第15話 河童の妙薬



 僕はもう、牛鬼のことも犯人の男のことも、いつどこで何をしているか把握できる。五日後の土曜日の午後、僕たちはスムーズに犯人と会うことに成功した。

 荒川の河口から東京湾に続く、少し開けた場所に、その男は立っていた。周囲には誰もいない。牛鬼も今は陰の世界にいるようだ。


「こんにちは!」


 山吹先輩が声をかける。


「うわあ!」


 男は振り返って、僕らを見て動揺した。それもそうだ。防毒マスクをした人間二人と、背の高い河童が同時に現れたのだから。

 男と一緒にいた牛鬼は、すぐに陰の世界に溶け込んでしまった。一人にされた男は慌てふためいていた。


「お、俺は悪くない……!」

「まだ何も言ってないけど?」

「悪いのはお前たち河童だ! だから俺は……俺は……」

「ああ」


 山吹先輩は暗い顔をした。


「やっぱりそうだ。おっさん、去年の今頃、荒川で子どもを亡くしたね」


 男の顔色が白くなった。


「な……何でそれを……」

「何じゃと?」


 禰々子さんが声を上げる。


「荒川の河童がお主の子に何ぞしたのか?」

「お、俺は見たんだ。埼玉に川遊びに行った時……川で河童が遊んでいるのを! その後すぐに若菜わかなの姿が……見えなくなって……」

「それだけか」


 禰々子さんの声が低くなっていく。僕ははらはらしながら様子を見守るしかなかった。


「ニュースにもなっていたな」

 山吹先輩がスマホの画面を示す。そのニュースは僕も山吹先輩に事前に見せてもらっていた。島根県から来た四歳の女児が、埼玉県の荒川で行方不明になっていたが、六日後に遺体で見つかったというものだった。


「おっさんがこれを河童のせいだと思い込んだのは何故かな?」

「河童なぞどこにでもおる。たまたまお主が見かけただけのこと。殺したところを見たわけでもあるまいに、どうして河童のせいにする?」


 男は息を吸い込んだ。


「だって、そうとしか考えられないじゃないか!」


 そう言って男はぼろぼろと涙をこぼした。


「若菜は良い子だった! この世の誰よりも可愛い、たった一人の娘だった! それなのに、こんな形で死んでしまうなんて……! 俺が……河童を見た時に、素直に妻や娘に忠告していれば……こんなことにはならなかった……!」

「……あのな、おっさん」


 山吹先輩の声は、これまでに聞いたことがないほど、穏やかだった。


「禰々子はこの通り河童だし、私たちはこの通り若輩者だ。おっさんの気持ちにあれこれ言える立場じゃない。それに、復讐は何も生まないだなんて、使い古された言葉を言うつもりも無い。……だがね、このままおっさんの犯行が続けば、おっさんのように悲しむ人が、もっとたくさん出ることになる」

「……どういうことだ」

「まず一つ。流された河童がもし死んだりしたら、禰々子や他の河童が悲しむ」

「そうなったら願ったり叶ったりだよ! 河童どもにも、俺と同じような苦しみを味わわせてやれるなら!」

「いいのか。禰々子のような大あやかしを悲しませて、それでいいのか」

「何が言いたい」

「禰々子たちが悲しみのあまり、おっさんと同じ行動に出る可能性があるということの意味が分からないか。もし河童が、おっさんという人間への復讐のために、ここいらの人間を無差別に襲い始めたら、大惨事になると思わないか」

「そ、それは……」

「二つ。河童が水害を発生させた場合、多くの人間に被害が及び、多くの人間が悲しむ。その辺、ちゃんと分かってんのか? うん?」

「え、俺、もしかして、説得されてるんじゃなくて、脅されてる……?」

「やっと気付いたか」


 山吹先輩はやれやれと言った様子で首を振った。


「おっさんよ。私が管狐の力で、あんたの未来を言い当ててみせよう。あんたが今ここでこの復讐をやめて禰々子に詫びた場合、全てが丸く収まる。わざわざ島根から毎週ここへ来る負担も必要なくなるし、奥さんとの仲も良好でいられる。悲しみが癒えることはないが、死後にあんたは無事に娘と会えるだろう。だが……」


 山吹先輩の声は、どんどん平坦になっていく。


「あんたがこのまま復讐を続ける場合、近いうちに河童が暴れ出して、関東各地で水害が起きる。あんたはその原因となった咎で、地獄に落とされ、死後の世界で娘に会うことは叶わなくなる。もしくは……」


