第8章 千里眼のことと、友達の話
第22話 お呼ばれした
「さて、これで学園祭の後始末も無事終わったことだし……」
「いえ、展示物を部室に引き上げただけで、まだ全然片付いてないですよ」
「その辺は後回しだ」
「えええ……」
山吹先輩は、河童についての資料が散乱した部室のど真ん中で、仁王立ちをして手を腰に当てた。
「これから室井くんの契約した広目天に関する情報を集める! ひとまず私は図書館に行って、もう一度仏教関連の調べ物をしようと思う」
「はい」
「室井くんは実地調査だ。陰の世界を見て、本物の広目天を探すように。見つかったら場所を教えてくれ。そこに管狐たちを派遣して話を聞く」
「分かりました」
「それじゃあ私は行くよ。アデュー!」
山吹先輩は意気揚々と部室を出て行った。河童の妙薬を飲んでからというもの、山吹先輩は調べ物の度にやる気満々になっている。
僕は散らかった部室を見て嘆息したが、諦めて千里眼を使うことにした。
広目天様、と念じても、視界がぼやけるだけで特に何も起こらない。目の前にあるのはいつもと変わらぬ森の中の景色。やはり一筋縄では行かないか。千里眼の力自体は簡単に引き出せるのに、その能力の持ち主は一向に見つからない。
僕は森の中の景色からどんどんズームアウトした。こうして視野を広げれば、広目天様の気配を見つけられるかもしれない。
どんどん、どんどん、空高く遠ざかっていく。すると途中で景色がぐにゃりと歪んだ。
一瞬、屹立する巨大な岩山が見えた。不思議な輪っかがそれを取り囲んでいるように見える。そしてその山の左手に、強い気配が感じ取れた。
広目天様の気配だ、と僕は思った。そこで岩山の方に近寄ろうとしたが、その景色はすぐに掻き消えてしまった。目の前に広がるのは、遥か高みからの森や集落の景色だった。
「……? 何だったんだろう」
陰の世界のことは分からないことが多いと聞いていたが、空間がおかしくなったりもするのだろうか。それとも幻を見ていたのだろうか。
ともかく、広目天様の居場所は分かった。後はあの岩山を探せばいいみたいだ。
一度見たものなら在処を突き止められるはずである。僕は精神を統一して再度あの場所を見ようと試みた。
だが、何度やってもあの高い山は見えてこない。
「ん〜」
神仏の元に自ら赴くのは困難ということなのだろうか。
そもそも陰の世界の空間はどうなっているのだろう。全く違う場所が突然目に飛び込んでくるなんて、普通だったら考えられない。
だがとにかく、何度かやっているうちに、こつを掴み始めたように思う。岩山の様子を伺える頻度が上がってきた。だが近づこうとするとふっと消えてしまうので、なかなか広目天様を見に行くことができない。
もたもたしているうちに、山吹先輩がたくさんの本を持って部室に戻ってきた。
「ただいま、室井くん。進捗はどうかな?」
「えーと」
僕は言い淀んだ。
「広目天様が巨大な岩山にいらっしゃるということは分かっているのですが、その岩山がどうにも神出鬼没で、なかなか在処を突き止められないんです」
「ほう」
山吹先輩は目を細めた。
「巨大な岩山……? そこに広目天がいるって?」
「はい」
「それならその山は恐らく須弥山のことだな」
「シュミセン?」
「古代インド神話や仏教において、世界の中心にそびえるとされる山のことだ。解説は割愛するが、そこには神々が住んでいるはずだよ。……日本から見た須弥山は、中国やインドのそれとは異なる可能性が大きいが、まあ細かいことは今はいい。広目天も須弥山の西に住んでいるという話だから、まず間違いないだろう」
「……凄い。よく知ってますね」
「私の頭脳を舐めるなよ。こんなことを調べるのなんて朝飯前だ」
「そうですか……ありがとうございます」
僕は目を瞑ってみた。
「詳細が分かったら……見に行けるかもしれません」
「おう、頑張れ」
「はい」
僕はぐっと意識を集中させた。今度はうまく須弥山の様子が見えてきた。そこで、広目天様のおわす西の方に近づこうとして……急に、視界がガラリと変わった。
「ん?」
