第6章 盗み食い事件と、悪評の話
第16話 食べ物の恨み
「ありゃあ」
ぷんすか怒っている山吹先輩の横で、僕は言った。
「これまた派手にやられましたね……」
「全くだ。けしからん」
「しかし先輩、急に電話をかけてきたので何かと思えば……これですか」
「言っただろう、泥棒が出たと」
「泥棒は確かにそうですが、被害はここだけのようですね」
「ここだから問題なんだ!」
山吹先輩は憤然と、お菓子箱の段ボールに空いた大穴と、周囲に雑然と散らばった食べかすを指差した。
「食べ物の恨みは恐ろしいのだと、犯人にはきっちり思い知らせてやらねばならない!」
「犯人というか、どこぞのあやかしですよ、間違いなく。でなければ入って来られませんし、こんな食い荒らし方もしませんって」
「そんなことは先刻承知済みだ。さあ室井くん、犯人を探したまえ!」
「いや、これっぽっちの情報じゃ特定できないので、何も見えませんね」
「むむ、そうか……」
山吹先輩は毒気を抜かれたように怒りを萎ませた。
「それもそうだな……」
「もしかして、僕が来たら解決すると思っていましたか」
「半分くらいそう思っていた」
「ご期待に沿えず申し訳ないです。因みに、もう半分は何ですか?」
「クウちゃんたちに匂いを辿らせているから、その報告待ちだ」
僕は首を傾げた。
「いいんですか? この間は危険だと言って派遣しなかったのに」
「河童を川流れさせる奴なら明らかに危険だが、今回はお菓子しか狙われていないからな。見ろ」
山吹先輩はしゃがみ込んで、段ボール箱を指差した。
「この爪痕と言い、この齧られ方と言い、敵は決してヒグマのような化け物ではない。お菓子も、一つ一つ袋を破いて食べて行ったようだし……大きく見積もっても猫か何かだ」
「猫だったら、管狐のような小さいものは、狩られてしまうのでは……?」
「その心配は無い。管狐もまたあやかしであり、戦ったり身を隠したりする術を知っているからな。無力なネズミやスズメとは違う」
「なるほど」
確かにクウちゃんたちは、あの入学式の黒雲事件の時から、積極的に動いていた。あれは正体を
「それにしても……凄いですね、先輩。この痕跡だけで、相手の大きさまで特定できるなんて」
「ふふん。この前から私は、ちょっと頭が良くなったからな!」
「ああ、ドーピングの効果ですか」
僕が言うと、山吹先輩は顔をしかめた。
「人聞きの悪いことを言うな。まるで私が不正をしているみたいじゃないか」
「……違うんですか?」
山吹先輩はますますしかめっ面になった。
「何だ、その言い草は。違うに決まっているだろう。常日頃ドコサヘキサエン酸を摂取している者がそれを理由に入学試験資格を失うことが無いのと同じだ!」
「……そうですか?」
「そうとも。これは、私が正当な経緯で手に入れた、正当なレベルアップなのだ。チートとはわけが違うのだよ」
僕はますます首を傾げた。
「チート? 何ですかそれ?」
「ゲーマーが不正にゲームバランスを崩すこと、そこから転じて、不正に自分に有利な条件を作り出すこと、と言ったところかな。多分ね」
「ふむ、つまり山吹先輩は、自分は不正をしていないと主張したかったんですね」
「そうだ。実際していないだろう? 確かにちょっとあやかしと交流したが、そんなものは私にとってただの日常に過ぎない。そして日常の延長で手に入れたものを普通は不正とは呼ばない」
僕は考え込んだ。
山吹先輩は、僕の能力を見抜いた途端に、覗きやらカンニングやらの不正行為を思いつくくらいだから、その辺の倫理には頓着しないのかと思っていた。だが、どうも違うらしい。少なくとも、自分が異能を持つことに対して、これが不正か否かを考えるくらいの正義感はあるようだ。その上で正当だと判断したのであれば、そういった考えも一つの在り方として、尊重せねばなるまい。
「……まあ、そうですね……」
諸々の思いを込めて、僕が言えたのはそれだけだったが、山吹先輩は満足気に頷いた。
「納得していただけたようで何より。それよりも室井くん、一旦窓を開けてくれ」
「冷房、ついてますけど」
「だから一旦で良い。このお菓子の屑を掃き清めておきたいだけだ」
