第17話 美少女足クサ理論

 イコは矢井田の部屋を完全に自分の部屋のように扱い始めている。

 逆に矢井田はイコの部屋に入ったことすらない。

 2人の部屋の間取りはどちらも2LDKだ。

 だが矢井田の住むスペースは全く拡張していないのに、イコの住むスペースだけ拡張されている。

 言うなれば矢井田は2LDK、イコは4LDDKKだ。

 こんな理不尽が許されていいのだろうか。

 そして今――また一つのスペースが彼女のものになってしまった。


 チラっ。

 時折そのスペースに意識が向いてしまう。

 テレビに集中しようとしたけど、油断をするとチラチラ見てしまう。


「くそッ」


 首を左右に振る。

 何も考えるな。


「大したことじゃないんだ」


 別に普通のことだ。

 ご飯を食べる、歯を磨く、手を洗う。

 そんな当たり前の行為の延長上にある行為でしかない。


 お風呂に入るのは――当たり前の行為だ。


 矢井田だって毎日入っている。

 イコだって毎日入っているだろう。

 でも今日、そのお風呂は特別なものになっていた。

 イコが初めて矢井田の部屋のお風呂に入っているのだ。


 浴室の扉の向こうには、生まれたままの姿になったイコがいる。

 どうしても妄想してしまう。

 彼女の美貌は極まっている。

 誰もが見惚れる完成された美。

 それは単に顔だけの話ではなく、彼女の身体もまた美しい。服を着ている状態でも、出るところは出ていて、引っ込むところは引っ込んでいることが分かる。ミニスカートで露出された足を見ていれば、その肌が絹のように滑らかな肌であることが分かる。

 きっと彼女の裸は、完ぺきな彫刻像のような芸術的な作品に違いない。


 お金を払ってその芸術を見られるのなら借金してでも払う。きっと彼女の裸にはそれだけの価値がある。


 でも――矢井田はイコの裸を見ることはできない。

 いや、見てはいけない。

 無理やりにでも浴室の扉を開けたら見られてしまう。

 でもそうしてしまえば、彼女との間にある信頼関係は崩壊する。


 イコには危機感が薄いところがあるとはいえ、こうして矢井田の部屋の風呂に入るようになったのは、矢井田が危険な存在じゃないと確信できたからだと思う。

 ただ手を出す勇気がないだけとも言うだろうが。

 バカなことをしてしまえば最後、イコは完全に矢井田を見限ってしまうだろう。


 なんだかんだで彼女との日常を楽しみにしている自分がいる。

 どれだけ裸を見たくとも、この関係を壊す危険は冒せない。

 悶々としていると浴室からイコが出てきた。


「お先~」


 いちご柄のパジャマを着て出てきた。

 こどもっぽく見えてもおかしくないパジャマだ。

 でも顔が火照ってとろんとしていたり、薄手の生地で身体のシルエットが浮かんでいたりすることで、その柄が大人用の淫靡なもののように錯覚させる。


「ふ~ん?」


 ソファーに座っていた矢井田の隣に、イコが座る。

 横から見上げるようにして尋ねた。


「お風呂上りの私に見惚れちゃった?」


 シャンプーやボディソープの匂いがふわっと香る。

 矢井田が普段から使っているものだ。

 でも、彼女から香る匂いは特別に思えた。


 イコ自身の匂いが混ざっているのかもしれない。

 その結果、男を惑わす匂いになっていた。


「どうしたの? ボーっとして」

「いや……いい匂いだなって思って」

「そりゃあ私はスーパー美少女・イコちゃんだからね」


 イコが突然、ソファーの上に足を乗せながら身体の向きを横に変える。

 身体ごと矢井田の方を向けた後、膝を曲げるようにして、右足を顔の前に突き出した。


「足の匂いも嗅いでみて」


(女子高生の素足の匂い……)


