第6話 旧都アグレス

 そわそわ。

 勝手に身体が揺れる。


 ――ピンポーン。


 インターフォンの音が鳴る。

 急いで玄関まで走って扉を開ける。

 宅配業者のお兄さんだ。


「ありがとうっ!」


 彼が運んできた荷物を受け取る。

 自然と笑みがこぼれてしまう。

 やっと届いたと喜びを噛みしめながら自分の部屋に戻り――


「……あっ」


 我に返る。

 あー、やってしまった。

 私は普段、宅配業者に対応するとき、なるべく目立たない恰好をするようにしている。

 全く知らない相手に――しかも家を把握されている相手に、惚れられたら困る。

 私の可愛さは罪だ。

 普通の心優しき青年を性犯罪者に変えてしまう。

 だからいつもは気を付けていたのだけれど、今日は逸る気持ちが抑えきれず、普通に、というか全力で喜びながら対応してしまった。

 美少女は感情がなくても美少女だ。

 でも喜ぶ美少女は、もっと美少女だ。

 さっきのお兄さんは間違いなく私に惚れただろう。


 もしかしたら夜中に忍び込んで、私を犯そうとするかもしれない。

 ベッドで寝ていた私は、お兄さんが私の上に馬乗りになったときに目を覚ますのだ。

 慌てて逃げようとするけれど、重たい荷物を運んで鍛えた筋肉で無理やり私の身体は押さえつけられる。

 そしてお兄さんは嫌がる私を犯すのだ。

 まるでダッチワイフを扱うかのように、乱暴に性欲をぶつけるのだろう。


「あぁ……」


 気持ちわるっ。

 可愛いヤロリならともかく、その辺の男に私の身体を好き勝手させてたまるものか。


「まぁ……大丈夫かな」


 悪い人ではなさそうだったし、もし凶行に走られたとしても防犯対策は万全だ。

 過ぎたことを気にしても仕方がない。

 大事なのは今!


「るんるん♪」


 鼻歌を口ずさみながら、届いた荷物の包装を外していく。

 そして中身を取り出した。


「ふぉぉぉぉぉ!!」


 野地ヤロリのグッズの一つ、ヤロリ人形だ。

 Vtuber野地ヤロリは個人系Vtuberだ。

 企業系のVtuberのように積極的にグッズ展開をしている訳ではない。この人形も既に販売停止しており、ネットのフリマサイトで注文した。

 他人の手垢がついているのは残念だけど背に腹は代えられない。


 ヤロリ人形にほおずりする。

 可愛いなぁ。

 いつものヤロリも可愛いけど、こんな風にデフォルメされたヤロリも可愛い。


 ヤロリの目は横長だ。

 可愛さとセクシーさの両立した、素敵なおめめをしている。

 でもこの人形はデフォルメされていて、黒いボタンみたいにまん丸した目だ。これはこれで可愛い。


「はぁ~可愛い」


 人形にデコピンする。

 ヤロリの「あぅ」と痛がる声が脳内で再生された。


「んふっ」


 人形の首元をギュッと手で絞める。

 綿がよって顔と胴体がパンパンに膨れた。

 ヤロリの苦しむ声が聞こえてくる。

 人形の顔も、心なしか苦痛で歪んでいるように見えた。


「ヤロリは可愛いなぁ」


 可愛い子は虐められるべき。

 その気持ちがよーく分かる。

 十分にヤロ虐を堪能した後、首から手を離した。


「あぁ! ヤロリが変になっちゃった!」


 どうしよう。

 変に綿がよって不細工になってしまった。

 これじゃあ可愛くない。

 慌てながら、手できゅっきゅっと綿を寄せて元に戻す。


「ふぅ、なんとか戻った」


 机の上に飾ったヤロリ人形を見ながら――


「これからよろしくね、ヤロリ」




    ◆




 まだ見ていない過去の動画を漁ったり、気に入った動画を何度も見直したり、ライブ配信をリアルタイムで視聴したり。

 どこからどう見ても立派なヤロリアンだ。

 でも真のヤロリアンと主張するためには、まだやってないことがある。


 それは――コメントの投稿だ。


 私はまだヤロリに対して何もアプローチしていない。

 ヤロリの配信動画やSNSの投稿をチェックするだけ。

 全て受動的。

 このままじゃダメだ。


「『初めまして、旧都アグレスと言います。いつも見てます。』……っと」


 ヤロリはライブ配信中だ。

 後はエンターボタンを押すだけで、私のコメントがヤロリに届く。

 ドキドキ。

 本当に投稿しても良いんだろうか。

 心臓がバクついている。

 今まで生きてきた中で一番緊張しているかもしれない。


「女は度胸! えいっ」


 目を閉じて、祈るようにエンターボタンを押した。

 モニター画面に私のコメントが表示される。

 うわぁ。

 本当にコメントしちゃった。


「よろしくなのじゃ、旧都アグレスよ!」

「ほぁ、ほぁぁぁ……」


 ヤロリがコメントに反応してくれた!