代わって現れた景色は、陰の世界を見るようになって以降よく見慣れた風景──森の中だ。そして、怒った顔をして、筆と巻物を持った神様が、こっちを見ている。
「あっ、あわわ」
「どうした、室井くん」
「あの……! ここにいらっしゃいました……! 広目天様が!」
「え? あっ、おい、室井くん、また体が透けてるぞ。大丈夫か?」
「へっ? あわっ……ウワーッ!!」
僕は首根っこを何かに掴まれて引き摺り出されるような感覚に見舞われた。
「室井くん!!」
それを最後に、山吹先輩の声は聞こえなくなった。そして僕を取り巻いているのは、紛れもなく、陰の世界にある森だった。
「あっ!? あれっ!? 僕、見てるだけじゃなくて……本当に陰の世界に居る……!?」
「その通りだ」
厳かな声がした。振り向くと、そこには広目天様が立っていた。今は怒った顔をしていない。穏やかな表情だ。
「あっ……こ、こ、こんにちは、広目天様……」
僕は合掌してお辞儀をした。広目天様は鷹揚に頷いた。
「うむ。こうして話すのは初めてだな。室井駿太」
「はい……」
「汝が須弥山に来るのは負担が大きかろうて。私の方から来させてもらったぞ」
「ありがとうございます」
僕はどうして良いか分からず、もう一度合掌して一礼した。
「そう畏まらずとも良い。私が勝手に汝と契約をしたのだからな」
「あの……どうして僕なんかの魂を召し上がりたいのですか?」
「ん? ……ああ、あやかしたちならば、魂を食らわせるのが契約の代償となるのだったな。案ずるな。私は仏教の守護神ぞ。死後、汝の魂は、私が
「解脱……。輪廻転生から離れて、極楽往生できるということですか」
「そう思っておいて構わぬ」
「それまた、どうして……」
広目天様は、森の中の岩場に腰を下ろした。
「覚えてはおらぬか。私が契約の際に告げた言葉を」
「言葉……」
僕は広目天様を見上げるようにして、土の上に正座した。
「確か、『鬼を祓いたいか』と……。それから、『ここで会ったのも何かの縁』というようなことを仰いましたね」
「そうだ」
広目天様はゆっくりと頷く。
「汝は稀に見る善良な人間だ。そのような人間には、悪鬼が取り憑きやすい」
「悪鬼が、僕に……?」
「私はたまたまあの時、汝のいる場所に訪れていてな。本来ならば善良であるはずの人間に悪鬼が取り憑いて、汝がありきたりな常人になっているのを見かけた。……このままでは面白くないし、悪鬼の好きにさせるのも癪なものだ。そこで、悪鬼を祓い、ついでに力を授けた。何、私の気まぐれよ」
「きっ……気まぐれで、千里眼をくださったのですか」
「左様。無論、汝が善良であるがゆえだがな」
「……ぼ、僕は、そんな御大層な人間ではないですけど……」
「何ぞ? この広目天の目に狂いがあるとでも申すのか?」
「い、いえ、滅相もないです。でも何だか実感が湧かなくて……」
「そうか」
広目天様はふっと笑った。
「では、善良な者にしか憑かない類の悪鬼を、汝らに見せよう。……汝をいつまでもここに留めていては、あの娘っ子が心配するであろうし」
「それは、どういう……」
「さらばだ、室井駿太よ。また会おう」
広目天様は手を一振りした。僕はふわっと風に押されて浮き上がるような心地がした。そして、瞬きをした時には、いつもの部室に戻ってきていた。
「あ……」
「室井くん!」
山吹先輩が飛び付かんばかりの勢いで僕の元にやってきた。
「急に室井くんの体が光って消えてしまったから、心配したよ! 陰の世界に行っていたのかい?」
「あ、はい、そうです。広目天様に呼ばれまして、お話ししてきました」
「そうか。……良かった、無事で」
山吹先輩ははあーっと大袈裟に息をついた。
「それで、室井くんと一緒に現れたそいつは何かな?」
「えっ?」
僕が後ろを振り返ると、そこには、全長三十センチほどの真っ黒な何かが背中を丸めて佇んでいた。手足があって二足歩行をしており、恐ろしげに顔を歪めている。眼光は鋭く、爪や牙も鋭かった。
「ああ、これ……ずっと前に、僕に憑いていた悪鬼だそうです。多分……そういうことなんじゃないかな」
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