第23話 こんのじゃなのじゃー!

 教室に入る。

 クラスメイトたちが私に気がつく。

 教室内のざわめきがおさまった。


 いつもは私の美貌に見惚れて会話が止まる。

 でも今日は違う。

 昨日のできごとがまだ尾を引いていて、みんな気まずい気持ちになっているのだ。

 彼らの顔には困惑が宿っている。

 私に対してどう接するべきか判断がつかないようだ。


「その、昨日はスマン」


 源田が私の前に立ちはだかる。

 申し訳なさそうにしている。反省しているのだろう。

 でも、そんなこと私には関係ない。


「邪魔」


 源田は友人の一人だった。数少ない男子の友人だった。

 でも、それは過去のことだ。

 私と源田は友人ではなくなった。

 もう私たちは、ただのクラスメイトという関係でしかない。


「相本……」

「また蹴られたいの?」

「い、いや、止めてくれ!」

「だったら、そこをどいて」


 昨日の金的は無意識の行動だ。

 パーソナルスペースを侵された生理的な嫌悪感が、とっさに身体を動かした。

 さすがの私も意識的にクラスメイトの急所を攻撃するほど非道ではない。

 だから別に邪魔に思ったぐらいで源田の急所を攻撃することはないけど、ハッタリというのは大事だ。

 この女は本気だと相手に思わせることが利に繋がる。

 実際、源田は情けなく股間を抑えながら道を譲った。

 彼の傍を通り過ぎて、目的のグループに近づく。


 オタクグループ。

 大人しそうな4人の男女。

 困惑した彼らは私から目を逸らす。

 いや、女子の一人、三浦さんだけは真剣な顔で私を見つめていた。


「わ、私はっ……」


 声が出ない。

 話そうと思っていたことはたくさんある。

 まずは私が野地ヤロリのことが好きだと伝えようと思っていた。


「……」


 でも、その言葉が口から出てこない。

 ヤイダに勇気をもらったのに。

 私は何も話せないでいた。


「相本さんってヤロリアンなの?」

「……えっ?」

「ほらこれ、私も同じやつ持ってるよ」


 三浦さんはそう言いながら、カバンから一体の人形を取り出した。

 私が持っているものと同じヤロリちゃん人形だ。


「あっ……」


 慌てて私もカバンから、ヤロリちゃん人形を取り出す。

 恐る恐る、ヤロリちゃん人形を三浦さんに見せるように突き出した。

 彼女は同じように人形を持って、私の人形と向い合せにする。

 そして人形を揺らしながら、いつもの彼女が喋る声量よりもかなり大きな声で言った。


「こんのじゃなのじゃー!」


 ヤロリは配信の最初に、必ず決まった挨拶をする。

 今、三浦さんが口にしたものがそれだ。

 そしてヤロリアンたちは、その挨拶に対して決まった言葉を返す。


「こ……こんのじゃー!」


 私の言葉を聞いて、三浦さんはニッコリと笑った。

 周りにいるクラスメイトたちは何が何だか分からないだろう。

 ヤロリアンたちだけに伝わる言葉だ。

 その言葉を交わして、私は三浦さんは仲間なんだと思えた。

 怯える必要なんてどこにもないのだ。


「私、野地ヤロリのことが好きなのっ。でも、みんなが私に抱くイメージを壊しちゃう気がして……勇気が出せなくて」

「一緒だね」

「えっ?」

「相本さんが、私たちと話したそうにしていることには気づいてた。でも、畏れ多いというか、何でお前なんかが相本さんと話すんだって怒られたら嫌だなって思って、私も勇気が出せなかったんだ」


 三浦さんが照れたように髪の毛を手でいじりながら、はにかんでいる。

 彼女はおとなしい子だ。

 今まで大きな声を出したところを見たことがなかった。

 でも私のために、同じヤロリアンなのだと示すために、オタクじゃないクラスメイトに囲まれた中で、大声を出してくれた。

 きっと大きな勇気が必要だったことだろう。

 彼女は尊敬できる人だ。

 ヤロリアン仲間だ。

 ソウルフレンドだ。

 もう恐怖はなかった。


「私、一緒に野地ヤロリのことを語り合いたい!」


 三浦さんの手をとる。

 彼女は「わわっ」と目を丸くしていた。




    ◆




 オタクグループの4人とVtuberについて語った。

 私の知識は野地ヤロリに偏っているけど、他のVtuberのことを全く知らない訳でもない。ヤロリの配信の中で話題に出ることもあるため、有名どころは大体把握している。


 彼らのそれぞれの推しの話を聞くのは楽しかった。

 ちなみに三浦さんの推しはヤロリらしい。

 うん。

 やはり三浦さんは私のソウルフレンドだ。


 そして私も彼らに推しの話を、ヤロリの話をした。

 私がどれだけヤロリが好きなのか。

 今まで溜まっていたうっ憤をはらそうと、たくさんたくさん語った。


 彼らは最初は微笑ましそうにうんうんと頷いていた。

 でも私がヤロリへの想いを語れば語るほど、「うわぁー、こいつヤバいやつだ」とでも言いたげな乾いた笑みを浮かべるようになった。

 何かおかしなことでも言っただろうか?

 当たり前のことしか言っていないはずだけど。


「相本さん……業が深いね」

「そう? 別に普通だと思う」

「あ、あはは。でも、そこまで一人のことを強く想えるって凄く羨ましいな」

「三浦さんもヤロリが好きなんでしょ?」

「私なんて相本さんに比べたらニワカっていうか、浅いっていうか……しょぼくてごめんなさい」

「しょぼくなんかないよっ!」


 三浦さんの手を握る。


「三浦さんは凄い人だから!」

「え、えぇ……過大評価されている気がする」

「過大評価じゃない!」


 私は三浦さんに、どれだけ三浦さんが凄いのかを教えてあげた。

 徐々に彼女は顔を真っ赤にする。

 やがてトマトみたいになった彼女は、私の言葉を遮るように「わーわー!」と叫びながら、私の口を手で抑えた。

 むぅ。

 もっと喋りたいのに……。




    ◆




 教室で野地ヤロリが好きだと公言した後、リカコが何でもないことのように言った。


「イコもVtuber好きだったんだ」

「……も?」

「私もVtuberの配信見てるよ」

「えっ、えぇっ!?」

「彼氏の影響で見始めたんだけど結構ハマっちゃって」


 リカコはサバサバ系ギャルだ。

 Vtuberとは縁がなさそうに見える。


「何でもっと早く教えてくれなかったの!?」


 そしたらもっとスムーズに、三浦さんたちと話せたかもしれないのに。


「別に聞かれなかったし、イコがVtuberのこと好きだって知らなかったし。それに、私のイメージじゃないし」

「あっ……」


 リカコも私と同じなんだ。

 Vtuberが好きだって言うことが、まるでいけないことのように、隠さなきゃいけないことのように思えてしまったのだろう。


「つっても、そんなに詳しい訳じゃないけどね。【夢現】の子しか知らないし」


 Vtuber界のトップである【夢現】に所属している子たちの配信は、確かに面白い。彼らの配信を追うのも楽しいことだろう。

 でも――この世界には、野地ヤロリという素晴らしいVtuberがいる。


「野地ヤロリのことは知ってる?」

「実は知らないんだよねぇ」

「むっ、それは勿体ない。野地ヤロリを知らないなんて人生損してるよ! 私が教えてあげる!!」

「ぉ、ぉお? 圧が強いって」


 リカコがヤロリの配信を見ると約束するまで、私は彼女に迫り続けるのだった。

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