 山吹先輩の表情が、どんどん真顔になっていく。


「あんたは、復讐を続けるうちに、牛鬼との契約を更新せざるを得なくなる。そう、今は毒の息しか使っていないが、契約を更新すれば好きなように牛鬼に命令できるから、河童とやり合うには良いかもしれないね。だがその結果としてあんたの魂は綺麗さっぱり牛鬼に食われてしまい、やはり死後の世界で娘と会うことは叶わなくなる」

「……」

「以上が、私が読んだあんたの未来の可能性だ。あんたはどれを選ぶのかな」

「そ、そんなの、いくらでもでっちあげられるじゃないか。俺は、信じないぞ……」


 言葉の勇ましさとは裏腹に、男の声は小さくなっていた。


「俺は……俺は……」

「若菜ちゃんにもう一度会いたいか?」

「……」


 男は無言で頷いた。


「ならば胸を張って会いに行けるようにするべきだ。間違っても、河童に喧嘩を売って大水害なんか起こしちゃいけない。牛鬼に魂を全て渡すのもいけない。そうだろ?」

「……そう、だな……」


 男はこの後、禰々子さんに頭を下げて詫びた。そして、牛鬼の力を悪用しないことを、己に誓った。


 ***


「いんやあ、助かったよ。本当に川流れ事件がなくなった!」


 一週間後、またしても突然部室を訪れた禰々子さんは、笑顔で言った。


「お主らに相談して良かった、良かった。それで、約束の褒美を持ってきたというわけじゃ」

「河童の妙薬!」


 山吹先輩は目を輝かせた。


「一体どんなのだ!?」

「はい、これは律子、お主に」


 禰々子は、油紙に入れられた黒くて小さい錠剤を差し出した。


「これはのう、勉学が物凄く上手くいく薬じゃ」

「えっ? 勉学?」

「お主の頭が文殊菩薩の如く良くなる薬じゃな。効果は一生続く」

「つまり、これを飲めば、卒論も院試も博士課程もすらすらすら〜っとできちゃう?」

「そうじゃな」

「やったー!」


 山吹先輩は感激していた。


「凄いな、禰々子! 流石だ!」

「うむ。そしてこれは、室井、お主に」


 僕の手に、似たような錠剤が渡される。


「これはのう、お主の千里眼の力を広げるものじゃ」

「えっ? 千里眼?」

「お主が陰の世界を見るのに苦労していたと、噂で聞いてな。これを飲めば、生涯、気楽に陰の世界を見渡せるぞ」

「ええと……」

「嬉しかろう?」

「あ、はい。もちろんです。ありがとうございます」


 そうは言ったが、正直、そこまで嬉しくはなかった。だが勉学の薬よりは良いかも知れない。薬を使って頭を良くするのは、ズルをしているみたいで躊躇われたから。山吹先輩は、特に何も気にしていなさそうだが。


 僕たちは紙コップに水を入れて、禰々子さんのくれた薬を飲んだ。


「どうじゃ! 何か変わったか?」

「……おおお……」

 山吹先輩が目を見開いた。

「凄い! こうしちゃいられない! まずは河童の伝承を調べに行くぞーっ!」

 そうしてドタドタと部室を去ってしまった。

「室井は? どうじゃ?」

「……やってみます」


 僕は目を閉じた。何に焦点を当てるべきか分からなかったので、まずは前に見た蓮の池の風景を探してみる。すぐにピントが合って、僕は広大な蓮の池と小道の様子を、拡大したり縮小したり、ぐるぐると回してみたり、とにかく色んな角度で見ることができた。

 そして、目を開けても、僕は椅子にしゃきっと座ったままでいられた。体が光ったり、透明になったりといったことも、起きていないようだ。


「……本当に、何の負担もなく見てこられました」

「そうじゃろう」


 禰々子さんはにっこり笑った。


「お主と契約したものが何かを探すのに、役立てると良い」

「あっ、なるほど……。禰々子さん、凄いですね。何でもご存じで」

「何、これは前に律子から聞いたまでよ。あの千里眼は何者じゃと尋ねたら、分からんのだと答えてくれた」

「そうだったんですね。お気遣い、誠にありがとうございます」

「何の、何の。大災害を防いだんじゃ。これくらいのこと、造作もないわ」


 禰々子さんは笑って帰って行った。僕はもう一度目を閉じて、禰々子さんのくれたプレゼントを見て回ることにした。

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