第21話 充実した大学生活
僕は一人で、大混雑している大学のメインストリートを歩いた。ひとまずお昼がまだだったので、焼きそばを売っているサークルの屋台に行って、一パック購入した。その隣に芋餅を売っている屋台があったので、それも二つ買った。
座れる場所を探して目を瞑る。さっきのスコールで、地面はどこもしっかりと湿っていたので、その辺の縁石に座るというわけにはいかなさそうだ。だがメインストリートの隣の道には、椅子と机があって、テントの屋根もついている。人は多そうだが、あそこなら一人くらい座れそうだ。
念のため、吉村さんが周囲にいないかを確認してから、僕は目的の場所まで向かった。
数名の学生の団体が談笑しているテーブルの隅っこの一席に、お邪魔させてもらう。
「すみません、ここ使ってよろしいですか」
「ああ、どうぞ……って、何だ、室井じゃないか」
「え? あ……」
僕はその学生の顔をよく見て、はたと思い出した。
彼は共通教養の講義のグループ活動で同じグループに入っていた人だった。確か名前は……。
「滝田くん……」
「室井、一人か?」
「うん……」
「このあと暇?」
「しばらくは」
「そうか。というか、早く座りなよ」
「あ、ありがとう」
滝田くんが席を引いてくれたので、ありがたく僕はその椅子に座らせてもらった。
「誰?」
滝田くんは友人らしき二人の人にそう問われる。
「俺とクラスが一緒の人だよ。室井っていうんだ」
「ど、どうも……」
「よろしく、室井くん」
「よろ〜」
「ありがとう……よろしくお願いします」
僕はギクシャクしながら礼を言った。
「さっきはゲリラ豪雨が凄かったな!」
滝田くんは話し始めた。
「室井は降られなかった?」
「……僕はサークルの関係で教室にいたから……」
「へーっ。何サークルだっけ?」
「あの……あやかし研究会」
「あやかし?」
「で……伝説上の妖怪とかのことを……調べたりする……」
ふーん、と皆が思い思いに頷く。
「そういうの興味あるんだ」
「興味もあるけど……成り行きというか、先輩に誘われて」
「なるほどねえ」
割と普通に会話ができるじゃないか、と僕は思った。同じクラスの人とも、知らない人とも、問題なく話せている。
山吹先輩が背中を押してくれたお陰だ。
「室井それ、何食ってんの?」
「ん? ああ、これは、芋餅」
「へー、美味そう」
「美味しいよ。チーズも入ってて」
「どこで売ってんの?」
「焼きそばの隣……あっちの方」
「そっか。俺もそれ買おうかなあ」
僕が焼きそばと芋餅を食べ終わった辺りで、彼らは席を立った。
「そんじゃ、またな」
「うん、また」
僕は彼らの背中を見守った。瞬きをしてから、机の上に忽然と現れた小さな龍……蛟を見つめた。
吉村さんはまだ諦めていないらしい。蛟に僕を探させているのだ。
今僕は、知り合いと一緒に昼食を食べることができて、非常に気分が良い。宗教のお誘いなんかで水をさされたくない。
僕は立ち上がって、メインストリートの方に向かった。千里眼で見た通り、彼女はお好み焼き屋の屋台から数メートル離れた場所にいた。
「吉村さん」
僕は背後から声をかけた。
「はい!? あ、あれ、室井さん!?」
「学園祭が終わったら、僕と山吹先輩は、僕の能力について詳しく調べる約束をしているんです」
僕は言った。
「なのであなた方の手を借りる必要は無いです」
「でっ、でも……」
「それにあなたは、僕一人だけなら説得できるとお思いのようなので……僕も少し、意趣返しというのを、やってみることにします」
「え? それってどういう……」
僕は吉村さんに向かって真っ直ぐ手を差し伸べた。
「ヴィルーパークシャ。ナーガ」
僕が言うと、巨大な龍神が姿を現した。頭だけでも人一人ぱくりと飲み込めるくらいの大きさだ。龍神は吉村さんのことを咥えると、陰の世界へと姿を消した。そして、大学の外にまで移動し、吉村さんを吐き出した。龍神の仕事ぶりを千里眼で確認した僕は、くるりと踵を返した。そのまま、あやかし研究会の展示ブースまで向かう。
相変わらず客はいなかった。
「山吹先輩」
「おや? 室井くん。まだ遊んでいていいのに」
「大丈夫です。……僕、知り合いと一緒に昼食を食べることができたんです」
「おお! それは良かったな! 一歩前進じゃないか」
「はい。それと、吉村さんは大学から追い出しました。やっぱり、先輩の仰る通り、僕は眷属の力も借りることができるみたいで」