「分かりました。現場検証はもうおしまいですか?」
「充分だ。写真も撮ったしな。ほれ」
「おお……」
僕は写真を見せてもらった後、机の脇を通り抜けて、部室の奥の窓を開けた。すぐにビュウッと風が渦巻いて、食べかすやら塵やら埃やらが吹き飛ばされていく。
「はい、もういいぞ」
「閉めます」
僕は言った通りにしてから、食い荒らされたお菓子の袋を集めてビニール袋に詰めて縛った。これはあとで構内のゴミ箱に捨てるとして……何となく椅子に座った。さっきはちょうど昼ごはんの焼きそばパンを食べたばかりだったし、次の時限に講義の予定も無い。取り急ぎやりたいのは、そのまた次の時限にある講義の期末試験の対策だ。
「そしたら、ちょっと僕、ここで勉強してますね」
「おう、分かった。……私も、レポートでも作るかね」
山吹先輩はかばんからパソコンと資料を引っ張り出して、僕の向かい側に座った。
しばらくは、山吹先輩がカタカタとキーボードを叩く音と、僕が教科書をめくる音と、冷房器具の稼働している音しかしなくなる。
「……お」
山吹先輩が小さく言って、手を差し出した。するり、とそこに黒い闇が現れて、ぽんっと管狐が姿を現す。
「リンちゃん、何か掴めたか? ……へえ、そうか。ふうん」
リンちゃんから一通り話を聞いた山吹先輩は、「室井くん室井くん」と僕に声をかけた。
「はい、何でしょう」
「クウちゃんとキイちゃんが、陰の世界で犯人を取り押さえているようだ」
「あ……本当に見つかったんですね。それで、どうするんですか?」
「決まっているだろう。首根っこ捕まえて説教をして、二度と私たちのおやつを食い荒らさないように言い聞かせるんだ」
「へえ……頑張ってください」
「何を言うんだ。室井くんもやるんだよ」
「えっ? 僕が? 説教をですか?」
「うん。今そいつをここに連れてくるようにと、リンちゃんには伝令を頼んだからね」
「僕、勉強中なんですけど……」
僕が言い終わらない内に、部室の真ん中に黒い影が現れて、三匹の管狐と一匹の白猫が現れた。背中に黒いぶちが一つついている。
「……。おっしゃった通り、猫ですね」
「そうだな」
管狐たちが三匹揃って威嚇しているせいだろうか、白猫はすっかり萎縮していた。
「よく見てみろ、室井くん。尻尾が管狐のようになっている。この子は
「猫又……」
「飼い猫が歳を重ねると、尾が裂けて二つになり、あやかしと化す、という伝承がある。だが実際には……」
山吹先輩はじっと猫又のことを見つけた。
「なるほど、この子の肉体は既に死んで土の中。そこから魂だけが出てきて、あやかしへと変じたらしい」
「そういうこともあるんですね」
「遺してきた飼い主のお婆さんのことが気がかりのようだ。この子は猫又と化してからまだ日が経っていない。普通、あやかしは物を食わんが、なりたてほやほやならば腹が減るのも頷ける話だよ」
可哀想に、と山吹先輩は猫又を撫でた。
「しょうがないね」
「あれ、見逃すんですか?」
「いや。動機は分かったが、罪は罪だからな」
「罪……」
山吹先輩は猫又をひょいっと抱き上げた。猫又は嫌そうに身をよじって「ニャア」と鳴いたが、管狐たちが床から見上げて威嚇すると、早々に抵抗をやめておとなしくなった。山吹先輩に脇を掴まれて宙ぶらりんである。ちょっと僕もこの子が可哀想になってきた。
「やあ、マルくん。私の言葉が分かるかな?」
「……」
「よろしい。これから私は君に教育的指導を行うとしよう。心の準備は良いかな?」
「……」
「良かろうが悪かろうが始めるぞ」
本当に話が通じているのだろうか、と僕は疑問に思いながら、いっときマルくんのことを見つめていたが、はっと我に返って手元に視線を移した。いけない、こんなことをしている場合ではない。社会学の講義の復習をしなくては。ええと……ゲマインシャフトとゲゼルシャフトが云々……あれ、どっちがどっちだったっけ。
山吹先輩はちらりと僕の方を見てから、猫又に対してこんこんと説教を始めた。
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