顔をしかめながらコーヒーを飲んでいた彼女は、ぽつりぽつりと語り始める。


「私ってさぁ、超がつく美少女でしょ?」

「自分で言うのはどうかと思うが、その通りだな」

「人には……特に男には、美少女とはかくあるべしって理想があるんだよね。私はなるべくその理想を叶えられるように振舞ってきたつもり」


 言わんとすることは分かる。

 普通の女の子より美少女の方が他人の目に晒されるし、勝手に幻想を抱かれるものだ。

 アイドルはうんちをしない説はまさにそうだろう。


「だから私がVtuberについて語ることは……みんなにとって解釈違い。同じクラスでVtuberの話をしている人がいても遠巻きに見ることしかできない。そこには……加われない」


 イコの悩みの正体が判明した。


「私がヤロリのことを話せるのはヤイダしかいないんだ。だから……これからもずっと私とヤロリの話をしてね」

「本当にそれでいいのか?」

「えっ?」

「別に俺はイコのヤロリトークにずっと付き合ってもいい。でも、本当にそれだけで満足なのか?」

「……」

「学校の友だちとヤロリのことを話したいんじゃないのか?」

「でも、あの子たちと私は……友だちにはなれない」

「そんなこと誰が決めた」


 余り話したいことではなかったが、少しでも助けになればと自分が働いていたころのことについて話すことにした。


「前に働いていた会社で、俺は心を病んだ。上司が厳しいやつで……まぁ俺がどんくさかったせいでもあるんだが、ずっと怒られっぱなしだったよ。俺はどれだけ心が壊れていっても、中々会社を辞められなかった。辞めちゃいけないって思ってたんだ。一度決めたことは途中で投げだすことは許されないし、もし投げ出したら人生終わりだって決めつけてた。でも、そんなこと誰も決めてないのにな」


 あの時は自分で自分を追い込んでいた。


「でも思い切って会社を辞めて、今ではこうしてブイ――ちょっとした在宅ワークも見つかって楽しく生活している。なによりスーパー美少女・イコちゃんが傍にいるしな。最高の毎日だ」


 イコがふふっと笑う。

 少しは気持ちがマシになっただろうか。


「どうすればいいのかな」

「イコが一歩踏み出すしかない」

「簡単に言わないで」

「別に簡単には言ってないさ。その一歩が何よりも難しいことを俺はよく知っている」

「一歩踏み出して……それでもダメだったら?」

「そのときは――俺が慰めてやる」

「えっ?」

「夜通しみっちりヤロリのことを語り合おう。起きられる限り、話せなくなるまで、ずっとだ」

「ヤイダ……」

「ヤロリに関する知識じゃ、俺は誰にも負けない自信がある。イコにとっても有意義な時間になるはずだ」

「ありがとう、ヤイダ」

「おう」


 自分の言葉がどれだけ彼女の支えになれたかは分からない。

 でも少しは背中を押せたのではないかと思う。

 その証拠に、イコは隣に座る矢井田に対して肩をあずけた。




    ◆




 源田に暴露された日の夜、ヤロリの配信が始まるのを自室で待っていた。

 私がやるべきことは決まった。

 明日、学校に行く。

 そして野地ヤロリが好きであることを三浦さんたちに告白し、一緒に語り合いたいという希望を伝える。

 そこからどうなるかは――分からない。拒絶されるかもしれない。

 手が震えた。

 あと少し。あと少しの自信が欲しい。


 踏み出す勇気が出せないまま、ヤロリの配信が始まる。

 今日の配信はヤロリアンの悩みを聞いて、ヤロリがアドバイスするというお悩み相談コーナーだ。


 今の私にとっておあつらえ向きのコーナーだ。

 私の悩みも伝えたい。

 ヤイダとしての応援は既に受け取った。後はヤロリとしても応援してもらいたい。

 キーボードの上に手を置く。

 指が、動かない。

 いつものようにキーボードを叩くだけでいいのに、不思議と指が動かない。

 悩みを書き込むこともできず、他のヤロリアンたちの悩み相談をしているヤロリのことを、ただ漠然と見ていることしかできなかった。


「最後に、ちょっと時間を貰っていいかのう?」


 もうすぐ配信が終わるというときに、ヤロリが突然話を切り出した。


「わしの知人に悩んでいる子がおる。この場でその子にメッセージを送りたいのじゃ」


 これって、もしかして……私のこと?

 自惚れだろうか?


「その子はわしがVtuberをしていることも知らぬ。ここでどんな言葉を発しても意味はないのかもしれぬ。それでも……伝えたいのじゃ」


 いや、自惚れじゃない。

 私はヤイダに、ヤロリの正体を知っていると明かしていない。

 そして少し前にヤイダに悩みを打ち明けた。

 ヤロリの語る知人の条件に当てはまっている。


「好きなことを好きだと言うのは勇気のいることじゃ。イメージと違う、ガッカリした、なんて言うやつらも出てくるかもしれん」

「ヤロリ……」


 悩みの内容も私のものと合致している。

 うん。間違いない。

 ヤロリは私に語り掛けているんだ。


「それでも、お主の好きに恥じ入ることなど何一つないのじゃ。じゃからのう、わしから言えるのは、たった一言だけ」


 優しい口調でヤロリが語る。

 気がつけば、画面に映るヤロリの姿が涙でにじんでいた。


「頑張るのじゃ」


 私はいつもヤイダを通してヤロリを見てきた。

 でも今、にじんだ視界の向こうに浮かんでくるのは、ヤロリじゃなくてヤイダの優しい笑顔だった。

 心に温かい火が灯った気がする。


「ありがとう……ヤイダ」


 ヤイダはヤロリとしても私を励ましてくれた。

 配信でプライベートの人間関係を出して、個人的なメッセージを送ることはかなりリスキーな行為だ。

 コメント欄を見ていると好意的な反応をしている人物が多いが、中には嫌がっている者もいる。

 Vtuberとしてはあまり褒められた行動ではないだろう。

 でも、私のためにそんなリスクを冒してくれた。


「ヤイダが私のために……私だけのために」


 勝手に顔がニヤついてしまう。

 嬉しい。

 私は奇跡の美少女だから、みんなが私のために奉仕することは当然のことだ。

 でも、それでも、ヤイダが私のためにしてくれた行為は、とても特別なものに思えた。

 心がジーンとする。

 自分の感情を受け止めるために目を閉じた。


「ヤイダぁ……」


 脳裏にヤイダの姿が浮かぶ。

 少し困ったように笑っているけど、その目には優しさが宿っている。

 私の好きなヤイダだ。


「ヤイダ……ヤイダぁ……」


 ヤイダの名前を呟くたびに、心が温かくなる気がした。

 私にはヤイダがいる。

 ヤイダが私の背中を押してくれる。

 だからもう、躊躇わない。

 明日学校に行って、野地ヤロリが好きだと三浦さんたちに宣言する!

 失敗に終わるかもしれないけど、そのときはヤイダに慰めてもらおう。


 うん。

 どっちに転んでもハッピーだ!

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