第14話 氾濫を阻止せよ


 僕は姿勢を正して、こう尋ねた。


「川流れ事件が起きる時間帯は分かりますか?」

「そうじゃのう。決まってないようで、決まっとるな」

「どういうことでしょうか」

「えーとな」


 禰々子さんは机の上で水掻きをぺたぺたと動かした。


「もっと前は事件の数は少なかったんじゃが、最近は妙に多くてのう。だいたい、五日空けて二日じゃ」

「……ああ、二日連続で事件が起きて、五日間は何も無い日が続くんですね?」

「そうじゃ!」

「時間帯は決まっていますか?」

「いんや。日が昇っておる時も、沈んでおる時も、どっちもある。じゃが、一日目には午後が、二日目には午前が多いのう」

「へえ……」


 僕は山吹先輩の方を見た。


「土日休みの人間みたいなサイクルですね。しかも近隣の人ではなさそうです。まるで泊まり込みで嫌がらせをしているかのような感じがします」

「そうだな。土曜の朝に来て、日曜の夕方に帰ってるっぽいな。遠くからわざわざ禰々子に喧嘩売りに来てんのか? 暇な奴だ」

「人間とな?」


 禰々子は少し声を低めた。僕はびくっとして身を引いた。


「なるほど。人間とは、ワシの古くからの住まいを、強引に捻じ曲げたほどの奴らじゃ。あの時も意趣返しにしばしば水害をもたらしてやったものだが、……」

「待った待った、禰々子待った。私らも人間だから。人間のことなら人間に任せなさい」

「……。そうか」


 不吉な怒りのオーラを隠すこともなく、剣呑な顔つきで立ち上がりかけていた禰々子は、落ち着いてまた腰を下ろした。


「あ、危ねえ……」

 山吹先輩は荒い息をつきながら、背もたれに背を預けた。僕もほっとして息をついた。ちょっと今回のあやかしは強者すぎる。いつもより慎重に取り組まないと、取り返しのつかない事態になりそうだ。


「室井くん、容疑者を特定できる?」

「んんん、行動パターンだけだとちょっと……難しいようですね」

 僕は目を瞑ってみたが、ぼやぼやとした光が像を結んだり砕けたりで、これといったものは見えない。

「二連休を使って、荒川の河口付近に、毎週現れる奴だぞ」

「はい、それで探してるんですが……駄目ですね」

「そうか……」

「先輩こそ、荒川の河口付近に管狐を派遣できないんですか?」

「何だって? 空気を吸うだけで気を失うような得体の知れない場所に、クウちゃんたちを? そんな可哀想な真似、できるわけないだろう。千里眼こそ、危険を冒さずに情報を得られる唯一の手段なのに」

「うう、じゃあ僕が土日を潰して観察を……いえ無理です、土曜日はバイトがあります」

「今すぐ休みをもらって来い。関東地方の危機とバイトと、どっちが大事なんだ」

「関東地方全域が潰れるとバイトもなくなりますね……。分かりましたよ」


 僕はスマホで、バイト先の塾に電話をかけた。


「すみません、室井です。あの、今週の土曜に、お休みをいただきたく……お電話を」

「ふうん、そう。じゃあその日の分の授業、誰がやるの?」

「……ええーっとぉ……」

「その日、うちは三人しか人手が無いんだけど。知ってるよね? 室井くんがいない間、生徒たちはどうすればいいの?」

「……そっ、それはですね……」


 言葉に詰まった僕の手から、山吹先輩が強引にスマホをむしり取った。


「あっ、山吹先輩」

「うるっせえな、シフト調整もお前の仕事の内だろうが!」

「山吹先輩、おやめください」

「誰が授業をやるか考えるのは室井くんの仕事じゃねえだろうが。それとも何か? アルバイト一人抜けたくらいで職場が回らなくなるのか? だったらそれは、そんな風にギッチギチのシフトを組んだお前の責任だ! お前の不手際の責任はお前が取りやがれ。室井くんの知ったこっちゃねえんだよ!」

