第23話 自信を持って
「悪鬼ィ? 何だそれは。ちょっと見せろ」
「はい」
僕は一歩横に動いて、山吹先輩がよく悪鬼を見られるようにした。
「ふむ……」
山吹先輩はしゃがんで悪鬼の顔を覗き込んだ。
「……なるほど。こいつはもう広目天の眷属になっているらしい。ならば安全だ。もう悪さはしないだろう」
「過去を読んだのですか」
「そうだ」
山吹先輩は椅子に座った。
「この鬼は、室井くんが小学生くらいの時からずっと室井くんに憑いていた。その間は室井くんもあまり聖人君子とは言えなかったようだな。だが長谷寺に行った時にたまたま広目天に出会ったことで、この鬼は室井くんから引き剥がされた。鬼は広目天に諭されて仏教に帰依し、鬼から解放された室井くんは生来の善良な性質を取り戻した……といったところかな」
「よく分かりますね、そんなこと」
「まあな。もっと褒めてもいいぞ」
「凄いです。山吹先輩も、管狐たちも」
「室井くんは素直だなあ」
山吹先輩は苦笑した。その肩に三匹の管狐が登ってきて、嬉しそうに僕を見た。
「それにしても……」
僕は黒い鬼を見下ろした。
「こんなものが僕に憑いていたんですね。全然見えなかったです」
「よく知らないが、千里眼を持つようになる前ならば、室井くんはあやかしを視認できなかったのではないか?」
「ああ、言われてみれば確かに」
僕は合点が行った。
「それで……今は君は広目天様の眷属になっているんだね?」
キィッ、と鬼は鳴いた。
「そうしたら僕にも君の力が使えるはずだけど……君にはどんな力があるんだろう」
「キキィッ」
「ふむ。これは私の経験から来る憶測だが、せいぜい悪意を振り撒くとか、その程度だよ」
山吹先輩がまた鬼に目を留めながら言った。
「呪いたい奴にくっつけておけばちょっとした嫌がらせにはなるかもな」
「そうですか……それなら、あまり使い道は無さそうです」
「いや使い道はいくらでもあるがな。そこは室井くんの好きにすれば良いよ」
「はい」
山吹先輩は机に肘をついた。
「それで、広目天はどんなお方だったんだ?」
「んー」
僕は顎に手を当てた。
「仏像では怒った顔をしていますが、実際会ってみると穏やかな方でした。顔も性格も……。僕のことを気遣ってくれたりと、お優しかったです」
「へぇ……」
「あと、僕は死んだ後魂を食べられてしまうのではないそうです。何でも、広目天様のお導きで輪廻転生から解脱して、極楽浄土に行けるとか」
「何だそれ!」
山吹先輩は目を丸くした。
「室井くんにとっては得しかないじゃないか! 契約で能力を得るならば、こちらから何か代償を差し出すものとばかり思っていたが……仏や神の場合は異なるのか……へえ……」
「そのようです」
「つまり、物凄い僥倖に恵まれたってことだな、室井くんは」
「……ええ」
僕は少し俯いた。
「僕は、この千里眼のせいでいじめられてしまったと思っていましたが……」
「ふむ?」
「山吹先輩のお陰で、千里眼が人の役に立てるものだと分かりました。今ではこの能力をもらえて良かったと言えます」
「なるほどねえ」
山吹先輩は頷いた。
「まあ、そんなに重く捉えなさんな。今なら千里眼のことも、ラッキーだったなって思えてるんだろ? そんならそれで、それ以上あれこれ考えずとも良い」
「……はい」
その時、キキィッ、と鬼が鳴いた。そして部室の床に溶けて消えた。
「あ、帰った……」
「帰ったな」
「はい」
「しかし……」
山吹先輩は腕を組んだ。
「悪鬼が寄るほどの善良さ、ねえ。室井くん、君はやはりもっと自信を持って行動するべきだ」
「自信ですか」
「学園祭で、ちょびっとだけ知り合いと話せたんだろう? その調子でどんどん友達を作りたまえ。友達は、いなきゃいけないわけでもないし、多けりゃ良いってもんでもないが、いたらいたで楽しいからな。大丈夫、室井くんのような善人なら誰も嫌ったりはしないさ」
「で、でも……」
「中学生の時だっけ? 千里眼を得たのは」
「え? あ、はい」
「それがトラウマになるのは分かるんだけどさ……。中学生なんて、所詮まだガキだよ。そして得てしてガキというのは残酷なものだ。いじめはその顕著な例だと思うよ。だがここは大学だ。室井くんのことをあからさまに嫌うような子どもっぽい連中は、ごく少ないだろう」
「……そう、ですか」
「うん。まあ、大学生になっても心がガキのままの連中は居るがね。でも大体の人は室井くんの優しさを分かってくれるんじゃないかな」
「……」
僕は俯いた。