 私の想いがヤロリに通じた!

 気恥ずかしくはあったけど、それ以上に喜びが勝っていた。


 でも――その喜びは、怒りに変わる。


「なんで!?」


 ヤロリが私のコメントに反応してくれたのは、その最初の一回だけだった。

 後は他のつまらないコメントばかり拾って、私のコメントには一切触れない。


 ヤロリは私の名前すら覚えていないだろう。

 有象無象のヤロリアンの一人にすぎない。

 もっと触れてほしい。

 ヤロリはもっと私を意識すべきだ。


「色つきのコメントばかり読まれてる」


 こいつらはなんだ。

 どうして他のコメントと区別されているのか。

 調べればすぐに分かった。

 スパチャという制度らしい。

 お金を払うことでコメントに色がつくようだ。


「ふふ、ふふふ……」


 こういうことは私の得意分野だ。

 私は一切の躊躇なく、お金を投入した。

 そして――見事にヤロリが反応してくれた。


 やった!

 これで私はヤロリの特別になれる!




    ◆




 何度もスパチャをした。

 ヤロリは私のコメントを読んでくれた。


 でも……違う!

 こんなんじゃ足りない。

 ヤロリが読み上げてくれても、全然特別じゃない。

 他のスパチャ勢と同じ扱いだ。


 私のコメントはとても価値のあるものばかりだ。

 ヤロリ可愛いねとか、ヤロリ愛してると伝えることは当然のこととして、他にも色々コメントしている。

 ゲームの実況配信ではネタバレにならないように配慮して、直接的な表現を避けながらアドバイスしてあげた。

 他のVtuberの話題になったときに、ヤロリが謙遜して他のVtuberを持ち上げたときは、他のVtuberの短所とヤロリの長所を伝えることでヤロリこそが一番だと思い出させてあげた。

 突然配信の予定が変わったら、心配して事情を確認してあげた。

 配信の進行に失敗してグダグダになってしまったときは、こうすればもっと上手にできると教えてあげた。


 私ほど優良なヤロリアンはいないだろう。

 でも、ヤロリは私を他のヤロリアンどもと同列に扱う。

 私は特別だ。

 世界で一番可愛い女の子だ。

 それなのに世界で2番目に可愛い女の子のヤロリが、私を特別視しないなんてあり得ない。

 スパチャには上限金額が定められている。大体一週間に20万円程度が上限だ。その上限さえなければ、コメント欄を私の赤色で真っ赤に染め上げられるのに……。


 酷いときは私のスパチャを見落とすことすらある。

 そんなときは何度もコメントで主張しなければ気づいてもらえない。

 どうして――


「ん?」


 暗くなった画面に反射している私の顔が映る。

 相変わらず美少女だ……じゃなくて!

 そうだ!

 ヤロリは私の容姿を知らない。

 ヤロリにとって、今の私は姿かたちの分からない旧都アグレスというアカウントでしかない。

 だから私を特別に思えなくても仕方がない。


 きっとヤロリも直接私と会えば、すぐに惚れる。超絶美少女・相本イコにゾッコンになるはずだ。


「ふふ」


 一位と二位の共演だ。

 何をしようか。

 いきなりキスをしてもいい。

 私という極上の美少女によるキスだ。

 きっと恥ずかしがる(可愛い)だろうけど受け入れてくれる。

 羞恥に悶えるヤロリの姿を想像するだけで興奮してしまう。


「あぁ、ヤロリぃ」


 待ってて。

 必ず会いに行くから。




    ◆




 私はヤロリの住む場所の調査を始めた。

 執念とお金に物を言わせて、ヤロリの居場所を特定した……してしまった。

 その結果、衝撃の事実が判明する。

 野地ヤロリの中の人は――太ったおっさんだった!


「うわぁぁぁぁ!」


 頭を抱えて机に額を打ちつける。

 普段なら芸術品たる私の顔を傷つけることなんてしない。でも、それをしてしまうぐらいショックだった。


 そしてショックのあまり――私はヤロリ断ちをしていた。


「ヤロリ……ヤロリ……ヤロリ……」


 油断をすればヤロリの姿が脳内に浮かんでくる。

 脳内ヤロリに紐づいて、脳内おっさんが現れる。


「あぁぁぁぁぁ!」


 机に額を打ちつけた。

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