「先輩、まじでやめて、まじで」

「とにかく室井くんは、次の土曜日に休む。こっちはのっぴきならないことになってんだよ。後始末はてめえでしな!」


 山吹先輩はポンと通話を切ると僕にスマホを返した。僕はすっかりおののいて、山吹先輩を見上げた。


「僕、首になっちゃいます……」

「その時は私のバイト先を紹介してやろう。室井くんのところと違って、ホワイトで良い職場だぞ」

「山吹先輩ってバイトしてたんですか」

「おう。病院で事務やってる」

「へえ……」

「そんなことより、室井くんは土日を潰して見張りをしてくれるってことで良いな?」

「は、はい」


 僕は頷いた。


「おかげさまで、もう、そうするしかなくなっちゃったんで……」

「そうだろう。感謝してくれても良いんだぞ」

「ははっ……。で、では、禰々子さんのおっしゃっていた通り、土曜日には午後を、日曜日には午前を狙って見てみますね」

「日曜日とは何じゃったかな? ワシは知らんぞ」

「ええと……川流れ事件が起きそうなのは、明明後日しあさっての午後でよろしいですか?」

「うむ、その通りじゃ」

「よ、良かった」


 そうでなければ僕の献身が無駄になるところだった。


「ワシも手伝ってやろうと言いたいところじゃが、ちと厳しいな」

「禰々子さんは、荒川に近付かずに待っていてくださいね」

「そうじゃな。相手が何か分からぬ以上、迂闊に大将首を取らせる訳にはいかぬな。下手すれば利根川が大氾濫ぞ」

「で、では、月曜日に……じゃなくて、ええと、五日後にここにいらしてください」

「うむ、良いじゃろう」


 禰々子は満足げな顔をして、ふっと影となって消えた。


「いやー、助かるなあ、室井くん!」

「……犯人が見つかったら、山吹先輩もちゃんと協力してくださいよ」

「もちろんだとも。後のことは私に任せなさい。室井くんが頑張る分、私もきっちりと仕事をしてみせよう」


 そんなわけで、僕は本気で頑張らざるを得なくなった。


 ***


 月曜日、僕が部室を訪れると、そこには既に山吹先輩も禰々子さんもいて、僕のことを待っていた。

「お待たせしました」

「おう、こっち来い」

「律子からはまだ少ししか聞き出せておらぬ。早くお主から話を聞きたい」

「はい」

 僕はかばんを下ろして、禰々子さんの隣に座った。


「先日、僕は、河童が気を失うところと、そこにいたあやかしと、そのあやかしと契約しているらしき人間を、この千里眼で確認しました」

「どんな奴らじゃ」

「人間の方は三、四十代の男性だと分かりました。あやかしの方はどうも言葉にしづらくて……それで、絵を描いて画像を先輩にお送りしたのですが」

「……ブフッ」


 山吹先輩はこらえきれずに吹き出した。


「あーあ、千里眼の持ち腐れだな、室井くん! 肝心の絵が下手とは!」

「そんなに下手だったでしょうか……」

「ああ、こんなに面白いものは久々に見た。禰々子と二人で画像を見てあれこれ言っていたんだがね。これは胴体が無茶苦茶に捻くれている髭のついた豚なのか、それとも三本の串を刺された巨大な団子の幽霊とその子分なのか、という風に意見が分かれてね」

「そんなに妙ちくりんなもの、描いてないですよ」

「じゃあこれは一体何かね? 説明したまえ」

「あのですね、まず、凄く怖い顔をしてたんです。頭には牛みたいな角があって、顔も牛そっくりなんですが、口の中には草食動物らしからぬ鋭い牙が生えていました。何よりこちらの胴体からですね、六本の長い爪が、蜘蛛のような格好で生えていたんですよ!」

「あ、これ、胴体? そんでもってこれが爪? あはは、そういうことか! 禰々子、これはどうやら髭ではなく爪らしいぞ!」

「おかしいな。てっきり、髭の生えた豚が後ろを向いているのかと、思ったんじゃが」

「そんなに……?」


 僕はしょげ返った。


「まあそう悲観するな、室井くん。人間には得意不得意というものがある。苦手なことの一つくらいあった方が人間味があって好ましいし、人生を面白く生きていけると思うぞ。完璧な人間ほどつまらんものはないからな」