「今からでも大丈夫でしょうか。この年になって初めて友達作りなんて。それにもう入学して随分と経ちます」
「いつでもいいだろう、そんなの。もし気まずかったら、グループになっていない、一人で講義を受けたり飯を食ったりしている奴に目星をつけるんだ。一人で黙ってる奴なら話しかけるハードルも高くはないだろう」
「一人で……」
「誰に話しかけるか決めたら、何か適当に用事をこしらえると、よりやりやすい。教科書を忘れたから見せて欲しいだの、前回の講義に出られなかったからノートをコピーさせて欲しいだの、何でも良い。とにかく話しかけるんだ」
「な、なるほど……。そんなこと、よく思いつきますね」
「まあ私がその手を使っていたからな」
さらりと言われる。僕は驚いて山吹先輩を見た。
「山吹先輩も、友達作りに困っていたんですか?」
山吹先輩は一瞬きょとんとして僕の方を見返すと、ふふっと笑った。
「室井くん。友達が多い奴はみんな、自動的に友達ができるんだと思っているのかな?」
「えっ? だって、みんな自然と友達が増えているように見えますが」
「ふふん。それは、目が節穴というやつだな。千里眼のくせに」
「えーっ?」
僕はすっかり狼狽していたが、山吹先輩がこっちに座れと椅子を勧めるので、目を真ん丸にしながらそれに従った。
「何か……人気のある人って、勝手に話しかけられていくものだと思っていました」
「人気者になりたいのかい?」
「いえ別に」
「だろうね。……ただ、人気のある人は、それ相応の努力をしているということは、把握しておいた方がいい。人当たりが良く、フレンドリーで、高いコミュニケーション力を保っている、というのは、本人がそうあろうと努力したからこそそうなるんだよ」
「……はい」
「そしてその努力の仕方が分からない我々のような人間は、自分からどんどん話しかける他に方法はない」
「うっ……」
「私はあまり愛想が良い方では無いからね、とりあえず講義の時に隣の人に話しかけるところからスタートしたよ。さっき言ったような小細工も使ってね。それで何人か友達を作っていく中で、気が合った人と交流を続けているだけだ」
「なる、ほど……」
僕は困り果ててしまった。
そうか、みんなどこかしらで努力しているんだ……。山吹先輩も、クラスのみんなも。考えれば当然のことなのかもしれないが、僕にはよく分かっていなかった。
僕も努力をしなければ友達はできない。
「不安かな?」
山吹先輩は頬杖をついた。僕は頷いた。
「……クラスメイトに、話しかけようと、したことはあるのですが……」
「うん」
「いつも、うまく言葉が出なくて……」
「なるほど」
山吹先輩はニッと笑った。
「それなら私の提案した小細工をしてみればいい。最初から親しげに話しかけるのはハードルが高そうだからね。何か用事を作って、それをきっかけにするんだ」
「ぼ……僕にできるでしょうか」
「さっき言ったことを忘れたか? 室井くんは善良で優しい人物だと、この私も、広目天も、太鼓判を押しているんだ。何を怯むことがある」
「……はい」
「まあ、最初のうちは失敗するかもしれないが、数をこなせば行けるさ」
それでも僕は不安を拭いきれなかった。浮かない顔をしているのを察したのか、山吹先輩は追加の提案をしてきた。
「うちの大学では二年生からゼミが始まる。そこでやってみればいいんじゃないか? 同じゼミに居る以上、共通の話題は豊富だろうからね」
「……そうですね」
「さっきも言ったが、別に友達は作らなくちゃいけないものではない。ただ、ゼミの人とくらいは仲良くなっておくと色々と便利だし楽しい。今すぐ友達を作らずとも、機会は自ずとやってくる」
「……はい」
僕は神妙な顔で頷いた。
「あの、ありがとうございます」
「良いってことよ。……さて、問題が一つ片付いたところで、今から室井くんに仏教のいろはを叩き込もうか」
「仏教のいろは……」
「広目天の力を使うなら、正しく仏教を理解する必要があるだろう。ここに、私が図書館でざっと読んだ仏教に関する基礎知識をまとめたプリントがあるから、暗記したまえ」
山吹先輩は、いつの間に作ったのか、ざっと二十枚ほどの紙にびっしりと文字と図が印刷されたプリントを僕に差し出した。
「さあ、お勉強だ」
「う、うげー……」
「何だねその態度は。私が親切にも室井くん向けにまとめてやったのだから、これくらいは頭に入れておきなさい」
「分かりました……」
僕はおとなしく山吹先輩から紙の束を受け取った。
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