 おそるおそる匂いを嗅いでみる。


「スーパー美少女・イコちゃんは足の匂いもフローラルなんだぜっ」

「確かに」

「でしょー? まぁお風呂上りだから当然なんだけどね。でもさ、学校から帰ってきた後とか、私の足が臭かったらどう思う?」


 別にどうとも思わない。

 どれだけ彼女が美少女であろうとも、汗で蒸れた臭いはするはずだ。


「美少女の足が臭いなんて解釈違いだ! って人もいるかもしれない。でもさぁ……もっと興奮する人もいるでしょ?」


 実際に彼女の臭い足を嗅いだことがないから分からない。

 でも一日中靴を履いて臭くなった足の臭いを嗅がれて、嫌がっているイコの姿を想像すると、それは心にクるものがあった。


「やっぱりヤイダも興奮するんだ? 実は私もそうなの。最近知ったんだけどね」


 何も言っていないのに、勝手に足の臭いを嗅いで興奮する人扱いされていた。


「ヤイダは足が臭いのと同じなんだよ」

「ん?」

「だからねー、ヤイダは美少女のくっさい足の臭いってこと」

「確かに俺は太ったおっさんだけど、別にそこまで臭くないはずだぞ。平均レベルだ」

「じゃぁヤイダの足、嗅がせて」

「は? 嫌に決まってるだろ」


 スーパーに買い物に行ったりして外出して靴を履いていたから多少の臭いはあるはずだ。

 好き好んで人に嗅がせたくはない。

 イコは拒否を受け入れなかった。

 ソファーの下に降りて、無理やり靴下を脱がそうとする。


「や、やめろって」

「私の足を嗅いだからおあいこでしょ」

「俺はまだ風呂に入ってないし、そもそもお前から嗅がせてきて――あっ」


 靴下を奪い取られて、裸足が露わになる。

 彼女は一切の躊躇なく、少し汗で湿っている足を両手で掴んだ。

 その手の温度は矢井田の足の温度よりも低く、ひんやりと冷たくて気持ちいい。


「お、おい」


 イコがひざまづくようにして足に顔を近づける。


「うわー、ヤイダの臭いがする」


(どんな臭いだ)


 これ以上辱めを受けてたまるかと足を引っ張ろうとするが、意外に強い力で足を掴まれていて逃げられない。

 イコはまるで犬みたいにスンスンスンと鼻をならして足を嗅いでいる。


 おっさんが美少女な女子高生に自分の足の臭いを嗅がせている。

 その絵面は非常に倒錯的だ。

 イコもそのことに気がついたらしく、


「ねぇ、今の私ってヤバくない? ヤバいよね?」


 俺の返事も待たず、堰が切れたように言葉を紡ぐ。


「私は超絶美少女で世界で一番可愛い。外を歩けば男たちは私に目を奪われる。私は可愛い。誰よりも可愛い。なのにそんな私をひざまずかせて、くっさいおっさんの足の臭いをかがせるなんて――」


 無理やりやらせたみたいな言い方は止めてほしい。

 こっちは完全に被害者だ。


「尊厳ぐちゃぐちゃだ」


(な、なんだ……?)


 明らかに様子がおかしい。

 単に足が臭くて気分が悪くなっている感じではない。

 むしろ、逆だ。

 イコは――興奮している。

 その顔も、風呂上りに見たときよりも更に火照っている。

 呼吸も荒くなっていて、はぁ、はぁと彼女の吐息が素足にかかってくすぐったい。


「あぁ~、くさい。くっさいなぁ」


 そう言いながらも離れる気配はなかった。

 足に鼻の頭をくっつけながら、深呼吸でもするかのように深く、鼻から息を吸い込んでいる。

 その嗅ぐ仕草や四つん這いになった姿が、発情した犬を連想させる。


「可愛い私が穢されちゃう。おっさんのくっさいくっさい臭いで犯されちゃう」


 いけない奉仕でもさせているかのようだった。

 妖しげな淫婦が男のイチモツを咥えるときのように、イコは艶っぽい表情を浮かべながら――パクっと足の指咥えた。


「~~ッ!?」


 これ以上、足が臭いと言われないために。

 おかしな雰囲気になったイコから距離をとるために。

 我慢に限界が来てイコに乱暴なことをしてしまわないために。

 強引にイコを振り払って、浴室へと逃げ込んだ。


 風呂に入って自分の性欲を鎮めた後、恐る恐る部屋に戻ると、怪しげな雰囲気は消え去っており、いつものイコに戻っていた。

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