「面白がってばかりいないで、このあやかしが何なのか、考えてくださいよ」

「うん……うん、室井くんの説明で当たりはついた。多分、牛鬼ぎゅうきだ、牛鬼。意外と大物だったが、予想の範囲内だよ」

「牛鬼?」

 僕と禰々子さんが首を傾げる。


「去年の学園祭での展示が役に立つ時が来たな!」

 山吹先輩は椅子から立ち上がると、棚を漁り始めた。部室の棚は、僕が羽団扇で定期的に埃を払うので清潔ではあるが、整理整頓はされていない。山吹先輩は靴を脱いでパイプ椅子の上に立ち、棚の上部で何かガサガサやっている。

「あれ? この辺にあったと思うんだがな」

「その一段下のファイルじゃないですか?」

「うん? どれどれ……ああ、これだ。ありがとう室井くん」


 山吹先輩は椅子を降りて、僕たちの机まで戻ってきた。ファイルから、折り畳まれた模造紙を引っ張り出して、机に広げる。


「去年の学園祭では、鬼に関連した言い伝えなどを展示したんだ。隅っこの方に牛鬼もあったはず……。ああ、これだ」


 山吹先輩は右端の一記事を指差した。


「牛鬼という奴の特徴は、こんな感じだ」

「へえ……」

「律子、ワシは字なぞ読めんぞ。この記事にも絵があれば良いのじゃが」

「おお、そうか。それなら私がざっと解説しよう。牛鬼とは、浜などの水辺に現れる、頭が牛で体が鬼、もしくはその逆──頭が鬼で体が牛の姿をしたあやかしだ」

「ほほう……確かに、事件は海の近くで起きておるし、室井の言う特徴とも一致するな」

「更に、禰々子の聞き取った証言とも一致する。この牛鬼の武器の一つは、毒の息だ」

「何と……! では、ワシの子分たちが息継ぎのために自ら顔を出したところに、この牛鬼という奴が息を吹きかけた、ということじゃな?」

「僕が事件を目撃した時も、そんな感じでした。六本の爪で素早く河童のところに移動して、はあーって息を吹きかけてました」

「じゃあもう十中八九、正体は牛鬼だな」


 山吹先輩は頷いた。


「牛鬼を警戒しつつ、人間をどうにかしよう。犯行はどうも人間のおっさんが指示しているようだから、おっさんを説得して、河童を襲うのをやめさせようじゃないか」


 すると何故か、禰々子さんは不満そうな顔になった。


「それだけか? ワシの子分たちを襲った憎き人間には、死をもってその罪を償わせるべきではないか? 人間一人など、ワシの力で、いかようにも殺してやれるが」


「ひええ……」

 僕は禰々子さんの隣で身を縮ませた。

「禰々子」

 山吹先輩は真剣な顔で禰々子さんを見た。

「子分が襲われて悔しいのは分かるが、人間のおっさんを殺すのはよしてくれ」

「何故じゃ」

「それは、禰々子が協力をあおいだ私たち二人もまた、人間だからだ。今回の件で禰々子が人間に害をなすようなら、私たちはとてもじゃないが禰々子に協力はできない。同胞を死なせたくないという気持ちは、禰々子にも分かるだろ?」

「……そうか」


 禰々子さんは少し俯いた。


「一理あるな。分かった。今回だけは見逃してやろう」

「ありがとう」


 山吹先輩は微笑んだ。


「さてさて、では次の土日までに準備を整えよう」

「何をするんですか?」

「毒の息対策! 通販サイトで防毒マスクを二つ用意する。私の分と、室井くんの分。……これって着けてても喋れるのかな」

「ワシは?」

「禰々子は息を止められるじゃないか。実際、どれくらい止めていられるんだ?」

「丸一日は平気じゃ!」

「ほらな。あと問題なのは、牛鬼が毒の息の他にも、怪力やら何やら色んな力を持っている件だが……これは恐らく大丈夫だろう」

「何故ですか?」

「多分、犯人は牛鬼にそこまで命令できない。だから事態は河童の川流れで済んでいるんだ。殺意があるなら、もっと色んなやり方があるだろうに、それをやってないってことは、できないと見做すのが妥当だ」


 山吹先輩はスマホを見たまま俯いている。


「……それにしても。一年前から始まった事件、か……」

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