「へえ!」
山吹先輩は興味深そうに目を輝かせた。
「それはいいな。能力の使い道がかなり広がるんじゃないか?」
「はい。それで、龍神に出てきてもらって、吉村さんをポイッとしました」
「ポイッと。……んふふふふ」
山吹先輩は背中を震わせて笑った。
「それは見てみたかったな」
「龍神、ここに呼び出しましょうか?」
「いや、いいよ。畏れ多くも仏教の守護神を、軽々しい理由で呼び出すのは気が引けるからね」
「山吹先輩にも、遠慮ってものがあったんですね……」
「あるよ! 室井くんは私を何だと思っているんだ」
「傍若無人な方だと思っています」
「あっはっはっは。……それはひどくないか?」
「すみません」
「まあいい。ちょっとこっちに座りたまえ」
山吹先輩は席を立って僕に譲った。
「いえ、僕は立ったままで……」
「新しく椅子を持ってくるだけだ。いいから座ってな」
「あ……はい」
山吹先輩は教室から出て行き、どこからかパイプ椅子を持ってきて、僕の隣に置いた。
「私の都合に合わせて、室井くんのことを調べるのを後回しにしてしまったが、そういうことなら早く調べてやれば良かったな。そしたら吉村の奴をもっと痛い目に遭わせられたかも」
「追い出すだけで充分ですよ。龍神はかなり大きかったですし、牽制にもなったと思います」
「どのくらい大きかったんだ?」
「頭だけでこのくらい……」
僕は両腕を使って大きさを示した。
「それで、こういう風に、パクッと」
「あっはははは! そりゃおっかないな。さぞ見ものだったろう」
「はい。……山吹先輩が調べてくださったお陰です」
「まだまだ調査不足だがな」
「そんなことないです。今後が楽しみです」
「そうだね」
僕らはしばしの間、無言になった。
……山吹先輩の調べによると、僕が契約しているのは、やはりあやかしではなかった。
ヴィルーパークシャ。
日本では意訳として、
仏教の守護神である四天王の一角だ。その目でこの世のあらゆることを見通して、人々のことを見守っている。
かつて僕は確かに、五つの仏像のある所で、不思議な現象に巻き込まれた。その中心の一体ではなく、それを取り巻く四つの像の中でも、左後ろに鎮座するもの。それが広目天の像だった。
何故、広目天が僕と契約したのかは分からない。だから、これから山吹先輩と一緒に調べることになっている。
先程呼び出した龍神は、ナーガという蛇の神が、中国を経由して日本に伝わる際に龍神へと変じた姿である。広目天は、龍神たちや、
広目天だけではなく、その眷属もまた僕の力となる。思ったよりもスケールの大きな話になってきた。
「室井くん」
山吹先輩が声をかけてきた。
「正直、その力は私の手に余る。いくら河童の妙薬を飲んでいても、一人では対処しきれないこともあるだろう。だから……調査のために、もっと大きな組織の協力を仰ぐ気は無いか」
「大きな組織?」
「前に言っただろう。天陰の会はカルト宗教の絡んだ怪しい団体だが、東京には他にもちゃんとしたあやかし関連の組織が幾つかある、と。彼らならデータベースもネットワークも私より持っているし、室井くんの望むような、人のために力を使う術だって……」
「いえ、お断りします」
僕は山吹先輩の言葉を遮って言った。
「……何故かな?」
「だって、約束したじゃないですか。学園祭が終わったら、広目天について一緒に調べるって。僕、楽しみにしているんですよ」
「楽しみに……」
「大きな組織に頼るかどうかは、山吹先輩との調べ物が終わってから考えます。そんなことより僕は、あや研での活動の方が良いんです」
「……何故そこにこだわるのかな? たかがサークル活動じゃないか」
僕は言葉に詰まった。
確かに山吹先輩の言うことは正しいかも知れない。
でも僕は……。
「僕は……見ず知らずの他人に全部任せるのは嫌です。それよりも、よく知った人と調べる方が良い……」
「ふむ」
「それに楽しみを潰されるのも嫌です。僕は、ただ調べるんじゃなくて、山吹先輩と一緒に調べることを、楽しみにしてるんですから……。楽しい大学生活の一環として」
「ほう」
「大きな機関に頼るのはその後でもいいかと。……駄目ですか?」
「ふふん」
山吹先輩は足を組んでにやっと笑った。
「駄目じゃないよ?」
「……ありがとうございます」
僕はぺこっと頭を下げた。
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